第43回「エルベとの出会い」の巻



エルベ川


 GWに旧東ドイツのエリアを旅してきました。訪れた街は、ワイマール、ドレスデン、ライプチヒ、アイゼナハです。ワイマールは、ゲーテが約50年暮らした街であり、第1次世界大戦終了後のワイマール共和国・憲法で有名。ドレスデンは、ザクセン公国の首都として栄え、荘厳な建築物を擁し、オペラファンには憧れの歌劇場を持つ街。ライプチヒは、バッハが長らく教会の楽長を務めつつ住み、1989年の大変革の口火を切った街。アイゼナハは、バッハの生地で、ルターが聖書を独語訳した城を擁し、この城はワーグナーの歌劇タンホイザーの舞台としても有名。こうしたドイツの文化と歴史がぎっしり詰まった街々を巡り、好天にも恵まれ充実した1週間でしたが、本日は、ドレスデンに焦点を当てて書こうと思います。


 大のオペラファンの家内にとっては、何と言ってもゼンパー歌劇場がこの街のお目当て、さらには今回の旅全体の白眉とも言える存在だったようですが、私にとっては、この街を流れるエルベ川をこの目で見ることが一番の楽しみでした。高校生の時に読んだ第2次世界大戦の本に、戦争末期に、西側から攻めてきた米軍と東側から攻めてきたソ連軍とが、この川のところで出会ったシーンが"エルベの出会い"として写真付きで掲載されていました。それ以来、その歴史的舞台となった川を一目見てみたいと思っていました。約30度という予想外の暑さの中、翌日の祝日(メーデー)を控えお祭りの最中で賑やかな雰囲気の中心街から、階段を上ってテラスへ。初対面のエルベ川は、ゆったり穏やかに流れていました。


 今回、旅する前に少し勉強したところによると、ドレスデンは、戦争前には欧州で屈指の美しい街と称えられていたのが、1945年2月の連合軍の空爆により、一夜にして灰燼に帰したそうです。出発の直前に家内が、その名もずばり「DRESDEN」という映画があることを発見し、近くの大手レンタルビデオショップに借りに行ったところ、札幌に1つだけあることが判明、帰国後にそれを取り寄せて見ました。ヒロインのロマンスを描いた部分に解せないところがあったものの、基本的に私の趣向に合った作品で(主導して借りてきた家内は、ドレスデンの復興過程がもっと描かれている作品を想像していたらしく、思いの外、戦争や手術のシーンが沢山出てきてゲッソリしてました)、特に空爆当日を描いた部分には、ぐいぐいと引き込まれました。そして、1945年2月の時点で既に戦争の帰趨は明らかになっていたのに、ドイツが降伏しなかったがために、ドレスデンに悲惨な日が訪れたということを強く印象づけられました。そしてほぼ必然的に、ドイツの降伏よりも3ヶ月以上白旗を上げるのが遅れたために、悲惨な沖縄戦や2度の原爆という歴史を刻んでしまった我が国のことに思いが行きました。


 この5月15日に、沖縄は復帰40周年を迎えました。私事ながら、父が沖縄出身で、祖父一家の本州への疎開があと数ヶ月遅れたら、私はこの世に生を享けていなかったかもしれません。もちろん、人間は未来しか変えていけない訳で、沖縄の発展のための努力を今後も行い続けていかなければなりませんが、沖縄のことを考える際には、同時に、昭和の歴史について振り返り、沖縄が1972年まで日本から分断されることになってしまった愚を繰り返さないということを、我々は肝に銘じることが大切だと思います。そして、ドレスデンを一日にして破壊され、その後、40年以上にわたり東西に分断されてしまうことになってしまった愚を繰り返さないとするドイツ、また、そういうドイツと連帯して平和な欧州を築こうとしている国々とも一緒になって、戦火のない世界を目指していくことが日本の重要な役割だと改めて思います。



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