◆ DND大学発ベンチャー支援情報 ◆ 2004/ 1/28 http://dndi.jp

学校へ行く理由

DND事務局の出口です。日々、何が楽しみかというと、ささいなことですけれど日本経済新聞終面の「私の履歴書」の連載です。あの経済学者、ジョン・ケネス・ガルブレイス氏が登場しているからです。


1908年カナダ生まれ。トロント、カリフォルニアの両大学に学び、49年にハーバード大学教授、インド大使、ケネディ政権の重要なブレインとしても知られていましたが、ニューディール政策や日本・ドイツの戦後復興策、ケネディ暗殺、それにまつわる次期大統領選の経済政策立案、衝撃的なケインズ理論登場、ベトナム戦争前夜などなど、まさにアメリカ近代経済史を直視し、関与した氏ならではのリアルな裏面史が淡々と綴られているからです。回顧録としては、出色です。平和主義の片鱗が見え隠れしています。


連載26回の昨日は、氏の著作の「豊かな社会」、そして「新しい産業国家」(河出書房新社刊、都留重人監訳、1500円)を取り上げていました。〜数少ない大企業が総生産で大きなシェアを占め、価格設定などで中小企業にない影響力を持っているという現実である。その影響力ゆえに、大企業は一定の計画を立てる事が可能となる。そして、計画を立て、投資を決めるような支配力を持つのは、以前のような資本家ではなく、企業組織内の専門家集団である。これを「テクノストラクチャー」と名付けた−と回顧していました。


棚に、大学のゼミで使った30年前のその本。ドキドキしながら、ページをめくると、第6章99ページの「テクノストラクチャー」の項に赤鉛筆で傍線がありました。〜現代産業のデシジョン・メーキングにおいて数多くの個人情報に依存し、かつこれらを評価する必要は、3つの主な理由に基づいている−とし、1,現代産業の技術的要請2,先進的技術、これに関する資本の使用、ひいては環境の統制を伴う計画化の必要から3,かかる各種の専門家した人材が必要で、これらの人材を調整する必要からーとの記述がありました。やや、翻訳がぎこちない感じがしますが、要点は鋭い。


本日の27回目は、「経済学と公共目的」、そして、流行語ともなった「不確実性の時代」の誕生の経緯に触れ、英国テレビのBBCの長期番組が発端であり、アダム・スミスからリカルド、マルクス、ケインズまでの学者の経済思想、そして関連する政治思想の歴史を追い、その番組が世界中で放映され、それを下敷きにした本が各国語に翻訳された−と書いています。日本では78年のベストセラー2位となりました。


御年95歳。う〜む。長寿は宝ですね、すでに記憶の外の、それも30年前の参考文献の著者が健在で、その歴史のひとコマを回想する−その歴史の断面に、ほんの少しでもコミットできることの充実感を、いま、ふつふつと味わっている訳です。大学で学ぶ−その意味がいまになってようやく分かった気がしました。


しかし、あれだけ圧倒的な人気の学者でありながら、近年、あまり表舞台にでてこなかったのは、なぜでしょう?小生が怠慢だったのか、あるいは他に理由があるのか?その連載では、その辺の疑問にも応えてくれる事を期待したい。


本の話をもう一つ。なぜ子供は学校に行かなくてはいけない?こんな素朴な疑問に答えたノーベル賞作家、大江健三郎さんの『「自分の木」の下で』(朝日新聞社刊、1200円)。夫人のゆかりさんのパステル調の丹念な挿絵とともに「感動のロングセラー」と言われています。


内容は、すでにご存じでしょうけれど、子息の光さんの体験から書き起こし、〜いま、光にとって、音楽が、自分の心にある深く豊かなものを確かめ、他の人につたえ、そして、自分が社会につながってゆくための、いちばん役に立つ言葉です−として、それは、国語じゃなく、理科も算数も、体操も音楽も、自分をしっかり理解し、他の人たちとつながってゆくための言葉です。外国語も同じです。そのことを習うために、いつの世の中でも子供は学校へ行くのだ、と私は思います−と教えてくれています。


まるで、暖炉のそばで静かにささやきかけるような大江さんの文章もさることながら、全編、理屈ではなく自らの実感を惜しみなく吐露されるところに、心が打たれました。


過日のテレビでその本が紹介されたのを家人から聞いて、家族総動員でくまなく書店を探し回って見つけた本でした。東京・築地の朝日新聞本社2階の近藤書店にありました。


その続編ともいうべき第2段『「新しい人」の方へ』(朝日新聞社刊、1200円)は、ぐさり、胸に突き刺さります。「黒柳さんのチンドン屋」から始まって「『新しい人』になるほかない」までの15章、なかでも「ウソをつかない力」の項では、これまでに会った先生や家族、先輩、友人のなかに、あの人に対して恥ずかしいことはできない、と思う人があるはずです−と前置きして、「小さいことであれ、自分がウソをつきそうになる時、ほんの短い間でいい、口をつぐんだままでいるのです。そして、あの人が自分を見つめているとして、このウソをついていいか、と考えてみることです」という。


なるほど〜ねぇ。なにか、振り返ると、記者時代なんてウソの連続だったかもしれません。いま、ようやく「新しい人」になれそうな気がしてきました。あれっ!「あの人が自分をみつめている」。


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