第38回 イカとシカ


 皆様、大変お久しぶりです。東京大学に在勤中、「一隅を照らすの記」を連載していましたが、東日本大震災の後、かつて「もっと!関西」を連載していた頃からの、マクラとオチをつけつつ軽いタッチで書くというスタイルでのコラムに、前向きな気持ちで取り組むことができなくなりました。その後、昨夏には霞が関に戻ってきて、以来ずっと独立行政法人改革への対応に追われる毎日でした。本年、尊敬する元当省事務次官の先輩から、「一隅を照らすの記」を続けていますか?と記した賀状を頂戴し、また先週、出口編集長がオフィスに訪ねて来られて、「たまにでも良いから、また書いて下さいよ。」と仰って頂きまして、独法改革対応の仕事が1月20日の閣議決定で一区切りついたこともあり、久々に筆を執ることにしました。


 今回は、年始の休みに読んだ一つの本と鑑賞した一つの映画について書きたいと思います。本は、「イカの哲学」です。不思議なタイトルに惹かれて手に取りました。著者は、波多野一郎氏&中沢新一氏。特攻隊の生き残りで、シベリア抑留も経験した波多野氏の「イカの哲学」という書物に、21世紀に通じる思想を見出した中沢氏が、議論を展開した本です。波多野氏は、シベリア抑留から解放された後、スタンフォード大学に留学中、学費を稼ぐために、モントレーの漁港で、水揚げされたイカを箱詰めにして冷凍に回すという仕事をします。そして、その仕事をしているうちに、独創的な思想が閃きます。その時閃いた思想を基に、後年、帰国後、病魔に侵される中で書き上げたのが、イカの哲学の原文です。原文の中で、最も印象に残った部分は、著者自身をモデルとした大助君が、歓喜に満ちた叫び声を揚げるところでした。イカ、じゃなかった、以下、その抜粋です。


 「そうだよ!!大切なことは実存を知り、且つ、感じるということだ。たとえ、それが1疋のイカの如くつまらぬ存在であろうとも、その小さな生あるものの実存を感知するということが大事なことなのだ。この事を発展させると、遠い距離にある異国に住む人の実存を知覚するという道に達するに相違ないのだ。」今や、彼は数万のイカとの対面を続けている中に、世界平和のための鍵を見付け出したのであります。乃ち、相異った文化を持って、相異なった社会に住む人々がお互いの実存に触れ合うという事が世界平和の鍵なのであります。(抜粋終わり)


 一方、映画は、「ディア・ハンター」です。1978年度のアカデミー賞作品賞を取った映画で、御覧になった方も多いと思いますが、私は、この正月に見たのが初めてでした。ベトナム戦争物でしたが、戦争そのものの場面は予想よりずっと少なく、ロバート・デ・ニーロ演じる主役(マイケル)を含む3人の仲間が出兵するまでと、戦争が終わってからのシーンが充実していました。出兵直前に、出兵する3人を含めた友人同士で鹿狩りに行く場面があり、シカを一発の銃弾で仕留めるということが深い意味づけを後のシーンに与えているのですが、印象深かったシーンの一つに、その鹿狩りの際にはシカを一発で仕留めたマイケルが、帰還後にまた仲間たちと行った鹿狩りでは、彼の腕前なら当然仕留められるシカを、あえて外して(私にはそう見えました)逃がしてしまったシーンがありました。帰還せずにベトナムに残った仲間の1人の衝撃的な最期も相まって、テーマ音楽のギターの調べが数日は耳元にいつも蘇ってくるようなインパクトを受けた映画でしたが、少ししてから、「ディア・ハンター」の鹿狩りのシーンは、「イカの哲学」と同じことを伝えようとしているのではないかと思えてきました。すなわち、私の言葉として記せば、「生きとし生けるもの全てへの共感が世界を平和に導いていくために不可欠である。」ということです。


 家内にも「イカの哲学」の一読を勧めたところ、ある晩、「イカめし」が食卓に供されました。イカとシカとを結びつけて考える癖がついてしまい、「イカ・シカ」という言葉は、「生か死か」という言葉とも通じるなあなどと、勝手に得意になっていた私は、このイカめしを目にしたときも、家内に、「イカだけ?ベニソンは無いの?」と質問しようと思いましたが、「イカしか無いわよ。」という回答がくるだけかなと想像し、イカ君に有難うと囁きかけながら美味しく頂きました。



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