第4回 「ジェロントロジー」の巻


 先々週のメルマガで、出口さんが高齢のお父様のことを書かれていましたが、私の両親も、父は既にいわゆる後期高齢者となっており、母も来年はそうなります。この75歳以上の日本人は、2030年には現在から倍増して2200万人を超え、総人口比が2割となり、さらに、2055年には、総人口9千万人弱に対し、2400万人弱、率にして27%になる(私も生きていたら、その一人になりますが、93歳までは無理かな)そうです。


 こういう高齢社会になっていくことを見据えつつ、高齢化に伴う課題の解決及び将来不安の払拭に向けての学際的な取り組みが、東京大学において行われています。この学際的な取り組みをジェロントロジーと称しますが、皆様は、この言葉、ご存じでしたでしょうか?私は、現職についてから初めて知った言葉ですが、米国では既に1930年以降からの歴史があって、現在、300を超す大学・研究機関でジェロントロジーの教育・研究が行われているそうです。試しに、高校生時代から使っている英和辞書を引いたら、ちゃんと、gerontology(長寿学)と出ていました。日本では、1997年に厚生白書でジェロントロジー教育の必要性が謳われたものの社会的認知度が極めて低い状況で推移してきたようですが、2006年に東京大学において、日本生命等からの寄付を受けてジェロントロジー研究部門が設けられ、本年より、東京大学高齢社会総合研究機構が立ち上がりました。


 上記のデータや事実関係は、10月初旬に東京大学で行われた、日本とスウェーデンがタイアップしての、ジェロントロジー公開シンポジウムの際に、辻哲夫東京大学高齢社会総合研究機構教授(かつて厚生労働事務次官を務めておられました)が話されたことや、ニッセイ基礎研究所から頂いた資料からのものなのですが、シンポジウムを通して、とても大切な学問が日本でもようやく始まったところなのだなあという感を深くしました。


 このシンポジウムのあった週の週末に、久々に帰郷して両親と数日暮らしたことも踏まえて考えると、ジェロントロジーの取り組みの中でとりわけ重要な2つのキーワードは、"健康"と"社会とのつながり"なのかなと思います。そして、ジェロントロジーに取り組む際の姿勢として、他の学問以上に、"想像力"が大切なのではないかと。なぜなら、その研究を行う主体の大多数は、自らの経験として高齢者の経験をしたことがないから。


 おかげさまで、両親は重大な病気を抱えてはいないのですが、数年前から、母が、足と腰に痛みが出て、あまり外出ができなくなりました。ちょうど今回の帰郷時に、有名な落語家グループによる落語祭が行われることを知り、笑ってもらって元気づけようと、父ともども連れ出したのですが、終わってからの両親の反応は、「最後の人以外は、あまり聞き取れなかった」。確かに、早口の落語だと、聞き取りにくい面があることは確かで、周りに座っていた高齢者の方たちの中にも笑っていない方がちらほら見受けられました。周りが大笑いしているのに笑えない寂しさは、私も米国で経験していますので、すまなかったと思いました。これにめげずに、"想像力"をより使って、次回帰郷時にはもうちょっと喜んでもらえる企画を考えたいと思いますが、良いアドバイスがありましたら幸甚です。




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