第21回 東北復興ツーリズムと社会的企業


大震災とボランティア、そして社会的企業
 東北の太平洋沿岸部の被災地域は、元々過疎、高齢化に悩んでいた地域も多く、課題先進地域でもありました。大津波と震災で産業基盤が破壊され、財産と雇用と所得といった生活基盤も失われ、コミュニティが崩壊の危機に瀕しています。
 3.11の後に多くの若者がボランティアとして、被災者の救助や炊き出しや瓦礫の処理に参加してきましたが、一年半経って、報道は激減、ボランティアの数も大幅に減り、現在、大企業のCSR活動が底支えしているとか。


 その一方で、産業復興支援、雇用創出やコミュニティ再生に向けたNPO等の社会的企業(ソーシャルビジネス)の活動が目立ってきています。実績のある企業人が取り組んでいるものもあれば、社会的起業家を目指して挑戦する若者も多くいます。


 阪神・淡路大震災(1995)の後、ボランティアの活動の経験からNPO法が法制化(1998)されました。その後、NPOも含めて多様な主体が社会の課題をビジネスの力で解決していこうという社会的企業が増え、実績やノウハウも蓄積されてきました。


 私もつくばの地域ネットワーク活動のNPO「つむぎつくば」の創設や、濃淡はありますが、仕事の上でもコミュニティビジネス・ソーシャルビジネス支援に関与してきたことから、この10年間の成熟度は、確実に深化していると実感しています。


 民主党政権の下でも、「新しい公共」という政策が打ち出され、ボランティアや社会的企業活動に対して、支援税制や相当な予算も計上されてきました。「新しい公共」は、経済産業省同期でもある松井孝治・前内閣官房副長官が提唱し、力を入れてきた政策です。


 内閣府は、これら社会的企業を通じた被災地域の雇用を創出する事業として、被災沿岸部に600の社会的企業、2000のインターンシップを目指し、12のNPO等のグループを支援しています。これらのグループは、農林水産業の6次産業化や仮設住宅等のコミュニティ再生事業、防潮林の植林事業などの起業支援を行っています。


正田英樹さんとチャレコミ
 Facebook の「東北へ行こう」グループのご縁で、正田英樹さん(ハウインターナショナル社長、ETICフェロー)から連絡をもらったのは4月末でした。それ以来、正田さんは、東北被災地復興の導き役になっていただいています。


 

 正田さんの構想は、チャレンジコミュニティ(チャレコミ)という28団体・企業のグループを株式会社化し、自立支援型ツアーを進めていきたいという話でした。チャレコミは、これまで8年にわたり、ベンチャー企業支援や実践型インターンシップを行ってきて、1500の中小企業、50の大学・2万人の学生とのネットワークがあるとか。


 この自立支援型ツアーというのは、@経営者なら、経営支援を、A企業人ならマーケティングや販路拡大、技術等の支援を、B学生には実践的なインターンシップを通じて労働力の提供を行って、企業を支援することにより被災地における雇用と所得を生み出そうというものです。


 

 正田さんは、何と福岡県飯塚市!で、チャレコミのメンバーのIT会社の社長されながら、日本の代表的な社会的企業のETICのフェローとして、本件を担当し、一時は月に半分を現地での調整を行ってきたとか。


 

 ETICは、110人もの30歳前後の若者を「みちのく仕事」の現地リーダーの「右腕」として派遣し、それらの活動を応援しています。「みちのく仕事」は、被災地の産業復興やコミュニティ再生、教育、福祉など約50以上の事業に上ります。
http://www.etic.or.jp/


仙台平野と三陸への訪問
 6月下旬に、正田さんの案内で、仙台に近い名取市(6次産業化ファーム)、亘理市(グリーンベルトプロジェクト)、山元町(大規模先端施設園芸事業:農水省受託事業)の新事業をみてきました。いずれの事業にも右腕が派遣されています。


 例えば、名取市では、食関係のコンサルで、卓越した若手経営者である島田昌幸さん(株式会社ファミリア)がROKU ファーム(6次産業化ファーム)という地産地消の複合型レストランを年末に立ち上げようと準備中です。また、多賀城に土地を借り受け、障害者や被災者を雇用し、野菜を生産販売、加工し、そのレストランにも提供する予定です。


 また、9月にも正田さんと三陸地域を訪問してきました。今回案内してくれた「右腕」の成田好孝君は、起業を目指し、仮設住宅の居住者の生活支援を行っています。


 岩手の被災地については、北上市のNPO等が後方支援をしています。「北上の存在は巨大だ」と成田さん。行政機能を喪失した大槌や大船渡をNPOがサポートしてきたそうです。その代表が「岩手NPO-NETサポート」の菊地広人事務局長や「いわて連携復興センター」の葛巻徹事務局長。


 岩手の特徴は連携の良さだと言われています。明治にも、おそらくは江戸時代から、津波の被害の度に遠野など内陸部の集落が沿岸被災地域支援の拠点となってきたそうです。


 一般社団法人の「おらが大槌」は、最も活動的な社会的企業のひとつです。阿部敬一代表、臂徹事務局長、復興ツーリズム担当の臼沢和行さんにご案内いただきました。畑違いの分野から様々な人が立ち上げた復興食堂、空き家になった古民家をボランティアを動員して民宿に改装、震災ナレッジを教える大槌まちづくり大学、サフランや食用ほおづきなど6次化産業プロジェクトなどに取り組んでいます。


 観光庁の立場から、注目しているのがボランティアツーリズムや被災地学習ツーリズムです。JTBや近ツリなど旅行会社がボランティア旅行の商品を作り、旅行者を集め、「おらが大槌」は、地元受け皿になっています。これまで2000人以上を受け入れ、その2割がリピーターになっているのだとか。大企業がCSRとして採用していることも大きな力になっています。ガレキ処理などは一段落して、野菜栽培や漁業のちょっとした手伝いを行うものが多いようです。


 陸前高田では、「三陸に仕事を!プロジェクト」の千葉真木子さんと雫石吉隆さんにご案内いただきました。過酷な震災体験の語部をやりつつ浜のミサンガ「環」のリーダーで女性の内職を作り出してきた船砥千幸さん。ホタテ貝漁協の学生ボランティア受け入れにも尽力され、頑に拒んでいた漁協の方も今では学生のまじめな働きに感謝、たいへん頼りにしているようです。


 そして、ちょっと立ち寄った気仙沼の復興屋台村気仙沼横丁は、個々のお店が魅力的。経産省のKP会議でお会いした復興メディア隊気仙沼隊長の岩手佳代子さんにも再会できました。気仙沼大使として横町の顔になっているようです。


 南三陸では、被災地ボランティア・ツアーや子供達の猪苗代でのキャンプ体験を実施されてこられた、バタフライエフェクトの我妻慶里さんや小松崎玲子にご案内いただきました。体験型グリーンツーリズムと第二の故郷創造型ツーリズムとしての確立を目指しているそうです。


 佐藤仁町長の面会もアレンジいただきました。佐藤町長は、防災庁舎の屋上で正に九死に一生を得られる壮絶な体験をされました。農水産業と観光交流に活路を見出していきたいとのことですが、被災された方の前では「観光」と言う言葉は今でも口に出して言えないそうです。南三陸では、防災庁舎も保存か解体かで揺れていますが、外部の人や子孫に津波災害の現実を伝えるために私は残してほしいと思います。


復興に観光・交流の力を
ニューオリンズは、6年間で200万人が参加したボランティア活動と社会的企業の活動により、復興したといわれています。阪神・淡路大震災の時のように、これらのボランティアや社会的企業が東北を変え、日本を変える力をなっていくと思います。


 これらの復興支援活動を人の流れから見ると、正に観光・交流の力です。復興支援ツアー(ボランティアや体験学習に参加し、交流すること)が地元企業や住民を直接支援し、購買という形で間接支援し、雇用も生んでいます。チャレコミのような経営者等が参加する自立支援型ボランティア・ツアーは、さらに大きな力になるでしょう。


 東北で会ってきた方々は、成功や失敗を共有できる横のつながりを作っていきたいと言われていますので、ネットワーキングの会を計画しています。これをベースにしながら、観光交流のプロの知恵や行政の施策が活かせる連携基盤(プラットフォーム)が構築できればと思っています。


 正田さんのチャレコミは、いよいよ11月に株式会社として新たに設立される運びとなりました。今後、長く継続され、息の長い成功を願ってやみません。


 (以上は、個人としての見解であり、属する組織とは関係ありません。)



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