◆ DND大学発ベンチャー支援情報 ◆ 2004/ 9/ 22 http://dndi.jp/

「誰も知らない」の予見と警告

DND事務局の出口です。あれから、心臓をえぐられるような痛みが、なかなか癒えず、息もつけないくらい重苦しい。やがて時が解決するのだから、放っておけばいいものを、身近なその事件が映画「誰も知らない」と重なってしまって、無垢で無抵抗な子供の犠牲を見過ごせなくなってしまったらしい。


そのニュースの一報は朝のテレビで知りました。驚きは、偶然にも栃木県小山市を抜ける国道4号線を走り、事件現場となった思川(おもいがわ)周辺を抜けて、前日から栃木県内に宿泊していたからでした。赴任まもない宇都宮支局長で新聞社の後輩とその日午前、ある会合を予定していました。


「誘拐事件じゃ、来るわけはないし、来ても追い返すようだね」−と関係者と話している時に、息せき切って現れ、その事情を説明するまもなく、また来た道を、急ぎ戻っていきました。最悪の事態を想定していて、嫌な予感がしていました。


事件は、テレビ、新聞で大きく何度も報道された通り、39歳の男が、かつての暴走族仲間の先輩から預かって同居していた4歳と3歳の兄弟を11時間車で連れまわした挙句、寝ているところを思川に架かる橋から落として殺害した‐という異常なものでした。


「生きたまま、川に落とした」という残忍な男の供述に加え、顔が青黒く腫れ上がるほどの虐待をうけていた‐という近隣の証言、さらにその同居の家を抜け出して、警察に保護されながら児童相談所に回され、父親に引き取られていながらも、再び男のアパートに引き戻されて、また虐待、そして家出、保護、また虐待‥の繰り返し。生き地獄のような、その危険な兆候へのSOSを誰もキャッチできない現実をどう認識すべきか、その答えが見つかりません。


それは、覚せい剤常用の男や無責任な親がどうの、他人事と処理した警察や児童相談所がどうした‐という関わった関係者らの言い訳を注釈しても、最早、どうにもなることではない。それらのちょっとしたズレが複合的に左右して取り返しのつかない事態を招いてしまったようですが、ちょっとしたズレ、それは、今、そこで起きている現実が、次にどのような不幸な現実を招いてしまうのか‐というその先が見えていないのに、あたかも職務に専心している風を装うから、腹ただしいし、犠牲の子供らが不憫に思えてならない。悔しいけれど、そのような迂闊な過信は、巷間、よく目に映るし、今の日本の日常の延長に頻発している‐ことを認めざるをえない。


兄が、弟の手をひきながら逃げ出した夜の街の風景は、幼い心にどのように映ったのでしょうか?


「離婚」という現実なんか理解できる年齢ではないから、別れ別れになった母と、もうひとりの長兄の姿を追い求めていたのかもしれないし、夜道だから、その角の塀の陰から、ふと姿を現して迎えにきてくれる、だって僕たちのお母さんだから‥と淡い期待を抱いていたに違いない。4歳の男の子は、お母さんの写真を持ち歩いていた‐という昨日の葬儀での父親の話は、切ない。


「お母さんのところに帰りたい!」−せめて、その胸の内を大声で叫んで、暴れてみせればよかったのに‥。しかし、幼いなら幼いなりに、父親や周辺の空気を察して、それは決して言葉に出してはならないことを、十分に感じとってもいたようです。


4歳、3歳といえば、自分の物と他人の物との区別がつかない、やんちゃながら、一番子供らしい年齢です。町内のイベントの時に撮影された兄弟のスナップ写真、何度もテレビや新聞に映しだされていました。手前に大きく写った子の翳りの濃い左目が、いまだ脳裏に焼きついて離れません。


ショックは、再び。この夏、映画「誰も知らない」を見ました。主演の柳楽優弥君(やぎらゆうや=14歳)が、カンヌ国際映画祭での最優秀男優賞の受賞で一躍、有名になりました。


が、その華やかな話題とは裏腹に、そのストーリーは、都会の片隅でのごくごく日常的な断面を切り取っただけのものですが、違っていたのは、ただ4人の子供たちだけの生活で、不幸な現実がリアルに描かれていました。その映画は、「西巣鴨子供4人置き去り事件」という実際の事件を題材にしていました。


無垢であどけない子供たちが、悔しいくらいに、ジワジワと追い詰められていく。ただならぬ、その現実に無抵抗な子供たちのあまりに屈託のない表情が切なく、少しずつ、少しずつ瞳がくぐもっていって‥。挿入歌にタテタカコさんの「宝石」が流れて、堰を切ったように涙が止まりませんでした。


全編流れるサウンドトラックは、ギターとウクレレの軽い癒しの演奏を得意とする人気デュオ「ゴンチチ」(ゴンザレス三上さん、チチ松村さん)。その三上さんは、そのカンヌの受賞の意味を、実話にも基づいたフィクションだから、「運命に引きずられながらも現実の中で必死に戦った、もうひとりの柳楽君に、この賞は等しく贈られたのだ、と僕は思う」と語り、「これは誰かが仕組んだ奇蹟に違いない」と、題材となった現実の少年へ思いを寄せていました。


監督はドキュメンタリーの鬼才、是枝裕和さん。その「演出ノート」の一文に以下のようなコメントを載せていました。


「むしろ、この事件は、東京ならではのレアケースではなく、私たちの問題としてより社会化、日常化されたと考えるべきだと判断した。であるからこそ、この映画の主人公は、(事件当時の)1988年の少年ではなく、誰にも知られることなく、現在も存在しているだろう2004年の少年に設定した。」


現在も存在している‐との是枝さんの予見と警告は、私たちの問題であって、ひとつ、ひとつの対応の過ちを追及することだけでは、問題の解決にはならないことを示唆してくれていました。


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