第39回 夜警国家


 東北地方太平洋沖地震の被災者の皆様に衷心よりお見舞い申し上げます。 今回、この未曾有の災害は我々に様々な、重大な教訓を残しつつありますが、現状で私見を総括してみたいと思います。テーマは「夜警国家」です。


 学生時代に、オランダ・アムステルダムに住んでいたことがあります。今で言うインターンとして、オランダ市営交通で技術研修を受けていました。その時にほとんど毎日の様に通ったのが、アムステルダム市の中心にあるライクス・ミュゼウム、国立美術館です。ここには、オランダが誇るフェルメールの「牛乳を注ぐ女」などの名作が所蔵されていますが、中でも圧倒的なのが、レンブラントの「夜警」です。(図は同美術館のHPから。)「夜警」には、さっそうとした服装の「夜警」たちが描かれています。彼らは、Wikipediaによれば、市民による自警団(火縄銃組合という)だそうです。


 さて、主題の夜警国家とは、こうした自警団ではなく、政府が夜警だけをする、つまり、自由主義による国家または政府の市場介入を極力回避する国家という意味に使われます。小さな政府を目指していくと、最後に残された政府の仕事は「夜警」だけだと言うことでしょうか。公務に携わっていると、政府がどこまでやるべきか、「夜警」だけでいいのではないか、あるいは市場に任せているだけではだめではないかという二つの概念の間で揺れ動くことがあります。ことに、財政赤字が顕在化して、小さな政府を目指すべきという昨今の状況ではなおさらよく考えるべき課題です。


 特許庁のような執行官庁にいると、上記の悩みはさほど感じません。なぜなら、(行政の無駄は回避すべきですが)産業財産権を個人に付与し、管理するのは国の仕事であることがグローバルに明快だからです。原子力安全保安院のような規制部署も同じで、保安院の規制は夜警そのものといえるでしょう。夜警は普段は見回りをして、人々に注意を呼び掛ける(規制値を決めて、規制対象を監視する)だけです。日々忙しく暮らしている市民には、のんびりしていると見えるかもしれません。が、いざ盗賊がくれば、火縄銃を抜き、生命をかけて盗賊から市民を守るのです。今回毎日テレビで会見している保安院の同僚(*i)も、被災者を救護し支援する自衛隊も、そして文字通り命を賭して放水活動をやり遂げた消防・警察の職員もみな「夜警」といっていいでしょう。みなほとんど不眠不休で頑張っておられます。夜警が目立つのは、社会にとってはあまりいい状況ではないかもしれませんが、その存在が市民に認識されることは大切なことです。


 彼らが、その仕事を非常時にやり遂げることができるのは、平常時に毎晩「夜警」のための訓練をし、平和な時も「夜警」をしているからです。この単純だけれども、忘れやすい事柄を、今回の大惨事は思い出させてくれました。もちろん、「訓練」が十分だったかどうかは、その後の検証が必要です。想定外の高い津波だったとはいえ、港の防潮堤、原発の建物や装置の安全基準が適切だったかどうか、今後議論されることでしょう。


 ガソリンや生活物資の不足への対応はどうでしょうか。石黒局長のコメントにあるように、現在経済産業省の各産業担当課では、燃料、電池、紙おむつから棺まで、需給がひっ迫している物資の供給確保に走り回っています。経済産業省における原課(産業担当課)は、「小さい政府」の掛け声の中で、昔より縮こまってしまったのではないかと心配していましたが、今は所管する業界と一緒に市民生活の復興にまい進しているところでしょう。ここでも通常時に業界と、ある程度の意思疎通をし、情報ネットワークをもっていないと、緊急時に即座の対応はできません。筆者は神戸大震災の時に化学品の担当をしていましたが、壊れた屋根を応急措置するビニールシートの確保に苦労したことを思い出しました。シートの生産は中小企業中心でした。生産拠点が国内にあればすぐに融通が利きますが、海外に移ってしまったものは経済産業省といえどもなかなか供給確保は難しいという現実もあります。こうした「原課」行政は、市場への過剰な介入を生みかねないとして、経済産業行政の中でも相当変化してきました。「官僚たちの夏」でも、国際競争力の強化に向けて法制化を進める主人公たちと、それに対峙する市場重視派との対立が主題のひとつでしたが、現在ではその程度の市場重視はむしろ当たり前で、産業界との開いてしまった距離感をどう把握するかが課題となっていました。しかし、一方で、産業界とあまりに距離を置き、ネットワークを維持していないと、最低限の「夜警」もできないことを今回思い知りました。


 もうしばらくすると、我々が夜警を十分やり遂げることができたのか、できないところがあったとすればその原因はなにか、そして小さな政府の中でいかにそれを克服できるのか、が明らかになってくるでしょう。そうしたことを検証しないと、「小さな政府」は夜警さえいない無防備国家になってしまいかねません。行政のコストと効率と効果を良く見ないといけません。無駄は省くべきですが、何が無駄で効果がないかは総合的に判断していくことが必要です。そしてそれは財務諸表のようにきれいに数字に出るものではないことも考えておく必要があります。経理屋さんだけでは企業経営はできません。


 最後にもう一つの教訓は、「夜警」たちの職業意識の高さでした。現場の意識、といってもいいでしょう。現場が頑張っている限り、日本は不滅だと思う今日この頃です。



i.経済産業省では、幹部職員を含め本当にたくさんの職員を、原子力安全行政経験者を中心に保安院や資源エネルギー庁に投入しました。一番記者会見で顔を見る眼鏡の方は、通商政策担当の西山英彦審議官ですが、いち早く保安院に駆り出されました。その淡々とした話しぶりは西山さんの人柄を表わしています。にやついているとの批判もあるようですが、筆者には連日の徹夜明けでも淡々と動じないというふうに映ります。



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