第51回 「クメールの微笑みを」の巻


 昨年末、カンボジアに旅してきました。ほんの20年ほど前まで戦乱の地であった国。シアヌーク殿下、ポル・ポト、明石代表の国連カンボジア暫定統治機構、選挙実施プロセスでの日本人ボランティア及び警察官の殉職等、限られた知識を断片的にしか持っていませんでしたが、ついに念願のアンコール遺跡を訪れることが決まってからの1ヶ月、図書館からカンボジア関係の書物を沢山借り、にわか勉強して臨みました。


 訪れた中で最も印象に残ったのはバイヨン遺跡。観世音菩薩のお顔を東西南北の四面に彫った石塔が並ぶ遺跡ですが、惚れ惚れする眺めでした。「クメールの微笑み」と称されるお顔、3つのお顔が並んで見える場所(ちなみに、3つめのお顔を、カンボジア人ガイドのクンティアさんは、京唄子に似ていると紹介してました)、高所にある横顔の観世音菩薩とキスしているような写真が撮れるスポット等、撮影ポイントが目白押し。元来仏像好きな私には、一日居続けても飽きないと思わせる遺跡でした。


 アンコールワットは、朝焼けをバックにしたシーンが最も美しかったです。手前の赤い睡蓮が咲き誇る池の水面に映る上下反対の建物(逆さアンコールワットと称する)とセットになった景色もうっとりさせるものでした。スポアンという大木が遺跡を破壊しつつあるさまがそのまま見られるタ・プローム遺跡や、赤茶色の遺跡で「東洋のモナリザ」と言われる女神像があるバンテアイ・スレイ遺跡も素晴らしかったです(朝焼けのアンコールワット以外は、いつも吹き出る汗でしたが)。


 遺跡以外で印象に残ったことの一つ目は、道路のデコボコぶり。舗装はしてあるのですが、平らかな路面にする技術が不足しているようで、長時間車に乗ったら、私のようなやわな人間は間違いなく腰を痛めそうと思いました。二つ目は、幼稚園児のような小さい子供達が何がしか働いている(ように見える)こと。遺跡の入り口に彼ら彼女らは色々な土産物を手にして待っており、観光客が通ろうとすると売りに来ます。彼らが連呼する「いちドル、いちドル」という言葉が今でも耳に残ってます。乾期の今は琵琶湖の3倍、雨期には9倍!になるというトンレサップ湖にある養魚場にいた水上生活者の幼い兄妹は、一寸法師のようなタライに乗って登場。妹が大きな蛇を首に巻いていて、それを写真に収めた観光客に兄が「いちドル」と要求する仕組みで、払わなかった客に兄が「おい、キタロー!」と怒りの言葉を投げつけていたのには驚きました。


 戦火が止んで一世代。戦乱時代のことを思い出したのが、アンコールワットのレリーフの、顔が削られた阿修羅の説明の際で、ポル・ポトが阿修羅であるとして削られたとのことでした。しかし、その時以外は、戦乱時代を想起させる物事には遭遇しませんでした。アンコール遺跡観光の拠点のシェムリアップ市内から30分程郊外に出ただけで水や電気が通っていない状況あるいは先述のような道路の状況といったインフラの問題、さらには義務教育の制度が無いといった問題等この国が克服していかねばならない課題は多いでしょうが、やっと平和裡に発展を追求できるようになったカンボジアの人々が、みなクメールの微笑みを湛えつつ幸せに暮らしてゆけることを観世音菩薩と共にお祈りしつつ。



記事一覧へ