◆ DND大学発ベンチャー支援情報 ◆ 2007/05/23 http://dndi.jp/

ロシア体験紀行(その3)

 〜ロストロポーヴィチ最後のドン・キホーテの普遍性〜

DND事務局の出口です。チェロは人間の声に最も近い楽器という。が、その 時々の巨匠が奏でるチェロの音色は、それを遙かに超越しているようです。衝撃 的でしかも挑発的です。クラシックには疎いけれど、それは僕のような素人にも 心に強く伝わってくるものがありました。


R・シュトラウスの交響詩「ドン・キホーテ」、J・バッハ作曲「無伴奏チェ ロ組曲」。魂をゆさぶる音色の変幻、やわらかな艶のある旋律、そして圧倒的な 音量の底知れぬ迫力、これらをなんと表現すればいいのでしょう。時に聴く者を して厳粛な祈りの場へと誘うのかもしれません。


80歳で4月27日に逝去したロシア生まれのロストロポーヴィチさん〜音楽家で ありながら、権力を恐れない歴史の証言者、そして夢を追い続ける、ひとりの偉 大なロシアの魂の存在も見逃せません。気高く美しい音楽家の波乱に富んだ半生 は特筆すべきことです―とは、前回のメルマガで紹介した通りです。その衝撃の 演奏を目にしたのは、NHK教育テレビでした。


「追悼ロストロポーヴィチ75歳、最後のドン・キホーテ」と題したHVスペシ ャルが5月13日(日)深夜、2時間にわたって放映されました。曜日を跨ぐこんな 時間にテレビを見ていたのは、ロシアから帰ったばかりで時差が睡眠のリズムを 微妙に狂わせてくれていたお陰です。


舞台は、北アルプスを一望する信州の美しい街、松本市の音楽ホールでした。 ロストロポーヴィチさんが、地元のサイトウキネンオーケストラを率いる指揮者 で親友の小澤征爾さんとシュトラウス作曲の交響詩「ドン・キホーテ」に挑んで いました。オーケストラの顔ぶれは、それはその世界では一流のアーティストら もいらっしゃいました。が、ロストロポーヴィチさんはあくまでシュトラウスに 忠実でした。


旋律を、強弱を、イメージを、タイミングを、そして物語の真髄、シュトラウ スの心象を、ドン・キホーテの気概を表現する、という強い意気込みが感じられ ました。タクトを振る小澤さんは、汗だくで声をからしていました。英語だか、 日本語だか、なんだかごっちゃになって水車?いや風車、風車の羽って…団員に 説明していたら、ロストロポーヴィチさんがそばから突如、フウシャ、フウシャ、 そうフウシャだよって言う風にその小澤さんと団員らの会話に日本語で割入って、 言葉の壁なんかあっさり飛び越えていましたね。


凄いなあ〜。妥協なしの真剣勝負、「ドン・キホーテ」の舞台が最後となるこ とをお互い意識していたのかもしれません。


皆さん御存じの通り、ドン・キホーテといえば1605年、スペインの小説家、セ ルバンテスが発表した長編古典の傑作で、そのタイトルが「奇才縦横の郷土ド ン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」でした。「ラ・マンチャの男、見果てぬ夢」 の映画、舞台はそこから付けられたものです。この騎士道物語を読んで刺激をう けたシュトラウスが約290年後に「ドン・キホーテ、騎士的な性格による幻想的 変奏曲」との副題を付けて交響詩を書き上げた、というから相当入れ込んでいた のでしょうか。とはいっても現在でも世界の著名な小説のひとつの数えられてい ることは事実ですから、時代を超越したドン・キホーテの普遍性、その人気ぶり を讃えるべきかもしれません。


その交響詩は、にわか勉強で申し訳ありませんが、チェロ独奏にドン・キホー テを、ヴィオラのソロに従者サンチョ・パンサ、オーボエのソロを空想上の貴婦 人ドゥルシネアの旋律をからませながら、ラ・マンチャ村の男が騎士道を読んで 妄想にふけるという序奏、ドン・キホーテがサンチョ・パンサを引き連れて冒険 に旅立つところの主題、それに風車を巨人と思いこんで戦いを挑む第1変奏から 第10の変奏曲、そして終曲という構成で、それぞれストーリーにそって具体的に 描写していました。


譜面の脇に、ここは怒り〜という添え書きが随所にあり、その譜面がアップで 写されていました。いやあ、シュトラウスさんも、ロストロポーヴィチさんも原 作をよく読みこなしていらっしゃる。羊の群れに囲まれて舞う砂塵、川に落ちて 垂れる水滴を振り払う、回転する4枚の風車…それぞれの場面を弦や金管楽器の 特性を生かして表現する、う〜む、これは、ユーモラスでもあり、それぞれの演 奏に高いテクニック求められることがわかりました。


番組は、「映像詩」というのにふさわしいオムニバスで、しかもドキュメンタ リーな構成に仕上っていました。リハーサルや本番の風景、事前のインタビュー や、デビュー当時の演奏風景や歴史的に貴重な映像などを随所に折り込んで、そ の交響詩の主人公、夢を追うドン・キホーテの人生観を読み解く、ロストロポー ヴィチさんの情熱をも重ね合わせていました。


ドン・キホーテが問う人生の根本命題。人間とは何か、どう生きるべきか―に 対して、ロストロポーヴィチさんの波乱の半生が大いなる説得力を持って迫って きます。しかし、この映像のひとコマはさらに鮮烈でした。


それは、第3の変奏曲に入ってまもなくでした。ナレーションが入ります〜旅 の途中でサンチョが愚痴を言う。こんな苦しい冒険より、もっと楽しい人生があ るんじゃないのかなあ、って訴え、それに対して、人生に対する考え方が全く違 うことにドン・キホーテが怒ってこう言うんです。人生何のために生きるか、話 し始めます〜。


そこでロストロポーヴィチさんが、目を細めて天を仰ぎ見る風にしながら、こ う言うのです。「ここ(この旋律)です…。美しさのために生きる、シュトラウ スの素晴らしいページです。夢、高潔さ、でも悲しい。夢のために生きる、これ がドン・キホーテの姿です」。


そして、突如、映像は変わります。赤の広場を軍隊が行進し、戦車が走る。旧 ソ連の国歌が流れ、あの忌まわしい戦争の爪痕を印象づけていました。そこで再 び、ナレーションが入ります。


〜夢、理想、美しさ…ロストロポーヴィチさんはソビエト時代に亡命の後に、 この言葉を頼りに生きてきました。若き頃、社会主義体制の芸術の宝としてデビ ューしたころの姿です〜。舞台でチェロを弾く、凛々しく端正な顔立ちの青年。 若き日のロストロポーヴィチさんがそこにいました。


1927年3月27日にロシアのバクー生まれ、父はカルザスに師事した名チェリス ト、母がピアニストという音楽一家の恵まれた家柄に生まれ、7歳で父からチェ ロを学び、1943年、モスクワ音楽学院に入学しチェロをコゾルポフ、作曲をショ スターコーヴィチ、シェバーリンに師事し、プラハ音楽コンクールなどで優勝し、 数々の栄誉を獲得します。早くからチェロの巨匠という地位を確立し、その名声 は一躍国際的に知られるようになった、という。まあ、大変な英才教育を受けて スターダムに上り詰めていたようです。


しかし、人生の暗転、いやいや、その転機は1970年ごろでした。反体制のノー ベル賞作家のソルジェニーツイン氏を自宅にかくまう、物理学者サハロフ氏を擁 護し、国の文化政策を批判したことなどを理由に当時のブレジネフ政権と対立、 1974年には夫人でソプラノ歌手のガリーナ・ビシネフスカヤさんとアメリカに渡 り、1978年にはソ連の市民権剥奪、追放を余儀なくされていました。


映像は、ロストロポーヴィチさんのこんな回想をインタビューで引き出してい ました。


〜私は、音楽の世界でドン・キホーテと同じように理想を求め続けました。音 楽家は作曲家の楽譜を正しく読み、それを正確に再現するのが仕事です。でも、 技術的な正確さだけではまったく不十分です。
 一番大切なことは音楽を通じ作曲家の感情を伝えることです。その曲を作った 時、悲しかったのか、楽しかったのか、もしかすると作曲家の希望が隠されてい るかもしれない。落胆かもしれない。作曲家の感情を伝えるのは、誰にでもでき ることではありません。それができるのは、ドン・キホーテの心を持つ人だけで す。原則的に想像力を持っている人、理想を追い求める心を持っている人です〜。


映像は次に1989年11月当時のベルリンの壁崩壊の様子を映し出していました。 再び、ロストロポーヴィチさん。そこでこんな独白が続きます。


〜あの時、パリにいて友人から電話で知らされて、テレビをつけてベルリンの 壁が崩壊したとわかった時、目が、涙がでました。私にはこの壁が私のふたつの 人生を結びつけているように思えたからです。私を追放した祖国での47歳までの 人生と、その後の西側での人生、ふたつは互いに全て似ていません。
 ベルリンの壁は私の心臓の刻み目でした。壁が崩れることによって私は、ふた つの人生が結合される印だと思いました。次の朝、チェロを手にベルリンの壁に 向かいました。でも人々のために演奏したかったのではない。チェロを持ち、ひ とり神に祈りを捧げたかった。そばで壁が崩れています。神に感謝しました〜。


映像はその後、崩壊後のベルリンの壁を背にしながら、ロストロポーヴィチさ んが独りチェロを演奏している姿を映し出していました。回りを大勢の若者らが 怪訝な様子で取り囲んでいました。なんという曲なのだろうか、と思っていると、 ベルリンの壁際での演奏が、まもなく松本のコンサートホールの演奏に切り替わ っていました。画面下に、「バッハ無伴奏チェロ組曲第2番より第4曲サラバン ト」と字幕がありました。解説では、サラバンドとは、アルマンド、メヌエット、 ブーレ、ジーグと同じ舞曲の名前で、陽気で速い3拍子系で17世紀になるとやや 緩やかになってヨーロッパ全土に流行し、バロックの組曲に…ふ〜む。


この演奏の収録が、ちょうど今から5年前でした。NHKの撮影クルーはきっ と、巨匠75歳の2002年の9月11日、松本で上演の交響詩「ドン・キホーテ」の舞 台裏に密着し、翌年この映像詩をNHKハイビジョンで放映していたんですね。 今回は追悼番組として再放送されたわけです。


演奏当日が、同時多発テロから1年を迎えた日ということで、「ドン・キホー テ」の交響詩演奏の前に祈りを捧げたい、というロストロポーヴィチさんが選ん だ曲が「バッハ無伴奏チェロ組曲」でした。弦を鈍く重く弾くそばで、小澤さん がじっと目を閉じてロストロポーヴィチさんの世界に入り込んでいるようでした。


まろやかに太く、のびやかな音量が徐々に低く擦れて、そして、消え入るよう な微かな響き、音楽ホールがその余韻を残して鎮まり返っていました。音が風の 響というなら、弦を止めても風が揺らいで室内に音の振動が伝わっていたのでし ょうか。それは、そのロストロポーヴィチさんの魂の音色のように感じられまし た。


この月曜日、このメルマガを書くにあたって秋葉原のタワーレコードに走り、 CDを買い集めてきました。疑問は、ベルリンの壁崩壊の時の祈りの演奏曲はな んだったのか、でした。繰り返し聴いてもわからない。「無伴奏チェロ組曲」と 言っても第1番から6番まであり、それぞれにプレリュード、アルマンド、クーラ ンド、サラバンド、メヌエット、あるいはブーレ、あるいはガヴォット、そして 最後のジークとありました。なんだかわかんない、参った〜。


しかし、その答えは、ネットで検索したブログの中にありました。「音楽と季 節の記♪☆/ウェブリブログ」です。ベルリンの壁のそばで、バッハの無伴奏チ ェロ組曲第3番から「ブーレ」を弾く様子が映し出されていました〜と。いやあ、 CDから選曲してみると、やはりややテンポの速いその曲を聴くことができまし た。嬉しく思いましたね。ウェブリさんに感謝です。なんだか胸のつかえが取れた感じです。。


映像は、そこでこの主題ともいうべきロストロポーヴィチさんの核心に迫りま す。小澤征爾さん、そして、ドン・キホーテについて率直な考えを述べていまし た。


〜小澤征爾と私は、ともに現代に生きるドン・キホーテだと思います。ふたり とも、ただ単に生きているのではなく、やらなくてはいけないことをやっていま す。人生の中で、いつも頭に浮かんでくる理想、それに私たちは向かっています。 しかし、残念なことにドン・キホーテもしばしば、自分の思い描いた理想と違っ た結論にいたることもありました。実際私にもありました。征爾もそうだったと おもう。でも、夢がありました。その夢にもし突き進んでいなかったら、征爾は 天才的な指揮者にならなかったでしょう。しかし彼は自分の夢に向かって、自分 の音楽に向かって進んでいました。そのことが私たちふたりを結びつけました。 私は征爾のことが大好きです。そして、ふたりともドン・キホーテを深く理解し ていることで結びついています。ある意味で、わたしたち自身がドン・キホーテ なのですから〜。


リハーサルを終えて、ふたり肩を組んで舞台のそでを談笑しながら歩く映像の ビデオを見ながら、日本語訳のロストロポーヴィチさんの言葉を繰り返し再生し てメモをしていると、リーダーに学ぶ革新の人間学との副題がある一橋大学名誉 教授の野中郁次郎さん、ジャーナリストの勝見明さん共著の『イノベーションの 作法』(日本経済新聞社)を思い出していました。


その「はしがき」には、セルバンテスの長編古典「ドン・キホーテ」を「狂気 と夢が引き起こす滑稽譚の中に人間の精神の深淵さを描き出した名作」と評し、 多くの人には「風車」にしか見えないものが、本当に「巨人」に見えることもあ るのではないか。そこから新しい文脈や物語が生まれることもありうるかもしれ ないーと解説していました。


そして、ただ、「風車が巨人であるわけがない」→「したがって、風車を巨人 と思うのは妄想である」と論理で決め付けるのではなく、思考の縛りを排除し、 「風車の向こうに何が見えるか」と問いを発し、思考を開く知の作法も大切にし たいと考える。種々の制約や限界を超えようとする心の持ちようや自由な精神を 抱き続けたいと考える(9P)とありました。


ある時、この野中さんの本の中に、ドン・キホーテについて語られていること を内閣特別顧問の黒川清さんにメールでお伝えしたことがありました。すると、  「よく、広く物事の本質を見れば、こんなことは当たり前なのですね。(中 略)人間の歴史からは、物の本質はそんなには変わらないものと思います。本質 に迫ることは、人々に感動を与えるのでしょうね」との返信があり、そして、知 人からという以下の文章を送ってくれました。ドン・キホーテつながりで、この 際ですから紹介します。


「Cervantes が Don Quixote に言はせてゐます。『あるがままの世の中と折 合ひが付けられなくて、何時も、うつけた夢ばかり見てゐるのは、それは、狂 気には違ひない。 然しな、本当の狂気というものは、あるがままの世の中と折 合ひを付けるだけで、あるべき世の中のために戦はうとしないことなのさ。』 今の日本では、Don Quixote は絶滅危惧種です。然し、将来の日本にとって、必 須なのも Don Quixote だと思ひます。 Don Quixote が絶滅したら、日本の 将来もそれと共に、消滅するのではないかと思ひます。高杉晋作、吉田松陰など といふ連中は、皆20−30歳代で、殺されたり死んだりしてしまひましたが、 今の日本は、事なかれ主義に固まった、若年寄の国になってしまったやうで す。」


このメッセージを肝に銘じて重く受け止めたいと思います。また、本日から夢 に向かって、あるべき世の中のために戦いの一歩を踏み出さなければならない気 持ちになってきました。


ロストロポーヴィチさんの最後のドン・キホーテは、大きな感動を呼び起こし たことでしょう。舞台も、NHKの番組も大成功でした。湧きあがるブラボーの 歓声と拍手のスタンディングの場面が目に浮かんできます。小澤征爾さん、丹下 健三さん、大勢の人と友情を結んでいたんですね。親日家で、サンクトペテルブ ルグの自宅は丹下先生の設計でその一室を和風にして楽しんでいたようです。阪 神大震災から10年の05年5月に神戸市で開かれた平和を願う1000人のチェロ合奏 では自ら指揮を取られていました。理想と夢に向かって生き抜いた大いなるロシ アの魂、ロストロポーヴィチさんは、モスクワ市内のノボデビッチ墓地の、それ も4月23日に死去した盟友のエリツイン前大統領の近くに埋葬されました。今度 の6月にモスクワに行ったら献花して感謝の気持ちを伝えたいと思います。スパ シーバ!心からご冥福をお祈りします。


※4回続いた「ロシア体験紀行」はこれで最終でした。多くの皆様からご意見、 ご感想を賜わりました。思わぬ反響にとてもうれしく思いました。ありがとうご ざいます。


さて、初夏です。5月の緑の風はさわやかです。光もまぶしく感じられます。 この5月29日は、東京・船堀のコラボ産学官の創立3周年記念の学長フォーラムが 群馬大学の鈴木守さん、信州大学の小宮山淳さんら8大学の学長が顔をそろえて 「生き残りをかけた連携戦略」を論じます。まだ参加可能です。連携情報などを ご覧ください。


6月はビッグイベントが目白押しです、産学官連携推進会議IN京都は16,17 日で今年第6回目ですね。年々充実しています。DNDもVECのご後援で出展 します。


そして29日は東京・経団連ホールで内閣府、日本経済団体連合会、それにJS Tの研究開発戦略センター長の生駒俊明さんが委員長で、一橋大学大学院国際企 業戦略研究科教授の石倉洋子さんが副委員長のGIES2007組織委員会などが主 催する、イノベーションのグローバル戦略を議論する国際シンポジウムが開催さ れます。テーマが「躍動する世界を目指して」。イノベーション25戦略を牽引す る黒川清さんらの基調講演が予定されています。これも本日、DNDの連携情報 で詳細をアップしています。


連載は、経済産業省大臣官房審議官の石黒憲彦さんの「感性価値創造の方法 論」です。4月からの「感性価値」シリーズです。昨日、経済産業省が策定した 「感性価値創造イニシアティブ」の報告書と連動しております。これを読むと、 中小企業の底力、日本の極め技術の感性価値の全容が理解できます。どうぞ、報 告書も一緒にご覧になって役立てください。


記憶を記録に!DNDメディア塾
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