第19回 「余暇考」の巻


 GWが近づいて参りました。本日は、余暇について一筆。私は、通産省入省後の最初の配属時に、余暇開発室という組織の室員でありました。本務は産業政策局産業構造課の課員で、余暇開発室には併任という形でした。産業構造課は、日本の経済、産業構造を中長期的に俯瞰して、適切な産業政策を講じていくことをミッションとしていましたが、その一環で、余暇に係る経済的側面、産業的側面を考えて適切な施策を打っていこうということから、余暇開発室が産業構造課と一体化して設けてあったと記憶します。しかし、生身の新兵卒としては、当時、残業恒常課(1年目、末席時代の平均帰宅時間は、午前4時でした)と称される忙しさの産業構造課で、そもそも自分の余暇が全くないという状況下、余暇開発室室員であることにアイロニーを感じたものでした。2年生の時に、21世紀経済社会の基本構想というビジョンを産業構造課で作成した際、夏休みを返上して余暇開発に係る部分の調査を行ったときは、何とも切なかったです。


 こんな経験があるので、余暇という言葉には、ちょっとした感慨があるのですが、じっとこの言葉を見ていると、いかにも、余分な時間という感じがいたします。人生の持ち時間トータルから、睡眠等の生存に必要な時間を引いて、さらに労働時間を引いた、残りの時間。しかし、この余暇と称される時間をいかに豊かに過ごすかが、人生にとって極めて大切であることを、私自身、ようやく納得感を持って認識できるようになりました。産業政策の観点から余暇のことを考えていた23歳の時には達することのできなかった境地です。日本でもワークライフバランスという言葉が人口に膾炙してきたものの、バランスという言葉からは、労働に偏りすぎていた時間を生活に再配分するという時間の量的な感じしか伝わらない気がしますが、ライフの時間を質的にいかに充実させていくかという点がとても大切に思えます。人生トータルで考えると、いわゆる余暇の時間というのは、労働時間の3倍以上あるそうで、全く、"余った"時間どころではない訳です。主体的に、大切に使っていかないと、ほんと、もったいないですよね。


 東大及び京大で最も読まれた本としてリバイバル人気の外山滋比古先生の「思考の整理学」に、ビールの発酵になぞらえつつ、論文を書く作法について書かれた箇所があります。素材に自らのアイデアを加え、寝かせて、テーマが発酵してくるのを待つ。"発酵が始まったとなれば、それを見すごすことは、まずないから安心してよい。自然に、頭の中で動き出す。おりにふれて思い出される。それを考えていると胸がわくわくしてきて、心楽しくなる。そうすればすでにアルコールの発酵作用があらわれているのである。"と書かれています。これは、学生向けの指南として書かれている訳ですが、この文章に触れて以来、自分の余暇、もといライフの時間を、この種を寝かせて発酵を待つ行為のためになるだけ使いたいと思うようになりました。その際、時々は、ワイフと共に。では、皆様、良いGWを。



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