◆ DND大学発ベンチャー支援情報 ◆ 2005/05/11 http://dndi.jp/

風の盆は人間賛歌の里

DND事務局の出口です。なんとも風がやさしく、澄み切った空に綿を千切った ような雲が浮かんでいます。手のひらのような山懐に、しばし身をゆだねている と、やわらかな癒しのエネルギーが伝わってくるようです。


風の盆の里、富山市に編入の旧婦負郡八尾町は、その豊かな自然のやすらぎに ふさわしく、知的でおしゃれな人たちが、老後の理想郷作りに汗を流していまし た。憧れの八尾は、人間賛歌の里でした。


富山駅の3番ホームの先頭へと、急いで乗った高山線の赤い車両は1台、まっ すぐな単線を南にひた走り、いくつもの川を渡って進むと、およそ30分余りで 目的の越中八尾駅に着きました。


出迎えは、編集企画の会社を営む森健二さん、東京の大手の経済雑誌の副編集 長を辞して移り住んだ、と言います。いいなあ〜素直にうらやましい。清流の音、 ゆるやかな風、高く青い空‥なんか、ワクワクしてきます。800万画素のデジ カメが、その出番を待っているようで、妙に落ち着きません。


最初に案内されたのは、民族工芸の流れを継ぎ、越中八尾の紙の工芸館「桂樹 舎」を主宰する、吉田桂介さん。八尾文化の重鎮で、90歳。綺麗に穏やかに枯れ て、いぶし銀というより、玉のような渋い輝きを発していました。


表の庭には、移築した古風な民家を自宅にし、その屋根から桜が降り注ぐよう に咲き、裏手には、そのすぐ脇を流れる川が水しぶきをあげていました。それが、 あの井田川でした。


あれから20年でしょうか、直木賞作家・高橋治の「風の盆恋歌」を読んで、八 尾町にすっかり魅了されていましたから、一歩街に足を踏み入れると、もう格別 の感慨に浸ってしまいました。


井田川と聞いて、ああ、「遥か下に、町の北側を流れる神通川の支流、井田川 が光っている。その井田川までの急な崖の斜面を、石段のように家々の屋根が下 っていた」という小説の冒頭の、そのままの光景を眼前にして、黒く艶のある石 積みが城壁のようにせり上がる堅牢さは、なんと見事なのだろうと、その当時の 労苦に思いを馳せながら、ぼんぼりに灯がともり、胡弓の音が流れる風の盆を想 像していると、「影絵のように窓の外を通り過ぎて行く夜流し‥」という小説の 名場面が突如、現れてくるような錯覚に捉われていました。


町並みは、格子戸のある旅籠宿、土蔵造りの民家が軒を連ねて狭く、往時のま んまの佇まいを見せていて、静寂でした。なだらかな坂道がいく筋にも重なって いました。憧れの街は、ノスタルジックな昔日の世界でした。狭い路地から童が、 不意に息せき切って飛び出してくるようでした。


郷愁を感じさせてくれたのは、地元の八尾町の人たちでした。そのひとり、古 老の吉田さんの表情は、一幅の名画のようでした。思わずシャッターを切って、 撮ったばかりの画像をその場でお見せしたら、「いいね、いい。とてもいい」と、 嬉しそうにするから、続けて撮って、これはどう?と自慢気に別のアングルを差 し出すと、「おおっ、これもいい、いいね、一番いい」と、顔をくしゃくしゃに して喜んでくれていました。少年のように無邪気でした。朱色の布の椅子に座っ て、腕を組んだ格好のショットは、ファインダーから、円熟の人生のオーラが見 え隠れしていました。


民芸の祖・柳宗悦氏の知遇を得て、染色工芸家・芹沢けい介門下というから、 まさに戦前戦後の「民芸美論」を実践した生き証人かもしれません。芹沢氏がパ リで個展を開催した際のテーマが「風」、記憶に隅に焼きついていたその個展の ポスターの存在を尋ねると、「知っているというより、そのポスターはあるよ、 1枚だけ残っている。パリの個展には同行していたから‥」と、腰を抜かすよう な話をさりげなく語っていました。そのパリ展を知らせるポスター、不確かです が、型紙から切り取ったような独特の「風」の文字が、紫色に中央に大きく刷り 込まれていたことを記憶しています。


森さん運転のワゴン車には、その日のセミナーのメインの講師で長野県小布施 町から地域再生のコーディネーター役の金澤雍夫さん、それに名古屋から無農薬 野菜の栽培や環境問題がご専門のEM総合ネットの宮澤敏夫社長、それに吉田さん も飛び入りで加わって同乗していました。


目指すは、町の中心部から南東へ約10キロ、久婦須川(くぶすがわ)沿いに走り、 その上流、傾斜のある山間を抜けて、平地に出ると、伸びやかな集落が点在して いました。ダムのすぐ下流の八尾町桐谷地区でした。中山間地特有の過疎化と高 齢化が進み、かつて500人規模の集落は、30世帯を割って50人余りまで激 減してしまっていました。NPO法人の理事長の池田庭子さんが主宰する「たぬき 村」がある静岡県・栃沢地区も同じでした。疲弊する中山間地、みんなどこも同 じ事情を抱えていて、深刻です。


しかし、そこが、いま、老後の理想郷の一角にしようと、懸命の取組みが始ま ったばかりでした。セミナーの会場となる、茶色の円形の建物がふたつ繋がるよ うに並ぶツインドームでは、主役のNPO法人「アイ・フィール・ファイン」のメ ンバーが、まばゆいほどの笑顔で迎えてくれていました。


昨年10月の設立ながら、現在は、40代から60代の41人が参加し、住宅や医 療、福祉施設、農園などを備えたシルバータウン構想を掲げて、その活動をス タートさせていました。


発起人の中心は3人。「アバンダンス」社長でアロマセラピストの長谷川由美 さんが理事長で、東京の青山にあるIR会社の役員も兼ねる、才覚あふれる美人で す。長谷川さんと高校の同級で設計事務所「楽しい家づくり研究所」代表を務め インテリアデザイナーで副理事長の赤木洋子さん、なんとも爽やかです。面倒見 のいい、ちょっと姉御肌のイベントプランナーで理事の浜谷瑞枝さんらをコアに、 瑞枝さんの夫、真佐人さん、仲のいい(株)松田工務店社長の松田博司さん、末子 さん夫妻、実直ながら真っ赤なスポーツカーを走らせる野田印房の野田満男さん、 幸子さん夫妻、それに指南役で桐谷地区の地元の元町議、山口武雄さん(70)、頼 りがいのある拠点のツインドームの所有で朝日建設(株)社長の林和夫さん、料理 が趣味の富山市のファミリーパーク園長の山本茂行さんら多士済々の面々が参加 し、それぞれの持ち味を発揮していました。


皆さん、個性的で知性が光ります。いずれも団塊の世代、いっぱい競って走っ て、くぐり抜けてきて、やっとの思いで一息ついて振り返ると、ふと、何か大事 なものを忘れてきてしまったようで、今、もう一度、それらを取り戻そうとして いるように感じました。


NPO法人の趣旨は、明確でした。老いは、人生のクライマックス、その仕上げ の時間を、美しく豊かで充実した日々にしたい。それを待つのではなく、受身の 心を反転させて、自分たちの力で、経験とアイディアで、八尾町をメイン舞台に、 新しい街づくり、住環境の創造を実現したい−というものでした。


八尾町の「越中八尾スロータウン特区」の国の認定を利用して、ツインドーム 付近の約3,000平方メートルの田畑を借り、昨年から冬野菜の栽培を手がけ、こ の5月のGWの連休は、総出で田植えに挑戦していました。


長年、放置された田んぼの畔塗り、代掻き、そして耕運機の運転など、理事長 の長谷川さんは、その小さく細い体を駆使していたようです。後日、長谷川さん からのメールで、「人生初体験づくしでした。畑も夏野菜用に耕すなど、日いっ ぱい作業して、ビール飲んで、心地よい疲労をお風呂で癒し、誕生日をワインで 乾杯です。8日は田植えです。出口さんも裸足での田植え、いかがですか?」との 文面で、お誘いをいただいていました。そして、添付の写真は、五月晴れの下、 仮装大会並みのスタイルで、朗らかな表情を見せていました。しかし、当然です が、それぞれの人生、それぞれに事情があり、決して順風だったわけじゃないよ うです。


「もう頑張るってこと捨てました」と話していたのは、長谷川さん、すっかり 肩の力を抜いていました。「これでも結構、苦労したんです」と言いつつ起業へ の挑戦を続ける赤木さん‥お二人の、その団塊の世代の象徴的な生き様が、「幸 せ探し自分探し」と題した北日本新聞の連載企画で掲載され、富山県のキャリア 女性41人とともに、その赤裸々な半生が一冊の本にまとめられていました。その 振る舞いからは、微塵も想像できませんでしたが、長谷川さん、赤木さんのペー ジを読んで、目頭が熱くなってきました。あえて、それには触れませんが、いま 生きていることの確かさを、互いに愛でられる関係が、なにより美しい、と思い ました。みんなと一緒にその活動に参加できれば、平凡でも人間らしい生活があ るような気がしてきました。連載は、その機微を十分に捉えていました。取材は、 同社文化部の舘野智子記者でした。


新しい住環境をーという長谷川さんらの計画は、もうひとつ、八尾町新田にあ る長谷川さんの住まい兼オフィスの近くに、約1500坪の農地を購入して宅地分譲 する案が急を告げていました。


いやあ、そこは、東方に冠雪の立山連峰を眺め見て、北には富山湾を望む丘陵 地、段々に傾斜した180度のパノラマが広がっていて、うらやましい限りの絶景 です。富山は、噂に違わず、居住空間が広くて、日本一豊かというのは確かなよ うです。そして、女性が、優秀で働き者というのは、定説の通りで、気遣いの細 やかなことと、笑顔の美しいこと、そして動きに無駄がなく、しなやかなことに は、感心させられました。


しかし、課題も多い。土地の広さからくる開発許可の制限や制約、自然との共 生住宅を意図しながら、人工構造物を余儀なくされる矛盾、それに想定以上の負 担と余計な支出など、なかなか思い通りにはいかない。環境への配慮を優先した アイディアが、すでに限界に近い既存の手法によって、押しつぶされる愚をなん とか回避できないだろうか、推進か断念かの岐路に立たされているようです。長 谷川さんらのような自立したNPOをサポートし、活用していくところに地方再生 の活路が見えて来る‐と、確信します。


GWの3日夜、家族と日光からの帰り道、車内のNHKラジオから、21世紀・日本の 自画像「持続型社会への地域からの挑戦」と題して、前三重県知事で早稲田大学 大学院教授の北川正恭さんと経済評論家の内橋克人さんが、岩手県葛巻町などの 先進的な事例を題材にして対談が、流れてきました。中央から地方への解釈など、 なるほど、と感服するような内容が、随所に散見されました。内橋さんは、生き る、働く、暮らす−を統合した新しい生き方を述べながら、地域からのメッセー ジとして、自分を変え、地域を変え、日本を変える−という発想と、自立したコ ミュニティーの重要性を指摘していました。


NPO法人「I feel fine」は、そのネーミングからして、その存在そのものが、 人間復興、地方再生の強烈なメッセージを発信しているようです。なんて、気分 がいいのでしょう‐とでも訳すのでしょうか、忘れかけていた大切な事を、思い 出させてくれました。


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