第22回 「金曜日の君たちへ」の巻


 約25年前、"金曜日の妻たちへ"というドラマが一世を風靡したことがありました。"金妻"という言葉が流行りましたし、ドラマの舞台とされた田園都市線の知名度も高まりました。私自身は、旧通産省若年兵の時代で、ドラマは一度も見たことが無いのですが、主題歌の"恋におちて"は、カラオケで周りの女性陣たちが歌うのを聞いて好きになり、毎度、女性陣の誰かに歌うように勧め、誰も歌わないときには自分で歌ったりまでしました。内容の道徳的側面は棚に上げまして、締めの"I'm just a woman (アーア)Fall in love" というメロディーは良かったですねえ。


 さて、東京大学では、駒場キャンパスにおいて、金曜日の夜に、高校生を主たるターゲットとした特別講座を行っています。毎回、文系・理系にまたがって、魅力的なタイトルの講演が行われていて、かねてより私も出席してみたいと思っていたのですが、先月末、やっと出席できました。渋谷で、半蔵門線(そのまま乗っていると田園都市線になって金妻ゾーンに行ってしまいます)から井の頭線(田舎から上京してきて最初に親しんだ線で、今でも特別の思い入れがあります)に乗り換えて、久々の駒場キャンパスへ。開始15分前に着いたのですが、会場は既に満杯に近く、ポツンと一つ空いていた席におずおずと着席。左は女子高生と母親の2人組。右は女子高生単騎。前は女子高生3人組。後ろも女子高生のグループの様子。こういう環境は生まれて初めてかも。少なくとも、実質男子校生活を送った東大キャンパスにおいては初めての経験。早く講演、始まらないかな。集中、集中。しかし、本日の講演者の先生、新聞社の緊急懇談会(5月29日付け読売新聞朝刊を御参照下さい)に呼ばれ、帰途、高速道路トラブルに巻き込まれて15分遅れで講演開始。


 演者は、山内昌之東京大学大学院総合文化研究科教授で、タイトルは、"なぜ歴史を学ぶのか 世界史と日本史を理解するために"でした。山内教授御自身あるいは先人たちの珠玉の言葉が次々と登場する圧巻の講演でした。例えば、「事実や歴史に詳しいということは、交渉家が敏腕であるために大切な素養。なぜなら、理屈はしばしば不確かであるため、たいていの人間は前例に従って行動し、同じような場合にどうであったかを基準にして、決心をするものであるから。」という言葉は心に響きました。「君たちがこれから海外に行ったとき、まずもって聞かれるのは、日本のことです。」との高校生への呼びかけに始まり、日本人が日本史・日本文化を知らない不条理、世界史と日本史を双方孤立させて学ぶのではなく、世界史の中に日本史を位置づけつつ学ぶことの大切さ、世界史と日本史との同時代性について意識すること等を様々な事例を挙げつつ話してゆかれました。橘曙覧(たちばなのあけみ)という幕末の詩人の「たのしみはそぞろ読みゆく書(ふみ)の中(うち)に我とひとしき人をみし時」という歌を紹介されつつ、御自身が歴史を勉強される楽しさも、自らと同じ考え方をしている先人と出会うことにあると仰っていたのも印象的でした。


 さて、講演終了後、高校生たちからの質問の時間になりました。会場からの質問者は、全て中国から日本に留学してきている高校生でした。何となく最近の大相撲の状況を想起していたら、最後に、ネット配信されている地方の高校から、「歴史から学ぶべきリアリズムとは何でしょうか?」という日本男子の質問が。山内教授の答えは、「ある物事を達成するに当たっては、さまざまな条件、制約というものがあり、その中で、物事を達成してゆくプロセスを学ぶということではないか。理想や希望を叶えようとする思いは大切であるが、それだけでは、物事を達成することはできない。」翌日の読売新聞を読んだ高校生諸君は、山内教授の考えをより深く理解できたことでしょう。いずれにせよ、春秋に富む時期にこんな素晴らしい講演を聴いたら、勉学への思いがかき立てられることは必定で、参加した高校生の皆さんは羨ましい限り。早速、田舎の母校にも本講座のことを連絡しました。私自身も、"I'm just a middle-aged man(アーア)Fall in love with study"(字余り失礼) という気持ちになった金曜日でした。



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