第31回 社会人博士の取り方−その2


 前号に続き、社会人ドクターのハウツーものです。


「研究者としての生活開始」

 新しく、イノベーションの学術俯瞰というテーマが決まってから、本格的な研究生活が始まります。といっても勤務中に研究はできませんので、これまで通り、夜と休日を論文執筆に当てるしかありません。ちょうどその頃、川崎駅前にあるNEDOに異動していたので、行き帰りの東海道線車中で研究資料である論文リストを拡げて解析に没頭することもありました。川崎駅についたことに気づかず、あわてて論文リストの束を車内にぶちまけたこともありました。


 筆者の研究手法は、コンピュータによるネットワーク分析でしたが、大量の論文データベースから抽出した論文群について、その含まれる内容によってクラスターの定義付けしていくところが一番の手間と頭を使うところです。データベースからヒットした42千編の論文のうち、ネットワークを構成するものだけでも13千編あまり、そのうちのクラスターの中心に位置する主要論文を出来る限り入手し、中味から内容を規定し、他の論文との関係を見ていくのは、文字通り手作業です。


「環境整備」

 研究には、まず形から入りました。研究環境の整備です。社会人博士の場合、大学の研究室に通って論文を執筆する余裕はありません。ほとんど自宅での作業です。そこで、かみさんに平身低頭しつつ、自宅の客間を専有することを許諾してもらいました。


 部屋の窓際に、文献をたくさん拡げられる様、日曜大工で机と棚を作りました。これは自信作でしたが、さすがに素人仕事ですから、「買った方がきれいで安かったんじゃないの」とかみさんには不評でした。また40代の老眼近い目でも細かい論文が読めるよう20インチのTV兼用液晶モニターを用意しました。客間がみるみる変わっていく様子に、かみさんは、「しょうがないわねえ」と言いつつあきれ顔です。


 こうして環境を整え、2本目の筆頭論文を書き上げて、これをあこがれの一橋ビジネスレビュー(i)に投稿し終えました。そして、それまでの論文(ii)を元に学位論文の準備が本格化します。


「おしりが悲鳴をあげた」

 学位論文の準備で特に覚えているのは、まず家具屋に走って椅子を買ったことです。これまでの人生では、「おしりが痛くなるほど」机に向かっていたことはありませんでした。しかし、時として深夜から明け方までパソコンと向き合っていると、生まれて初めておしり全体が悲鳴を上げだしました。もちろん体重の変化も要因でしょうが。そこで、休日を待って近くの家具屋さんに極上の事務椅子を買いに行きました。展示場に置いてある椅子がとても気に入りましたが、納期が数週間後というので、あきらめてすこし値段の安い、でも座り心地の良い、あり物を買いました。しかし、この椅子のおかげでこの日以降筆者のおしりは健康です。皆さん、椅子は大事ですよ。


「論文執筆の正しい進め方」

 学位論文の書き方は指導される先生によりバリエーションがあると思いますが、筆者が松島克守先生(iii)ほか、先生方に指導されたのは次の方法です。


 まず、目次を作って全体を構成していきます。研究目的とその背景を解説する序章、先行研究と研究の必要性について説明する第2章、これまでの発表論文を元にしたコアとなる数章、そして第9章結論、最後に第10章エピローグという構成を立てます。そして、これに内容を肉付けしていった「研究の概要」を持って松島先生に指導を仰ぎます。概要といってもパワポで数十枚になります。何回か松島先生とやりとりをして、先生独特のひらめきもいただいて資料を再構成していき、やっと「これで行こう」ということになれば、真っ赤になった「概要」をもとに、本格的に論文執筆に取りかかります。すでに「研究の概要」で論理の筋はできているので、ひたすら文章に書き下していくのです。


 また、いよいよ休日がなくなるので、家族に再々度頭を下げました。ちょうど夏休みのころでしたが、週末も夏休みの旅行もなしで家族サービスを一切免除してもらいました。その時のかみさんをはじめとする家族の協力はいまでも忘れられません。文句も愚痴もいわず、部屋に引きこもる父親を抜きにした、まるで母子家庭のような週末を淡々と過ごしてくれました。ありがとう。


 論文の形に書き下しがほぼ済み、松島先生のご了解を得たところで、フェデックス・キンコーズで簡易製本します。本文で150頁以上の、我ながら、なかなかの論文になっています。これを持って論文審査の担当教授を回ってご指導を仰ぎます。審査される教授陣は、以前からよく知っている教授もおられれば、初めてお会いする教授もおられましたが、そこは、伝統ある東大工学系研究科の学位審査ですから、気を抜いたところは一切ありません。暖かくも厳しく事前審査いただいたと思います。特に、当時やっと発足していた技術経営戦略学専攻の六川修一専攻長には、「技術経営に関する学位論文の手本となるべき」とおっしゃっていただき、手取り足取り論文審査用発表資料までご指導いただきました。大変感謝しています。何か論文謝辞のようになってきましたね。


「学位審査」

 そして、論文審査当日になりました。主査の松島先生、以下東京大学工学系研究科の教授陣による審査員、そして意地悪な、もとい、本質的な質問をする審査員以外の教授・准教授連が大勢構える講義室で審査が始まります。審査用プレゼンでは、半分近くの時間を「序章」の説明に使うという「失敗」をして、研究室の先生方をはらはらさせましたが、それでも中味には自信がありました。質問も思ったほど厳しいものはなく、質疑は適確にクリアし、その日の午後、審査員全員からご了解をいただいたことを松島先生からおききしました。とてもほっとしたことを覚えています。しかし、その後実際学位をいただくまで、交通事故など不祥事で取り消されないよう(iv)、緊張の日々でした。


「学位授与」

 我々10月入学生は、本来総長からの学位授与式は、学科単位で行われました。筆者が所属していた環境海洋工学専攻科では、数名の博士修了者と十数名の修士修了者が、学科の古びた校舎の講義室内に集まり、学科の担当教授から学位をいただきました。4月入学であれば安田講堂で、それなりの儀式が行われますが、我々の場合はきわめて質素で簡便です。しかし、いただく学位の価値は同じで、うれしさも同等です。筆者も小宮山宏総長名の学位記を胸に、安田講堂の前で同じく4年かけて修了した平田竹男君と記念写真をとりながら、先生をはじめとする皆様に再度感謝の意を強くし、最後に家族にも心から頭を垂れました。平田君は家族総出でお祝いに来ておられましたので、一人で式に出席した筆者は「失敗した!」と思ったことを思い出します。平田君も筆者同様、ご家族の全面的な支援のもと、論文を書き上げたのでしょう。


「社会人博士の評価と価値」

 我々10月入学生は、本来総長からの学位授与式は、学科単位で行われました。社会人博士については、研究論文の質から、懐疑的な声を聞くことがあります。確かに、若い博士課程の学生が3年間、修士も入れれば5年間、日夜研究室で研究に没頭していることに伍して内容の濃い論文を提出するのは至難の業です。


 しかし、社会人博士の価値は高いと思います。一つには、学位取得が、研究者としての入り口であり、科学的、論理的発想をするための基礎、として考えるのであれば、社会に入ってから論文をものにしてこうした基礎を再度固める作業は、本人にとっても、周りの社会にとっても有意義なことです。また、2つめに、社会人には、豊富な経験・知識と、それに基づく深い洞察力があります。研究の意義に対する強い信念もあるでしょう。それを元に、適切な指導があれば、自ずと論文の質も高まります。特に、MOTの分野の研究は、現場経験を踏まえた知識が必要です。むしろ、学位取得前の社会人経験が奨励されるべき専攻かもしれません。筆者の場合も、それまでの官僚生活で習得した知識や、培った信念を集大成して学位論文に盛り込みました。DNDに寄稿している内容にも通ずるものです。


 これら社会人博士の在り方については、文部科学省大学分科会でちょうど審議を行ってきたようです。これらも含め、次回、筆者の社会人博士号授与後日談や、社会人博士の価値や特典についてまとめようと思います。



i).同誌は各号に一編だけ投稿論文を採用します。筆者はかつて企画解説もので掲載していただきましたが、投稿論文への査読の厳しさは半端ではありませんでした。
ii).主要論文(国内)は以下の通りです。これ以外に海外投稿中、共著があります。
○橋本正洋ほか、2008「クラスターネットワークにおける研究大学の役割と機能」日本知財学会誌Vol.5 No.1
○橋本正洋ほか、2009「ネットワーク分析によるイノベーションの学術俯瞰とイノベーション政策」一橋ビジネスレビュー Vol.56, No.4 (2009/Spr.) pp. 194〜211 東洋経済新報社
iii).松島克守先生が会長をされている「ビジネスモデル学会」の創立10周年記念大会が2010年10月2日土曜日、東京大学本郷キャンパスにて開催されます。松島先生の基調講演のほか、小宮山宏前東京大学総長ほかの貴重な講演があります。中谷幸俊実行委員長曰く、「この一日で1年分の勉強が出来るかもしれません」とのことです。詳細及びお申し込みは学会HPからどうぞ。http://www.biz-model.org/
iv).実際そういう取り消し事例があるのかどうかは知りません。社会人ならではの知恵というか心配でしょうか。



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