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白洲次郎氏と黒川清氏の流儀

DND事務局の出口です。「My Favorite」とのタイトルで書いた前回のメ ルマガには、多くの方から感想などがメールで寄せられました。中でも、わが国 の動物行動学の第一人者で総合研究大学院大学教授の長谷川真理子さんのインタ ビュー記事で、長谷川さんが指摘した「他者をだます、裏切って食い物にして自 分の利益をどんどん増やしていく者は、そういう者同士でだまし合って自滅して しまう‥」という指摘に対しては、「目からウロコでした」、「鋭い指摘で関心 しました」と言った感想が寄せられていました。


 こういう見知らぬ人の声や反響が、僕にとって何よりも嬉しい。ニンマリ、ゆ るむ表情をぐっと抑えて、実は、内心、天にも昇るような気分になっているんで す。が、時にはドキッとする著名な方からもメールが届くので、ぼんやりしてい られません(笑い)。


    日本学術会議会長の黒川清さんからのメールは「長谷川さんは素晴らしい方で す」と前置きして、「私が時々紹介するCambridgeのtopのYaleのProvostから3年 前にスカウトされたAllison Richardさんとも同じ分野の研究者で、長谷川さん の養老(孟司)さんとのエッセイ『男の見方 女の見方』(PHP文庫)では、 長谷川さんと、Allisonさんとの交流が書かれています。私もAllisonさんとこの 2年、お知り合いになりました」と書かれていました。


 日本の学術界の要職にあっても、その厳しい権威を微塵も感じさせないのは、 黒川さんの流儀であり、特有のダンディズムなのでしょう。お隣さんに普通に話 しかけるようで気さくです。それがまた魅力なのかもしれません。


 で、さっそく黒川さんご推奨の『男の見方 女の見方』を買って読むと、男女 の違いや差別、それらを取り巻く認識、定説などの誤解や偏見を、お二人の科学 者の眼を通して解きほぐす、という科学エッセイなのですが、う〜む、読みやす いもの、男女をめぐる社会的関係は、容易ならざる難題を抱えて、かなりヘビー でしたが、なかなか興味深い内容が散りばめられていました。


 いくつか長谷川さんのエッセイに絞って紹介しましょう。


 「楽しみと犠牲」の項には、この国のエリート女性は、自分の人生に何かを犠 牲にしなくても、職業的に成功していくことができるのでしょうか?(中略)私 をイェール大学に招聘してくれているのは、アリソン・リチャード先生という女 性の教授ですが、この4月からイェール大学の副学長になりました。彼女も、結 婚して子供が二人の生活です。こんな幸せな女性ばかりがいるわけではありませ んし、彼女らの仕事ぶりは、実にエネルギッシュですが、確かに、人生いろいろ 楽しみながら成功している女性の割合は、日本より多いような気がします〜と感 想を綴っていました。多くの男性の研究者に一読をお薦めしたいと、思います。 この本は、1995年4月に読売新聞社から発刊された「男学女学」を改題したもの で、本文の年代は、ずっと10年以上前の事になります。


 その次ぎのページは、「日本女性科学者史」。イェール大学で「日本の女性科 学者」という演題で講演するというので、いろいろと長谷川さんが調べたらしい。 国際的な科学雑誌「サイエンス」に女性科学者に関する記事を探ると、「日本の 女性科学者についての記事を書くのは困難なことだ。なぜなら、ほとんど存在し ないから」という文章で始めていた‐とショッキングな記事を紹介していました。 そして、「私たちはそんなに『珍しい標本』なのでしょうか?」と自問し、ふと、 日本で最初の女性科学者と呼べる人は誰なのだろう、と思いました。ところが、 恥ずかしいことに、私はその答えを知らないのです、と率直に語っていました。


   「私が東京大学に入学したときには、まだまだ女学生は少数でした」で始まる 「女が男になる不幸」という項の後段には、こんなメッセージが投げかけられて いました。「社会を変革し、新しい視点を導入していくには、とくに『女らしい 考え方』ではなく、常識に束縛されない、ものの本質を見抜く目が大切なのです。 それは、本質的に、男性であっても女性であってもできることだと思います。」 と。なるほど、です。


 実は、黒川さんのメールの末尾に貼付のHP http://www.kiyoshikurokawa.com のURLがありました。いやあ、強烈なメッセージがコンスタントに更新されて いて、ニュースあり、コラムあり、掲載雑誌や講演、それに出版など充実してい ました。


   う〜む。黒川さん、アフリカはケニアに飛んでいました。7月2日更新は、マサ イ・ラマから、「ジャンボ!」という題名のコラム。ナイロビの仕事が終わって、 せっかくだから、ケニアの大草原マサイ・マラ国立公園に足を運んで、雄大な自 然のゆったりとした営み、その自然の素晴らしさを点描していました。で、ケニ アの滞在で感じたことを次のように綴っていました。


 「世界は本当に広いのだから、若い時には広い世界へ出てみるべき、生活して みるべきだということです。スラムへ行って見るのもよし、"ニート"なんていっ てはもったいない。あなた達を待っている人達も、機会もたくさんあります。み んなが将来に向けて、それぞれ出きる事がいっぱいあります。ケニアのマータイ 氏(ノーベル平和賞)ではないですが、『もったいない』ですよ」と、若者への メッセージを忘れません。


 個人的に目を引いたのは、今年の「Wedge」3月号に掲載した「読書漫遊」の コラム、黒川さんが選者となって、愛蔵・秘蔵の本を3冊紹介する、という内容 で、さて、その黒川さんは、どんな本を紹介したのでしょうか。


 『白洲次郎 占領を背負った男』(北康利著、講談社)、『あの戦争は何だっ たのか』(保阪正康著、新潮新書)、そして、『日本がアメリカを赦す日』(岸 田秀著、文春文庫)でした。「日本人を鎖国マインドから、どう解放するか考え る本を紹介したい」と黒川さん。


 少し引用すると、日本の外交政策は目指す国家像が不明確、だから目標への戦 略が不透明、腰が据わらず、場当たり的となる‐と問題の所在を指摘して、60年 代の占領期の大変な時期に活躍した人物に白洲次郎がいる。『嵐の男 白洲次 郎』(青柳恵介著、新潮文庫)もあるが、北氏が著した『白洲次郎 占領を背負 った男』は、GHQとの確執、サンフランシスコ講話条約での官僚とのやり取り も詳しい。


 冒頭、そんな説明を加えて、人物について、「プリンシプル」を大事にし、野 心がなく私心がない、肩書きを求めない、社会的な立場で威張る人を極度に嫌う、 弱者に優しい、本質を見るから核心を突いて遠慮がない、と語り、「今。こんな 型破りな人(日本人から見れば)がどこにいるか、と問う。


 そして、「弱きに強く、強気にへつらう、徒党を組む、言うべきことを言わな い、興味は自分の利益ばかりで、国家100年の計とは、何のこと?といった風情 か。志がないから独りよがりで、世界観も歴史観もないから、評論ばかりで大所、 高所に立って発言し行動する人がいない。快男児がいないのである」と断じてい ました。いやあ、熱い!


 白洲次郎。さっそく一連の関係本を買い漁って、昨日から今朝までずっと読ん でいました。2002年の生後100年を記念して発売したKAWADA夢ムックの 「白洲次郎」は、版を重ねていまだに売れ行きが続いているようです。文藝別冊 のタイトルが「日本で一番カッコイイ男」。その数々の感動を呼ぶエピソードは、 洗練された趣味、スタイル、そして人も羨むほどのキャリア‥しかし、なんとい っても暗雲の戦前戦後の混乱期を、粋に、しかも豪胆に、わが国の舵取りを支え たダンディズムの裏側には、黒川さんご指摘の決してぶれることがない「Princ iple」があったようです。


 神戸一中を卒業して英国留学、そしてケンブリッジ大学へ。それも大正時代末 期のことですからね。そこで、自動車熱に火がついて、カーマニア垂涎の的、ベ ントレーの3リッターカーを購入し、次に最高傑作のタイプ35、走る宝石とい われた名車ブガッティをも買って乗り回す。そんなカーマニアを指す、オイリー ボーイと呼ばれていたらしい。車好きは終生変らず、70年代、白洲は、68年型ポ ルシェ911Sに乗って、晩年の80まで走りとスピードにこだわった、という。 トヨタ・ソアラの高級車開発にもポルシェを贈って細かくアドバイスをしていた、 という。


 令夫人で、エッセイストの正子さんの回顧録によると、「そりゃあ、その時の 次郎さんはかっこよかったですよ。はっきり言って一目惚れでした。なんといっ ても次郎さんは180センチの長身で、スーツのよく似合う、それはもう惚れ惚れ するいい男でしたから」と初対面の印象を語っています。腕時計はロレックス・ オイスター、ライターはダンヒル、懐中時計はベンソン、英国製のオーデコロン に英国製のスーツで、完璧なブリティッシュ・スタイルを貫いていたというし、 遺言に二行の文字、「葬式無用 戒名不用」。


 こんな日本人が存在したのですね。最近でもテレビやなにかの特集を組んでい ました。マッカーサーの不遜な態度への怒りや、吉田茂首相の特使としての裏舞 台やら、通産省の創設やら、東北電力会長職での奮闘、「Play Fast」を原則と した軽井沢ゴルフ倶楽部理事長当時のエピソードやら、メトロのライオンの異名、 いやあ、それらのすべてが、痛快ですが、しかし、その評は、半々、やはり全く 逆の辛口批評も残っているようです。


 雑誌の対談中の、その相手のあやふやな発言には、容赦なく噛みついていまし たし、流石の扇谷正造さんもタジタジでした。しかし、往時を偲ばせる写真、書 籍や雑誌に掲載された白洲氏のアルバムに残るポートレートは、どのアングルも カッコイイ。


 北さんの本からの引用です。
《プリンシプルを持って生きていれば、人生に迷うことはない。プリンシプルに 添って突き進んでいればいいからだ。そこには後悔もないだろう》(385P)。


 そのスタイル、一幅の名画のようです。白洲次郎氏をもっとよく知りたい、と 素直に思います。黒川さんは、その「読書漫遊」の後半で、白洲氏に触れて「今 の日本に、肩書きがなくても『個』として存在できる人がどれだけいるか。日本 と世界を俯瞰的に捉えて発言し、行動できる人がどれだけいるか。国際化とは言 うものの、思想にも行動にも反映できない人ばかりだ」と、この人もやはり歯に 衣着せぬ物言いは、いつも新鮮で痛快です。似ているんじゃないでしょうか。


 信念を持つ人間のみが身にまとえる真の意味での"格好の良さ"(北康 利さんの「あとがき」から)という点からすれば、白洲氏の生き様と、黒川さん の流儀とがだぶって映ります。


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