◆ DND大学発ベンチャー支援情報 ◆ 2004/ 11/ 3 http://dndi.jp/

歴史の審判を待つ人たち

DND事務局の出口です。今回は、この数日、飛び込んできたニュースから、どう なる!時々刻々、審判を待つ人たちの心模様‐。


3日夕刻。選挙人獲得数249対225。米大統領選挙の開票状況、接戦を伝える 現地からのテレビ中継が緊迫し、勝敗を左右する中西部の要所のひとつ、オハイオ州 (選挙人20人)などの動向に釘付けとなっていました。米大統領選の歴史に残る大 接戦のようです。


パ・リーグの新規加盟球団として、三木谷浩史社長率いる「楽天」が承認されまし た。下馬評通り、という点にいささか疑問が残りますが、その夜のラジオ、テレビ出 演で三木谷さんの語り口は、堂々として頼もしい限りでした。経営力や安定性から、 楽天が選ばれて当然―という解説もありました。


プロ野球の新球団の誕生は、50年ぶりというから、歴史的な一歩を踏み出したこ とになります。が、いち早く、球団設立に名乗りを挙げて、揺れ動いていた球界に一 石を投じた「ライブドア」の堀江貴文社長の果たした役割は決して小さくありません。


記者会見で、「選ばれなかっただけ‥」といい、「野球のことは忘れ、気持ちを切 りかえます」という言葉の節々に無念さを隠し切れない様子でした。が、堀江さんの、 その挑戦する姿勢に心からエールを送りたいし、今後の活躍を期待したい。32歳。 「人間万事塞翁馬」。


若者が、自らの信念と可能性に賭ける‐いつの時代でも最も大切なことかもしれま せん。それらのチャンスを広げる、受け入れる、あるいは公平な競争の舞台を用意す る‐そういう社会にしていかなければなりません。既得権益と硬直した慣例という名 の仕組みの弊害を突き崩すのは、いつも若者であり、あるいは若い心を持った人たち なのですから。


審判を待っていたひとりに、田臥(たぶせ)勇太さん。24歳。米プロバスケット ボールといえば、NBA、アリゾナ州に本拠を置くサンズの開幕メンバーに登録され た‐という昨日のニュースは、衝撃でした。世界のスターが集まるNBAで日本の選 手がプレーするのは、史上初の快挙です。背番号「1」。


田臥さんの新聞に掲載された談話。まだ、正直、半信半疑、NBAは小さい頃から の夢、本当に自分なのかという思いもあります。自分が日本で一番のNBA選手にな れたことは、素直に嬉しい。でも、満足することはありません、これからが勝負と思 っています‐と。


NBAといえば、「23」のナンバーでファンを魅了したマイケル・ジョーダンの 華麗なプレーが目に浮かんできます。エアージョーダンの異名で知られるように、ジ ャンプでの滞空時間が長く、残り1秒のタイムアップ寸前にシュートを放って決める など数多くの伝説を持つヒーローのひとりですが、開幕メンバーの登録となれば、ひ とチーム12人枠、どのチームをみても抜群の跳躍力と2メートル近い長身の選手ばかりで、 NBAは、世界のプロスポーツで「最も狭き門」といわれています。


驚きは、田臥さんの身長が、173センチなんです。小兵ながら、ドリブルで突進する スピードとパスワークが巧みで、攻撃の中心となる、いわばフォーメーションのリー ド役のポイントガードとしての能力を買われた‐という。


神奈川県生まれ、小学2年からバスケットを始め、神奈川・大道中から名門の秋 田・能代工高に進み、3年連続で高校総体、国体、全国高校選抜優勝大会で高校3冠 に導き、10代でスター選手でした。米ブリガムヤン大ハワイ校に留学、02年にト ヨタ自動車に入団し、実業団のスーパーリーグ新人王、1年で退団し本格的にNBA に挑んだものの、昨季はナゲッツで開幕直前に解雇され、B級の独立リーグABAで プレーしていました。


ハワイ大留学時、語学のハンディからバスケをさせてもらえない、それに腰痛、そ して手術などの挫折を味わって卒業を待たずに帰国していました。昨年6月2日付け の「アエラ」の表時、「いま、やるべきことをやっていくだけです。先のことはわからないので ‥」と話していました。紙の顔で登場し、苦節のその時期の様子が記事になっていました。 その


あのイチローが祝福のメッセージを寄せていました。「最初の一歩をしるした意味 は大きい。彼だけでなく大勢の人たちの可能性まで広がる。とんでもない大きなこと をしましたね。試合には足を運びたい」(3日付、産経新聞朝刊)。


バスケット部。血のにじむような練習に次ぐ練習‥北海道夕張市の沼ノ沢にある向 陽中時代(現沼ノ沢中)、根室高校時代の6年間、懸命にボールを追いかけていまし た。監督は、160センチながら国際審判員の資格をもつ渡辺隆先生(現・小樽潮稜高)、 高体連と呼ぶ大会の地区予選で優勝し、室蘭市で開催の全道大会に出場、4回戦へ駒 を進め、準々決勝での対戦相手は、道内切っての古豪、札幌西高でした。儚くもダブ ルスコアーでの惨敗に涙していました。ほんとに強い、レベルの違いを見せつけられ た思いでしたが、その札幌西が全国大会へ出てみると、なんと1回戦で敗退したのは、 ショックでした。


決して手を抜いていた訳ではないのに、あれほど練習し続けていたのに‥全国大会 すら雲の上なのに、バスケット少年だった私にとってNBAは、別世界でした。


田臥さん、おめでとう。多くの少年にどれほどの励みになることでしょう。その彼 が、かつての恩師の伊藤博之さんに「先生、能代のバスケは世界で通用しますよ」と 伝えていました。


プロとなれば、年俸6000万円の保証、そしてジャパンエナジーとのスポンサー 契約等‥それよりなにより、NBAでの経験がやがて次の世代に引き継がれていくー そのノウハウの付加価値は、計り知れない。


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