第53回 「ふるさとの絆」の巻


 3月11日を挟む1週間は、故郷宮崎と接することの多いものでした。まず8日に、4月から宮崎に戻られる、故郷の新聞の東京支社報道部長とランチ。彼はこの1年、宮崎出身の国家公務員を毎月取り上げる企画を作り、私も取材を受けました。東京におりますと、そのような企画は全く流行らなくなった御時世だと感じていたところですが、故郷の新聞というのは有難いもので、顔写真付きの記事が掲載された後には、ふるさとから色々な応援メッセージを頂けました。彼と最初に飲んだ際、互いの母親が宮崎でのオペラ公演で共演したのを共に見に行っていたという、高校の後輩である以上に深い縁があることが判明し、大いに盛り上がりました。在京中、精力的に人的ネットワークを構築されていたようで、昨年10月末に飲んだ際には、年末まで空いている平日夜が全くない状況と伺い、素晴らしいことだがくれぐれも肝臓を大切に、と先輩としての一言も添えました。8日のランチの際にも、既に月末まで送別会がぎっしり詰まっている中、彼の送別会をしたいという方からの携帯コールがかかってくるような状態でした。故郷の本社の要路にての更なる御活躍を期待しております。


 さて、毎週末、実家の両親とFAXのやり取りを行うようになって久しいのですが、10日のFAXで母から、「アンパンマンのマーチという歌が東北の被災者の方々を勇気づけているということで、明日のNHKの震災関連の番組の中で、その歌を歌っている寺田姉妹が出演するらしいから録画して見て。」というお知らせがあり、11日の夜、その番組を見ました。この寺田姉妹は、かつて声楽を母に習いに来ていまして、私の同級生でもあり、同じ年に上京してきた間柄。彼女たちが合唱の一員として出演するから見に来てと言うので、年末のN響の第9を初めて聴きに行ったのが大学3年の時でしたが、それが年末に第9を聴くきっかけとなりました。最後に会ってからほぼ30年が経ち、どんなふうになっているのか少しドキドキしながら画面を見つめておりましたが、当時の可愛いツインの面影がしっかり残っておりました。願わくは、もう少し落ち着いた舞台衣装の方がベターなのではないかと思いましたが、主な聴衆である幼児向けになっているのでしょう。元気に活躍しているのが分かり、良かったです。ところで、もし再会する機会があったら、彼女たちは私の風貌をどう思うかなあ。


 そして14日の夜は、6年ぶりに故郷に戻る、高校の同級生の送別会。在京の同級生16名が集まり賑やかでした。主賓は宮崎県庁の職員で、県のアンテナショップ“KONNE”(新宿南口にあります。是非いらっしゃって下さい。)勤務の後、引き続き県東京事務所の企業誘致担当課長を務めてました。KONNEの方は、前知事の高アピール性のおかげで県産品の全国的知名度が格段に上がっていくプロセスでの勤務で、やり甲斐に満ちていたと思われます。一方、企業誘致の方は、日本の景気低迷及びグローバル化の進展というマクロ的状況に加え、故郷を襲った、口蹄疫・鳥インフルエンザ・新燃岳噴火というトリプルパンチのダメージで、さぞやしんどかったろうと推察しますが、にもかかわらず、今年度は9件の企業誘致を果たせたそうで、良く頑張ったなと思います。「是非6年間の経験を活かしつつ、故郷をより良くするための意識喚起役をしっかりやってくれ、応援するから。」という言葉を贈りました。


 こういう1週間を送っているさなか、ふと、昨年度講義をさせて頂く御縁を頂いた、岩手大学教授に御連絡を致しました。本業の御研究の他、少壮の時代から地域振興や産学官連携に関して著名な先生でしたが、培ってこられた岩手県内外の人的ネットワークをフル稼働させつつお元気で活動されている状況を、これもまた、同教授らしい飾らない語り口で御報告頂きました。「今年度は岩手県に行く機会が無かったけれど、同時に講義を担当した御縁で同教授にお引き合わせ頂いた法務省の局長と先般お会いし、経済産業研究所でのランチタイムセミナーでお話しすることを御快諾頂いた」という私からの御報告に対しては、 とても喜んで頂けました。来る新年度も、こうしたさまざまな御縁を太い絆にしていくことを心がけつつ、毎日を送って参りたいと念願しております。



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