第1回 サービスイノベーション:お客様は神様か


 今日から「イノベーション戦略と知財」もプチリニューアルします。視点をより自由に広く保ちながら、知財、MOTの話題を中心に、筆者個人の感覚をなるべく研ぎ澄ますよう努力していきますので、ご支援ご鞭撻よろしゅうおたのもうします。第一回は、日本式サービスに関する一考察です。


「南京市のニュース」 
 何かと気になるお隣の大国、中国ですが、先日、家電量販店ヤマダ電機が南京に3店舗目を進出させたというニュースが流れました。南京市と言えば、河村名古屋市長の不規則な発言で、日中国交回復40周年を記念するジャパンウィークが延期された当の場所ですが、お店は無事開業したようです。


 ところで、南京市には、ジュネーブ時代にお世話になった三澤健一氏が昨年から日本語教師として現地の東南大学に奉職されておられます。外務省退官後、一から勉強して日本語教師になられた三澤さん。時々、南京事情を詳しく送ってくださいますが、なかなかの名文です。最近では北京駐在時に始めた書道を、東南大学の教授OBたち(もちろん全員中国人の方です)の会に入って再開したとか。チャイナスクールでもなく、中国語が堪能とは思えない三澤さん(失礼!)ですが、氏の人を惹きつける魅力の高さを改めて感じさせます。三澤さんが尽力して、ジャパンウィーク行事の一環の日本語スピーチコンテストを東南大学で行うことになっていましたが、上記の事情により延期され、本人は消沈されているかと思えば、全く問題なさそうです。


「日本式サービス」
 さて、ヤマダ電機の中国出店ですが、日本式の展示、サービスで現地でも人気とか。特に、中国人店員に日本式サービスを徹底教育しているところが受けているという話を、ワインを飲みながらしていたところ、同席されていた海外経験豊富な先輩から、異論がでました。日本式サービスは、ともすれば過剰であり、お客様に対して必要以上にへりくだっている。その結果、異常なクレームも甘んじて受けることになる。自己主張の激しい人が多い中国のような市場では、たちまち立ち往生するのではないか、との主旨です。


 なるほど。サービスイノベーションの議論の経験では、サービスには顧客満足を高めることが不可欠であり、加賀屋モデルなど秀でたビジネスモデルがある一方、それを成功させるためにはコストとのバランスが重要であることは昔から言われていたことです。そのコストをスリム化しつつ、最新のITの活用などによりサービスの質を高めて顧客満足度を高めるのがサービスイノベーションの方向性の一つでした。お客様を神様扱いしていればよいわけではないのです。


「お客様は神様、について」
 ここで、日本式サービスの神髄(?)である「お客様は神様である」が正しいかどうか、考えてみましょう。「お客様は神様」をググると、本当にたくさんヒットしますが、トップページでは接客業の方々の苦労話と、反対に客としての不満を訴えるものとが多いように見受けられます。接客する側では、前述の異論のように、異常なクレーマー社会日本を論じたものも散見されます。客としての不満は、筆者からいるとクレーマー的なものが多いように感じました。ふと、松下幸之助翁が関連したことをおっしゃっていたのではと見てみると、翁は「お客様は神様ではなく、お客様は王様」との至言を残されていました。荘厳な神様ではなく、わがままな人間そのものを連想させる「王様」という言い方は至極納得できますね。総じて、Web上では「お客様は神様」を、文字通り受け取る人は少ないのではないか、という印象を受けました。


「お客様の声に耳を傾けること、innovatorのジレンマだ」
  一方、顧客はサービス業に関わらず経営上重要なステークホルダーです。顧客の好み、動向を察知し、顧客の望む商品、サービスを提供することで売り上げを伸ばしていくのが企業経営の要諦です。そのため、セグメント別の顧客リサーチや満足度調査が頻繁に行われていますし、最近のSNSをはじめとするネット社会では、自動的に「あなたに適した製品」が画面上に示されることが定番のサービスになりました。しかし、ネット上のデータ数が多くなればなるほど、真実がかすんで見えてしまうように感じるのは筆者だけでしょうか。膨大な情報から本当に必要なものを抽出し、あるいは全体の方向性を俯瞰する、そうしたノウハウがないと情報の爆発の海におぼれてしまいます。セグメント別嗜好調査は年齢や性別だけではあまり当たらなくなったとも聞きました。個人の嗜好が多様化しているのでしょう。


 さらに、お客様の声に耳を傾け、「顧客の求めるもの」を提供することが正しいかどうかには大いに議論があります。例えば、Christensenの「innovatorのジレンマ」モデルを見て見ましょう。筆者はこのモデルの典型例として、デジタルカメラがフィルムカメラを凌駕した過程を説明に用いることがありますが、簡単に言うと、カメラやフイルムメーカーが、いわゆるマニアと呼ばれるヘビーユーザーの満足度、欲求を精密に調査し、その求めに応じてカメラもフィルムも高度化していき、例えばコダックと富士フイルムは、激しい「日米フィルム戦争」の水面下で、銀塩フィルムの最高峰ともいえる、デジタル情報を写真二個録するAPS規格を共同開発していましたが、その過程で、最初おもちゃ程度の性能と価格で、既存企業が無視していたデジタルカメラの性能が顧客の満足するレベルを超えた瞬間に、フィルムカメラや高性能なAPSフィルムは市場から消え去る運命を背負ったのです。これが、Christensenのモデルにきれいに当てはまります。このとき、「お客様の声を十分聞いて」開発に注力して行った企業がトップから一挙に敗者に転落したのです。コダックの破綻は最近のことですが、当時から(少なくとも筆者からは??)予測されていました。これは、「デジタル化」という産業革命に匹敵する大転換期のなせることでもありますが、「お客様」の言うことを聞いて破綻するのは象徴的です。(詳しくは当時のレポートを参照ください )


 さらに、古くはウォークマンなどや最近のipodの成功神話で語られていますが、これまでない商品、サービス、またはその新しい組み合わせ(つまりイノベーションですが)は、顧客はその存在を市場に出るまでは知らないので、開発前に市場調査しても何もわからない、という事実があります。


「お客様は、神様のように見えるが、王様である、としよう」
 つまり、情報の爆発社会、高度ネット社会の中で、「お客様」が何を指向しているかわからなくなっていることに加え、仮に綿密に調査してそれを把握できたとしても、それをそのまま経営方針にするにはリスクがある、さらに、イノベーションが受け入れるかどうかについては、お客様は未知である、ということです。


 ということは、「お客様」は何をしてくれるかわからない、ひどいこともするしうれしいこともする、これは、神様が何をお考えになって人類を導き、はたまた天変地異の試練を与えるのかと考えてもよくわからないという意味で、やはり「お客様は神様」なのかもしれません。


 しかし、それを踏まえた上で、経営論としてお客様をマネージするため、幸之助翁がおっしゃるように、「お客様は王様」として、神様のようにあがめ、畏敬するのではなく、批判精神を持ってお仕えし、必要なら言うことを聞かないように管理する、というのが正しいように思えます。


(本稿は筆者の個人的見解であり、所属する組織の見識を代表するものではありません。また、その著作権は筆者に帰属しますので、引用される方はDND編集部にご一報ください。*i)



(i)(橋本正洋、2004.10.22、「なぜ冨士とコダックは破壊的技術であるデジタルカメラへの参入が遅れたか?」東京大学大学院講義「企業戦略と組織マネジメント」(玄場公規准教授)提出レポートから抜粋)
・APSは、カメラ等の機器のデジタル化を反映させるものとして、フィルム上にデジタル情報を記録しつつ小型化をしたものとして位置づけられる。
・銀塩フィルムはコンシューマ用でもフィルム感度を高める方向として、ASA100から400へ進化等があった。
・その持続的技術であるAPSが出現。デジタル情報をカメラが利用できるが、画像そのものは銀塩フィルム技術。
・また、その補完として、現像所によるデジタル化(CD化)が行われ、コンピュータ上での画面に対する消費者の要求にも応えた。
・APSは緊張関係にあった富士とコダックの共同開発とのメリットもあったと考えられる。
・このAPSを追求していた両巨人は、結果的にデジタルカメラへの参入が遅れて、一部の市場では失地を回復できずにいる。
・APSは新技術としては、発売当初から消費者満足性は十分満たしており、技術の不確実性も既存技術の組み合わせという性格から低いものであった。
・一方デジタルカメラは、取り扱いも当初難しく、画素数など一般消費者への満足性は極めて低かったため、参入リスクは高いものだった。
・このため、写真フィルムの二大巨人である富士とコダックの参入はクリステンセンの指摘通り難しいものであったと考えられる。



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