◆ DND大学発ベンチャー支援情報 ◆ 2004/ 5/19 http://dndi.jp/

つくば人脈と青木塾

DND事務局の出口です。それぞれに原点があるとすれば、それは人生の転機となった記念日なのかも知れません。5・19、19歳。


曇天のその日、単身、横浜から船でナホトカに渡り、ハバロフスクから約1万キロ、7泊8日のシベリア鉄道に揺られてモスクワへ、チェコ、ポーランドを抜けてウィーンに入り、格安のユースホステルを転々としながら、ヨーロッパ各都市を回っていました。


モスクワでは、米ソの旗が沿道にひらめき、ニクソン大統領の米国大統領初の訪ソに、カメラクルーなどの報道陣はざっと400人、新たな歴史の1ページを刻んでいました。ドイツではミュンヘン五輪開幕直前で沸いていました。日本はその夏、佐藤政権から田中角栄総理誕生へ。激動。当時、行方定めぬ世界の動向を、肌で感じとっていた気がします。


「青年は荒野をめざす」の五木寛之さん小説をなぞって、ブームのフォークグループの同じ題名の歌にも刺激されて、若者は次々と海外に旅立ち、人生の意味を求めて放浪していました。私もそのひとりでした。


しかし、3ケ月余りの旅のなかでの思いは、「いつまでもこんなところで時間を無駄にしていてはいけない」−と。振り返れば、自分と社会の接点を、新聞記者という職業にかりたてていく「自分探しの旅」だった気がします。


会社に辞表を出した日が、奇しくも昨年の5・19。やはり、もうひとつの自分探しであり、「このままでは‥」の思いが強かったのかもしれません。


あれから〜。いまや専業となった大学発ベンチャー支援の周辺には、勢い人と人を結ぶ強い磁場が働いているようで、マルチスライドを見ているように、また本のページをめくるように次々に、どこからこんな風に湧いてくるのだろうーと感心するほど、新しい多くの人が現れてきます。


驚く例のひとつは、茨城県・つくば人脈。産学官の連携からシリコンバレーのモデルを意図した構想は、充分とはいえないまでも、そのエリア出身の人たちが、あちこちで地力を発揮しているように映ります。


昨年夏、ふらっとDND事務局に現れた前茨城県商工労働部長の滝本徹さん、その時、ご一緒にお見えになったのが、いま、DNDサイトでビジネスマッチングのサービスを提供してくださっているベンチャー・ラボ代表の山中唯義さんでした。つくばでのDNDセミナーの話が持ち上がり、DND主催で開催したのが、第1回の産学連携コーディネータ会議でした。その中心で動いたのが、江原秀敏さん、基調講演のゲストは、電気通信大学のTLO、キャンパスクリエイト代表取締役社長の安田耕平さんでした。4期連続黒字の実績とその手法は、力強い。


その産学官連携コーディネート会議は、すでに500人の陣容に膨らみ、日々、全国規模の動きを見せています。


いつから、どんな仕掛けで始まったのか、その裏事情に興味はありますが、東京都江戸川区の船堀に、「コラボ産学官in TOKYO」がこの14日に開設しました。もう、NHKの朝の全国ニュースでも取り上げられましたので詳細は省きますが、北海道から北見工業大学、DNDで連載の藤井克彦さん所属の室蘭工業大学、ベンチャー創出に熱っぽい徳島大学、それに島根、弘前、群馬、福井の各大学、九州からは大分、長崎、そしてみやざきTLOと10大学が入居しています。


24時間開放ながら、万全のセキュリティにシャワールーム完備、かつての重役室らしくフロアーの造りは重厚で、清潔です。いやあ、米国のベンチャー企業並みの快適な空間を享受しているようでした。で、月額6万円。


地方の大学が首都に拠点を置いて活動し、その大学と地元の中小企業を結ぶーその場を格安で提供したのは、朝日信用金庫の塚原和郎理事長。産官学に金が加わり、地域経済への期待を担って地場産業と学の連携が始まろうとしています。


開設祝賀の席には、文科省から技術移転推進室長の伊藤学司さん、経産省から大学連携推進課長の橋本正洋さん、いまや産学連携を官の立場で先導するお二人が揃い、「全力で支援いたします。いろんな要望をどんどんいってきてください」(橋本さん)とエールを贈り、コラボ産学官の展開に期待を寄せていました。


司会は、産学連携コーディネータ会議の仕掛け人の江原さん、そこの事務局長に就任しており、バックでキャンパスクリエイトの安田さんがハンドリングしていました。


都内には、信金ばかりか、各銀行の営業所、支店などのフロアーがまだまだ利用が可能らしい。朝日信金に続いて、次々にそのような流れが加速し、そして、地方発の大学発ベンチャーの東京支店への道を拓くことになれば、小さな一歩ですが、意義は計り知れない。


祝賀の会に同席した野村證券公益法人サポート室の平尾敏さんは、「これで朝日信用金庫は都内NO.1に抜きんでてきましたね」と、塚原理事長の先見に敬意を表していました。大学発ベンチャー支援の展開が、空中戦から、地上に降りて地域に根を張ったという点で、着目したい。


筑波といえば、ひとつ。青木塾をご存知でしょうか?産経新聞社の社会部長、取締役編集局長を経て、筑波大学教授に50代から転身されてから、そこで学んだ学生らが青木さんの官舎に集まったOB・OGの会があります。その塾1期生で、筑波出版会代表の花山亘さんが、あの滝本さんに誘われてDND事務所にこられました。ソフトですが、芯のぶれない逞しさを感じました。


小生が記憶している新聞社時代の青木さんは、人を寄せ付けないくらいの風格と威厳がありました。官舎で、集う学生を相手にマスコミ人として、あるいは人間としての魂を吹き込んだにちがいありません。私塾ながら、250人余りの有能な人材を、特にマスコミを中心に輩出しているようです。無念ながら、昨年末逝去、享年77歳でした。告別式の弔辞で、塾生を代表して原田亮介日経ビジネス編集長は「(塾生)ひとりひとりとは父と子の関係でした」とお別れの言葉を述べていたようです。


教え子らが、それぞれの媒体で、「先生」の訃報を記事にしていました。どんな思いで書いたのでしょうか?命を削るように、一行一行綴ったに違いありません。記者冥利。


天を駆け抜けるようなその人生の、時々刻々の断面を一冊の遺稿集としてまとめられているようです。7月3日には、偲ぶ会が予定されています。


花山さんが明日20日、青木塾の事務局長を伴って、事務所に来る予定です。「青木師匠」の思い出を語り、マスコミのあり方を問う一夜になりそうです。 原点。ぐるり巡って、いつしかまた戻るのでしょうか?


記憶を記録に!DNDメディア塾
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