第32回 社会人博士の取り方−その3


 今年も、UNITTが9月24日、25日の両日、調布の電気通信大学で行われました。今回は経産省の石川正樹産業技術政策課長を招いて、日本版バイドールの運用について議論したとのことですが、場内から質問が相次ぎ、強面(こわもて)で有名な石川課長もたじたじだったとか。石川さん、ご苦労様でした。


 筆者が懇親会に顔を出したところ、UNITTの看板娘、理化学研究所に移られた高橋真木子さんが、4分前に頼まれたと言いつつ、堂々の進行役をこなされていました。理研の新しい名刺をいただくと、そこには麗々しく「工学博士 高橋真木子」とあるではありませんか。聞けば今日が東北大学の卒業式で、UNITTに出席するためにまだ学位記は受け取っていないが、原山優子東北大学教授iの厳しい指導を受けて、社会人博士課程を修了、学位を取得したとのことでした。また仲間が一人増えました。うれしいことです。


 今回は、学位取得の後日談と、「社会人博士のメリット」の考察をします。


「学位授与後」

 学位をいただいたのはNEDOに在職中のことでした。NEDOでは、毎年10名程度の新入構者のうちに、学部卒、修士修了、博士修了がおられ、それぞれ若干の処遇の違いを設けていますが、入構後、中途で学位を取得しても処遇にはほとんど変化はありません。これは役所も同様ですが、その辺は筆者も特に期待していたところではありませんii。NEDOでは村田成二理事長、光川寛副理事長(当時)をはじめとする上司や同僚から祝福していただきました。


 家族には知り合いの恵比寿のポケットワインサロンでお祝いをしてもらいました。苦労をかけたので、こちらから謝恩会をすべきところ、とてもうれしかったのを思い出します。田舎の母親は、入学当時は「今更何をやってるの」といういぶかしげな態度でしたが、「博士になったよ」と報告したところ、「戦後亡くなったおまえのおじいさんは機械工場をやっていて、若い頃蔵前の工業学校にも修行に行ったことがあったはず。工学の博士と聞けば、とても喜んだでしょうにね」と、褒めてくれました。


 一方、家族以外で祝福していただいたのは、意外にも、日頃業務上や私的にもお世話になっている大学の先生方でした。先生方は大概、若い頃に順当に学位を取得されていますが、その時の苦労を覚えておられるのか、おまえもやっと我々の世界の入り口に立ったと認識していただいたのか、我がことのように喜んでいただきました。お祝いまでしていただき、とてもうれしい思い出です。


 最近国際会議などに出席すると、ドクター・ハシモトと呼ばれてこそばゆく感じることがありますiii。専攻は何か、と聞かれることもあります。学位のおかげで、立つべきポジションを与えられたと感じることもあります。いずれにしろ、研究者の一隅に加えていただいたと実感しますiv。


 しかし、学位をとっただけで喜んでいてはいけません。学位論文をまとめる過程で、自分が何をやってきたか、これから何をやるべきか、徐々に、しかし鮮明に整理が出来て行きました。今の自分には、よりイノベーションに関する研究を深め、それを普及し、また後進を指導していくことが重要です。最近業務にかまけて?DND以外では文章を書くことも少なくなりましたが、いずれ研究論文に再度着手し、またイノベーション学を広めるための活動を進め、さらには日本にシリコンバレーを作る動きを進めていければ、と思っています。


「社会人博士のメリット」

 博士をとって何の得があるのか。本稿の読者には一番知りたいことかもしれません。前述のように、多くの職場では、学位を取得しても給与や待遇に直接影響することはありません。しかし、だからといって学位の価値が減ずるわけではありません。具体的な利得を考えてみましょうか。筆者の場合、取得前にそんなことを真剣に考えていたわけではありませんが。


@大学の教員等、特定の職業につくための必要条件を満たす:主として理工系の場合ですが、教授職につくには、博士号が必要となる大学が最近増えているようです。平田竹男博士も日本サッカー協会専務理事を退任した後、早稲田大学の教授としてご活躍です。
A転職に有利に働く:教員のほか、知財関係の業務や、シンクタンク等の研究員に転職する際には、博士(工学)の肩書きは有利かもしれません。
B海外、特に米国では一定の尊敬を得る:これは筆者の動機にもつながる話です。学位を持っているのといないのでは、初対面の時の対応や発言力が明らかに異なります。
C研究者の仲間に入れてもらえる:行政官など、大学の先生方と仕事をする機会が多い場合は、ある程度役に立つかもしれません。


 こうしてみると、あまり際だったメリットはないように見えますね。しかし、学位取得前と後で根本的に異なってくるのは、自分の「中味」です。


 筆者の場合も、自ら行ってきたことと今後やるべきことを学位取得プロセスで整理してきました。博士課程の場合、例えばMBAコースやMOT専門職大学院のように、一連の知識を体系的に取得できるとは限りません。講義よりは研究が中心だからです。しかし、だからこそ、自らの内容を整理し高めていくプロセスがそこにあります。特に社会人博士では、混沌とした自分の過去を棚卸しして積み直していく作業は、その後の道筋を考えるのにとても有効ではないでしょうか。また、優れた指導教官に巡り会えれば、日常ふれあう社会そのものが広がっていきます。その点、松島克守先生に師事して本当に良かったと思っています。また筆者にとっては、研究室の准教授や助教だけでなく、若くて優秀な学生とのふれあいも刺激になりましたv。これらは、少々待遇が良くなるような話とは根本的に異なる特典です。


 筆者の場合、元々産業技術政策を一つの軸として官僚生活を送ってきたつもりでしたが、それを自らの視点で見直し、イノベーション政策として体系的に整理しました。これを基盤として、イノベーション政策学というものを普及し、進歩させることこそ、そのテーマで学位をいただいたものの責務とも言えるでしょう。


「社会人博士の動向」

 ちょうど、文部科学省では中央教育審議会の大学分科会 大学規模・大学経営部会において、平成21年4月から「中長期的な大学教育の在り方について」の検討を進めていて、平成22年5月には8回目の審議を行っています。この中で、「大学における社会人受け入れの推進について」も主要な検討項目になっていて、同部会では、これまでの施策の紹介とともに、今後の方向性の議論を行い、社会人の受け入れについて前向きな検討を行っています。この資料によれば、平成元年に、博士課程に占める社会人学生の入学者の割合は3.9%(社会人入学者288名)であったものが、平成15年には21.8%と大幅に増加し、平成20年には34.3%(5598名)に達しています。これだけの仲間がいたんですね。


 この間、大学行政の中で、社会人の受入れ推進に取組んできておりvi 、
(1)大学設置認可の抑制方針(平成14年度まで)を「勤労者等を対象とする夜間学部,通信教育等」「社会人,留学生,帰国生徒の受入れに積極的に対応するもの」で必要性が高いと認められるものについては,抑制の例外として認め、さらに、
(2)大学制度の弾力化として、
・社会人学生の入学資格の弾力化(平成元年など)
・夜間大学院(修士課程は平成元年,博士課程は平成5年)
・昼夜開講制(学士課程は平成3年,修士課程は昭和49年,博士課程は平成5年)
等を制度化してきています。


 筆者も改めて認識しましたが、こうした大学行政の大きな変革の中で、筆者の社会人博士課程入学が実現した、ということもできます。文部科学省の関係の方々に感謝しなければいけません。


 上記資料にもありますが、大学への社会人受け入れが専門職大学院の浸透が一服した後に伸びが停滞している中で、博士課程への入学は確実に増加しています。これは、日本社会にとっては好ましいことと言えます。特に、MOTのような実学にとって、一度社会を経験した上で大学院に入学し直して研究を進めること、これは欧米ではあたりまえのことですが、これこそ、人材を更にのばしていくことに通じると思います。この伸びがさらに拡大していくよう、文部科学省や大学当局のご努力を期待しています。


 以上、「社会人博士のすすめ」(実践編)をまとめてみました。繰り返しになりますが、筆者の場合は、もちろん自らの努力もありましたが、先生との巡り会い、先輩、友人の励まし、上司の応援、そして何よりも家族の理解と協力がなければ到底実現しませんでした。このように、社会人博士の取得とは難しいことかもしれませんが、世の中の先行きが不透明な折り、本稿が少しでも皆様のご参考になれば幸いです。


 次回、筆者の推奨するMOT・知財系の社会人博士課程を有する大学院のリストをご紹介したいと思います。



i).現在、OECD/DSTI(科学技術産業局)次長としてパリに赴任されています。イノベーション政策もご担当です。
ii).ポスドク対策上は、何か処遇への反映を考える必要があります。
iii). 9月末に10年の任期を終えて退官された欧州商標庁(OHIM)の長官、Mr. Wubbo de Boerからは、退任の挨拶状をDr. Hashimotoあてでいただきました。
iv).特許庁に勤めるようになってからは、特許になるような技術の専門家と誤解?されることもありますので、「2年前にとったのです」と初心者ぶりを説明しています。
v).松島研は、MOTの研究室として、東大工学部の選りすぐりの学生が入ってくるので有名で、小宮山宏総長(当時)は「優秀な学生がMOTばかり行くのもなあ」と嘆いておられたとか。
vi).大学規模・大学経営部会第5回資料3-1より。



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