第9回 「みろくとともに」の巻


 前回は、ベルリンの壁崩壊から20年の事を書きましたが、世の中には、もちろん、色々な20年があるわけで、先般行われた東京大学気候研究センターの公開講座のタイトルも、"気候研究の20年"というものでした。気候問題に関する政府間パネル(IPCC)が設立されたのが1988年、その第一次報告書が出されたのが1990年で、その翌年に、上記気候研究センターが発足したそうです。今では、地球温暖化に係る報道に接しない日は無いくらいになっていますが、まだ20年の歴史なのですね。


 一昨年に発表されたIPCC第4次報告書では、地球温暖化現象の発生について科学的に確度が高いことが示され、気候研究センターは、この報告書の作成に大きな貢献を行ったそうです。当日の講師の一人の渡部雅浩准教授によると、同報告書では、地球全体の気温上昇だけでなく、社会的に影響の大きな台風や熱波等の予測も行われているが、このような極端気象現象の予測は20年前にはできなかったとのこと。一方、近年の北極域の海氷面積減少を正しく予測できていないし、また、気候変化を先に与えて許容されるCO2排出量を考える(逆問題と呼ぶ由)ためには炭素循環まで含む地球システムモデルが必要であり、IPCC第5次報告書を見据えて、より確実な将来予測のための研究を行っていきたいと話されていました。


 さて、当日の講座は、3人の講師による講演の後、その方々によるパネルディスカッションとなっていたのですが、司会役の佐藤正樹准教授が、「司会という役回り上、本来自分の研究内容について喋るべきではないのですが、本日はどうしても皆様にお話ししたい!」という口上の後、話されたのが、地球シミュレータ(出ました!)を用いた気候モデリングの話。上記のIPCC第4次報告書作成に貢献した時点では、世界最高速のコンピュータだったのが、今や、30位にも入らず、「我が国には、次世代スパコンプロジェクトが不可欠なのに、今回の事業仕分けで凍結されたら、それは、スパコン開発における日本敗退を意味します。」「今、研究者間の挨拶言葉は、事業仕分けです。」と語っておられました。世界で初めての解像モデルの開発者で、気候モデリングで世界を牽引しておられる気鋭の研究者の苦悩を感じさせられました。


 私自身も、文科省の産学官連携事業の廃止という事業仕分け直撃弾に見舞われ、挨拶言葉は事業仕分けになっちゃってますが、正直言って、もっと丁寧な議論が行われるべきと思います。特に、科学技術系の分野は、すぐには投資効果が見えないものが多いし、とりわけ、気候研究をはじめとする理学系の分野はその傾向が強いです。しかし、20年かけて世界に誇れる気候研究の拠点ができ、地球温暖化問題の国際的検討に大きな貢献をなし得るようになって来ているわけで、やはり科学技術については中長期的なビジョン・計画に基づいて政策判断がされることが特に求められると思います。例えば、ちょうど現行の科学技術基本計画は来年度が最終年度なのですから、次期の計画策定プロセスの中でじっくりと議論を詰め、それを踏まえて事業の仕分けを行うのが良策なのではないでしょうか?気候研究センターが開発し、多くのユーザーが使われている気候モデルは、みろく(MIROC)というらしいですが、弥勒菩薩が我々を救いに来て下さる56億年後までとはいかぬまでも、もう少し長い目で見守る姿勢が大切なのではないかと思います。




記事一覧へ