◆ DND大学発ベンチャー支援情報 ◆ 2004/ 3/ 3 http://dndi.jp

もう一人の貴婦人。

DND事務局の出口です。桃の節句。花冷え‥。季節がいくつも巡って、その25年ぶりの邂逅に、内心、めまいがしそうなくらい、どぎまぎしています。


ある深夜、インターネットのホームページをザッピングしていた家内から、「あれっ!これ、あなたの記事じゃない?」の呼びかけに、画面をのぞくと、奥日光・小田代(おだしろ)ヶ原の広大な湿原の中央奥に立つ、一本のシラカバの樹を題材にした写真が、セピアにコラージュされていました。


「小田代ヶ原 いま貴婦人」(URL http://roba.brinkster.net/arita/index.htm)のタイトルの脇に、署名と日付、小生が昔、取材した記事のリード部分が掲載されていていました。ご覧になってください。その目映いばかりの作品の数々から浮かび上がるその一本の樹の美しさ、その写真の完成度と見事さに感心してしまいます。そして、当時の懐かしさから、しばし金縛り状態に陥ってしまうほどでした。


写真家の名前は、有田洋さん。栃木県・奥日光の5月。刷毛(はけ)で描いたような雲が流れ、周辺の湿原に幾種もの植物が一斉に、可憐な花をつけ始めます。遅い春の訪れです。昭和54年ごろ、「戦場ヶ原賛歌」という題名の連載企画で、奥日光ゆかりの人々を取材し、掲載した一人が、有田さんでした。きっかけは、地元・湯元温泉の老舗旅館の女将から、「ずっとその樹だけを撮りつづけている写真家がいるよ」とのヒントからでした。


「いま貴婦人‥」のホームページには、その連載の記事も一部、転用されています。これほどの巧みなカメラワークで多くの賛辞を受けながら、その裏で実は、その行為自体に自ら悩み抜いてもいました。それらからの有田さんの回想の一端を紹介します。


「昭和45年。大阪万博の仕事を終えて間もなく、あんつるさんと呼ぶ友人で、落語評論家の安藤鶴夫が亡くなった。ショックだった。それは、疲労と倦怠に追い討ちをかけた。12月下旬、かつて一度来たことがある奥日光・小田代ヶ原をさ迷い歩いていた。自殺志願。雪原の中央にポツンと一本のシラカバが、目に飛び込んできた」


「それがなぁ〜風にしなって耐えているんだ。ぐっと体を折るように曲げたかと思うと、また、しなって体を持ち上げようとしていた。何度も何度も繰り返すシラカバを見ていて、ハッとした。僕の蒙昧(もうまい)を木っ端微塵に打ち砕いてくれた」。


以来、そのシラカバを「彼女」と呼び、東京から奥日光の民宿「深山」を常宿にしながら年に80日余り、ずっとその一本の樹だけを撮りつづけてきた。昭和50年に最初の個展を開催、55年に2度目の個展を開く。戦場ヶ原賛歌の連載がスタートしてまもなく、追いかけるようにNHKが、TBSが番組を組んで放映しました。


反響が全国に轟いてきて、有田さんの存在以上に、小田代ヶ原のシラカバが一躍、アマチュアカメラマンのターゲットになってしまいました。


「小田代は変わった。来る人が増え、静けさが消え、原は荒れ、花は勢いを失い、車の音に小鳥は遠のく‥悲しい」、「湿原に一人が入る。次がその前に行く、次がまた入り、原の中に三脚が何十台も並ぶ。湿原保護の立ち入り禁止の立て札は効き目がない。足元の草花を踏んづけ、ゴミを捨てて平気だ。なんとも耐えられない」。


その場を目撃しました。有田さんは、ハンチングにジャケットを着たいつものスタイルで、心無い連中を声高に怒鳴っていました。何度も‥。訪れるカメラマンは最盛期、アザミの花が咲く夏、紅葉の秋の休日は数百人を越えていました。


シラカバの樹を撮って30年、その枚数も2万枚に及ぶ。冒頭に記した62年8月の記事は、栃木から東京本社社会部に異動してから記事で、「奥日光にある一本のシラカバに半生をかけた東京在住の老写真家が病を押して、最後の個展に執念を燃やしている」というものでした。


昭和60年に肺がんで右肺を手術、61年に急性肺炎で病床に臥し、でも、3度目の個展を是非、実現して欲しいーそんな願いを込めての記事でした。ホームページで初めてしりました。2000年2月逝去、享年85歳でした。有田洋は、ペンネームで本名は奥田敬次郎。「有」は、奥様の旧姓「有末」から、「田」は本名から、「洋」は一人娘の洋子さんからだが、続けて「ありがてぇよう」って言ってもいました。洒脱です。


ホームページに感想を伝えるメールに言葉を添えて出しましたら、数日前、奥田千代子さんから丁寧な手紙をいただきました。


「出口様、初めまして?!有田洋の家内でございます」との書き出しで、個展の開催に退職金を使い果たしたこと、3度目の個展は、健康であっても開催が難しい状況だったことなどが、達筆なペン字で綴られていました。


「家族の者だけでなく廻りの人の為にも、よく気を配って、何時でも何処でも先頭に立って動いて居ました」と語り、最後に「自慢の夫です」と締めくくっていました。茅ヶ崎へ行こう。84歳になられる、その夫人に会って、また自慢話を聞きたいものです。


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