第7回 新興国の知財戦略(東日本大震災後の番外編)


 「新興国の知財戦略」の「アラビア」の次は「ベトナム」の準備をしようとしていたときに大震災が起きました。そのあと続きの原稿には今日までまだ手がついていません。今回は番外編です。


 本当にもの凄い地震でした。東北大の親しい研究者の安否がなかなか分からず心配しましたが、東北大全学で幸い人的被害はなかったとのことです1)。しかし実験系の設備が壊滅的被害を受けた研究室もあると聞いています。震源から遠く離れた東京駒場の私の研究室でさえ、機器類やパソコンなどが転落破損したのです。震源に近いところは想像を絶する激しさだったと思います。そしてあの凄まじい津波の被害。


 多くの方が被災され今もなお困難な状況におかれている方も少なくないことに心が痛みます。みなさまの関係者や御親戚も被災されているかもしれません。心よりお見舞い申し上げますとともに、多くの方々が亡くなられたことに心から哀悼の意を表します。そして今もなお被災地での救援支援活動で苦労されている多くの方々には頭が下がります。1か月近く経過してもまだ被災地の状況が改善されないと報道されており、阪神淡路との被害規模の相違を感じます。少しでも早く、被災地にかつての日常が戻ってくるようにと。


 私たちもその後の節電指示により照明・暖房も止め研究も一切停止の状態が続きました。ようやく4月に入って緩和していく方針になりつつあります。とはいえ大電力需要者である総合大学での電力事情は厳しく、震災前のレベルの電力使用はもちろん難しい状態です。また原発事故の影響もあって留学生が帰国しているなどもあり、新学期の行事も一部の研究科では1カ月延ばして5月開始になるなど異例の対応になっています。このような状況は東京首都圏の他大学でも同様だと聞いております。研究教育活動を停止させてしまうわけにもいかず、研究室や学生を抱える教員はみな苦労していると思います。


 今後は復興というキーワードで様々なことを考えていかなければならないわけですが、今回の原発事故をめぐる現政権と東京電力幹部の対応をみていると、我々が自然災害の復興だけでない大変困難な事態に直面していることを感じざるを得ません。詳しいことは書きませんが、原発事故に対する対応は理解に苦しむことが少なくなかったと思います。ヘリコプターで水を投下する場面はその象徴でした。プールの容量の大きさからすれば殆ど意味がないばかりか、下から少しずつ水を投入するのであればともかく、高温になっているかもしれない脆性の多量の核燃料に、上から一時にバルクの水を投下すれば水蒸気爆発の危険もあることはきっと分かっていたはずです。それがどういう意思決定を経たのか分かりませんが、現実に行われてテレビに中継されているのをみて正直やりきれない気持ちになりました。幸い的外れな放水だったので事故も起きなかったのだと思いますが、その他にも理解に苦しむ対応を聞かされるにつけ「大震災で国が滅びるのではないか」ではなく、もう現実に「国の機能は滅びてしまっている」のではないかとさえ思いました。現場だけが頑張って国らしきものを支えているだけなのではないかと。


 これからの復興というときに、災害で壊れたものを創りなおすということに加え、国の組織の再生をしないと、本当の復興にはならないかもしれないと気がつかされたというところでしょうか。


 もっとも世直ししようにも、手をつけるところは自分の周りからしかありません。私は世の中を少しは良くできるだろうと思って、もともとの材料の研究に加えて、イノベーションや知財の戦略的管理に関する研究をやってきたつもりです。実証研究ですから取得したデータからどのような真実が導き出されるかという結果は、どのように世の中が変わろうとも変わることはないのですが、その結果をもとにして何らか施策を主張することになります。しかし現時点で、過去私の書いたものや講演の要旨を改めでみると、この大震災でもう通用しなくなっているものも少なくないことに気がつきます。電力がないところにハイテク産業の立地を進める施策は通用しませんし、破壊された原発との長い不安な共存が何年も続く地域に、優秀な外国人をあつめて云々というのも難しくなったと思います。リーマンショックでも随分発想を変えないといけなかったのですが、今回さらに今まで以上に発想を転換する必要に迫られているのです。


 ただ需要が蒸発したリーマンショックとは異なり、当面復興需要があるため内需は見込めるし、新興国市場は引き続き堅調と思われます。その意味で我々が持っている知識を製品やサービスに効率よく変えさえすれば、しばらくは需要があるという点で、リーマンショックとは異なると思います。現下の需要に対応する生産を復活しつつ、厳しい環境の中で将来の雇用や競争力も維持する戦略をすすめていく。そのようなことができるようにするにはどうしたらよいか。そこに現時点でのイノベーションと知財戦略の役割があると思います。


 試みに今考えるべきこととして3つあげてみようと思います。第1に、今それこそ平時であれば絶対にできないイノベーションにつながるかもしれない壮大な社会実験がなされていることに着目すべきです。計画停電もその一つですが、この経験で色々な試みを行い、データをしっかり取って次に役立てなければなりません。簡単なところでは夏場にオフィス街で電力供給を止めたとき、室温は上昇するでしょうが、逆に外気温は下がるはずです。どの程度下がるかは興味深いところです。停電のパターンにも関係するでしょう。熱容量のあるビルがある程度冷えていて散水などとも組み合わせれば、短時間の停電ではそれほど室温の上昇はないかもしれません。そういう単純なデータだけでも夏場の節電のヒントになるのではないでしょうか。


 もちろんこれから極めて重要になるスマートグリッドの実証実験は、この際多少停電のリスクがあっても進められるかもしれません。電力だけではなく、交通や通信、福祉などでもいろいろアイデアを出して現実社会での実験を進めたらいいと思います。もともとシーズ側の研究だけで現実社会へのあてはめができず実用が滞っていた技術も多いのです。この機会に世界の誰もが実証できなかったデータをとってイノベーションにつなげていくことです。大学の研究者はこの機会に日本を明るく前向きにするための斬新な社会実験の提案をするべきです。実際、若手の学者がそういう提言2)をしている例もあって心強く思います。政府や企業は若手の研究者がこういう提言をするのを是非応援するべきでしょう。このような試練の時代に、社会に目を向けた次の世代の研究者は、きっと日本の将来を明るくしてくれるはずです。


 第2に、社会実験の結果を現実社会に実現していくための、社会的ネットワークによるイノベーション振興ということを考えるべきだと思います。国の財政にもともと余裕がなかったところにこの災害です。外国からの投資も減るでしょう。文字通りの物理的な復興だけでも財源に四苦八苦する状況の中で、イノベーションや知財振興に簡単にお金が回ってくることに期待すべきではありません。被災地の復興も助け合いですが、イノベーションも同じです。この際大学や企業や自治体など現場のネットワークを強化して新たな価値を創造しようとする活動を盛り立てていくことが重要です。その基盤は既にできているはずで、従来から産学連携振興をやってきたのはこのときのためです。私たちは大学発ベンチャーの研究をやっていますが、そこでは社外のビジネス面でのネットワークがベンチャーのパフォーマンスに大きな影響を与えているというデータが見出されています3)。お金も人材も足りないベンチャーにとって、社外との関係性が重要なのはいうまでもないことですが、イノベーションをおこす内部資源が不足するという意味では、今後は大手企業も同じようなものです。このとき大切になる社会的ネットワークとはすなわち絆のことです。今後は絆を重視してイノベーションを誘発する戦略が重要になるのだと思います。


 そうは行っても基盤となるイノベーションインフラが足りない、国際競争力を維持するにはもっと足りなくなるという事態に陥る可能性が高い。東日本では今後当分続く電力制限の影響も大きいでしょう。バランスシートが悪くなる企業の研究開発活動もさらに縮小する可能性が高い。国の研究開発予算も益々厳しくなるなかで、国際競争力という面では何もしなければ弱体化は避けられないでしょう。もともとこのシリーズでも紹介しているように新興国の最近のイノベーションインフラの急速な充実と比較して、日本では財政の悪化で十分な研究開発投資ができなくなるなど様々問題があったわけです。この点はまさしく新興国の知財戦略での議論のテーマですが、今まで以上に「知識を製品やサービスに変えるプロセス」をオープン化して生産性をあげること、欧米や新興国との連携でそれを実行することで、不足する資源を補っていくしかないのではないかと考えています。これが第3のポイントです。具体的にどうすればよいのかについてはこのシリーズの後半でまた議論をしていきたいと思いますが、むしろこのような動きは今回の震災でより加速する必要が出てきたということだろうと思います。というようなことを一巡考えた内容を盛り込んで、このシリーズの後半をさらにパワーアップして続けていきたいと思います。


 桜が咲き始めました。石原都知事が花見はダメといっているようですが、今年も満開の桜を見ることができる幸せを皆さんと共有できればと思います。今後ともよろしくお願いいたします。


 追伸 この新興国の調査等でお会いした中国、ベトナム、サウジ、韓国など多くの国の方々からも励ましのメールをいただきました。心から御礼申し上げます。



参考

1)東北大学(緊急連絡 2011年4月1日14時更新)
http://www.tohoku.ac.jp/japanese/
2)例えば化学工学会による「大震災による東日本の電力不足に関する緊急提言」
http://pari.u-tokyo.ac.jp/earthquake/plan_SCEJ.html
3)平成22年3月24日〜平成22年6月3日にかけて大学発ベンチャー企業のうち1,352社に対して 行ったアンケート調査(経済産業省と東京大学との共同調査、近日中公表)。


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