第22回 MOTと若者


「東京MOT会」
 聞き慣れない名前のこの会のことは、金沢工業大学虎ノ門大学院・知的創造システム専攻の上條由紀子准教授から教えていただきました。なんでも、在京のMOTの学生が、MOTの向上のために、大学をまたがった交流を行っておられるとか。大学MOT(技術経営専攻科)の振興に携わり、またかつて雑誌でMOTを振興する担当者として紹介していただいたこともあって(*i)、筆者にとっては、とてもうれしいお話しでした。早速上條由紀子先生と相談して、彼らに特許庁に集まっていただき、庁内見学と懇談会を行うことにしました。5月中旬のことです。


 視察が終わって筆者の部屋に来られた学生の皆さんは、社会人学生あり、若者あり、女子学生もたくさんおられました。皆さん、はじめて見る特許庁の庁内や審査手順に関心を持たれたようでした。ご協力いただいた審査官の皆様、ありがとうございました。筆者はプロジェクターを用意して、NEDOカレッジで行ってきた「イノベーション学」の概要の講義をするとともに、イノベーションのこと、知財のこと、MOTのことなどを肴に皆さんと懇談しました。相手がMOTの学生さんということもあって、基本的なところはよくご存じでしたので、だいぶ調子よく、(谷明人大学連携課長の言によれば「橋本節」とか)ご機嫌でお話しをしてしまい、時間はすぐに経ってしまいました。そこで、本来皆さんが期待していた?MOT誕生のお話しというのをし忘れたことに事後気づき、反省するとともに、そのお話しを改めてご紹介しようというのが本稿の趣旨です。


「MOT誕生」
  まず、ここでお話しするのは、技術経営そのものというよりは、技術経営学、または技術経営に関する人材育成の問題であることをお断りする必要があります。MOTは、Management of Technologyの略ですが、当時(2000年代はじめ)「MOT」といってもそれを「技術経営」と理解する人はほとんどまれでした。「イノベーション」への理解も似たようなものでしたが。MOTはMBAと比較されますが、ご承知の通りMBA はMaster of Business Administrationですから、MOTも大学の専攻を指すのであれば、MMOT、Master of MOTというべきだったかもしれません。MBAとMOTは、後でもお話しするように、だいぶ重なった概念です。


 MOTの重要性を理解して経済産業政策への展開を考えたのは、筆者の前任者、堅尾初代大学連携推進課長でした。筆者はその後任で課長になるまではMOTの理解はほとんどありませんでしたが、堅尾課長を引き継いでMOT施策を進めるうちに、時代としてその重要性と必要性に気づき、当時の人財政策シフトに乗じて堅尾路線を文字通り飛躍的に拡大したのでした。その時の思いは、一橋ビジネスレビュー誌のMOT特集に寄稿した「MOTのすすめ」 にもありますので古本屋で探してみてください。


 筆者の理解するMOTの原点のひとつは、MIT(マサチューセッツ工科大学)のMOTコースです。ご承知のとおり、MITは米国でも有数の研究大学ですが、一方で、そのビジネススクールはハーバードと肩を並べていて、高名のイノベーション系の教授も数多くおられます。筆者はMOTの調査もあって当時MITを訪ねましたが、その時に気軽に学内の道案内をしてくれた教授がJ.M.Utterback先生で、びっくりしたり恐縮したりしたのもいまは楽しい思い出です。MITは理工系の学生が中心ですが、その学生がビジネススクールに進学すれば、当然のようにMOTを学ぶ、というのがとてもシンプルなMOTの説明です。MOT推進施策を進めてしばらく経ったとき、そのMITにMOTコースがなくなるという「事件」がありました。その理由をMITの先生方に尋ねたところ、「MBAの全てがMOTの要素を持つようになったので、敢えてMOTといわなくなっただけさ」との答えでした。確かに、当時も今も、重要なケースなどはほとんど企業の技術経営戦略を扱ったもので、ビジネススクールのケースから有名になったkaizenもMOTの概念の一つです。なお、公式には、MOTはエグゼクティブ対象のMIT Sloan Fellows Program in Innovation and Global Leadershipと合併したということになっています(*ii)。


「MOTの目的」
 さて、当時筆者がMOTを進めていたのにはいくつか動機があります。一つには、MOTはイノベーション学そのものであって、日本の将来にはその教育・研究を進めることがきわめて重要であるとわかったことです。これについては、本サイトの読者には改めて説明は必要ないかもしれません。イノベーションモデル、特に非連続なイノベーションモデルは、まじめにエンジニアをやっていると見落としがちな罠に思えました。研究開発戦略においても、技術経営理論はさまざまな示唆を与えてくれます。こうしたことを「常識」として武装しているかどうかが、企業の競争に影響するのではないかとの考えです。これは、MOTに触れている皆さんが実感していることですし、むしろ最近はMOTが常識化した、ともいえるかもしれません。


もう一つは、当時から議論があった理工系学生の人材育成の観点です。理工系出身者は、ややもすれば「技術バカ」といわれて経営音痴との批判がされることもあります。一方で製造業を中心に、理工系出身者が経営トップを担うことも多く見られますが、その場合でも、採用人数に比べれば経営層に占める理工系出身者の割合は低くなっています。また現在も解消されていませんが、エンジニアの処遇が海外に比べて良くないとの事情もあって理工系離れが当時から指摘されていました。この処方箋として、子供の時から理数離れを改善することなどを政策的に行っていますが(*iii)、エンジニアの卵や中堅どころにMOTを学んでもらい、経営でも戦える理工系出身者を作ることがひとつの方策だと気がついたのです。少なくとも、生意気な?コンサルタントが発する専門用語の意味を理解し、必要なときに反論できるエンジニアが育って欲しいとおもったからです。


 さらに、三番目には、MOTの教育研究は現場からのフィードバックが必要であり、産学連携で進める必要があったことです。これに関しては、文部科学省が、産学連携によるMOTの重要性を認め、高等教育局において、ちょうどできた専門職大学院の考え方にMOTを加えてくれるなど、省庁連携による対応が進みました。


 また、この政策が世の中にインパクトがあったとすれば、その背景としては、MOTの重要性については、スタンフォード、MIT、IMDなど欧米の優良大学は深く理解していて、数少ない日本人の卒業生などがそれに気づいていましたが、ほとんどの大学関係者、企業人は知らなかったことがあります。したがって、MOTの考え方に触れるごとに、その重要性を理解する人々が増えていったのです。たとえば、米国でMOTに触れた経営者など、一部の有力者はすでに注目していたようでした 。


「現在のMOT」
 このような考えで行われてきた「MOTのすすめ」ですが、すでに10年近くを経て、関係大学も増加、充実してきました。現在、MOTコースを持つ大学院の組織、「技術経営系専門職大学院協議会」には東京農工大学など10大学が加盟して、協力して専門職大学院のアクレディテーション体制を構築するとともに、カリキュラムの高度化やMOT学会への支援などを進めておられます。さらなるMOTの高度化に向けてご尽力いただくことを期待しています 。また、10校以外にも、博士課程を擁する東京大学の技術経営戦略学専攻など、MOTの教育研究を進めている大学があります。MOTの研究者を数多く抱える一橋大学イノベーション研究センターもその主要な機関の一つであると筆者は考えています。こうした拠点により、さらにMOTの研究が進められることでしょう。


 MOTの卒業生は、特に資格を有するわけではありません。しかし、技術もわかり、経営もわかり、技術と経営の関係も理解し、イノベーションの基礎知識を有する人材を産業界が求めないはずはありません。東京MOT会の皆さんも頑張ってくださいね。陰ながら応援しています。皆さんにMOTの良書を紹介するのも忘れていましたので、また次の機会に。



i.その時は、「ミスター MOT」などというとんでもなく栄えある呼称をいただきました。とてもその域には達していませんでしたが。
ii.たとえば、http://web.mit.edu/sloanjapan/101/curriculum/sf.htm参照。
iii.子供達にわかりやすく楽しく理科を教える試みが、北の丸科学館などで行われています。実際とてもおもしろく科学実験を見せてくれます。学校の現場にも出て行って、子供達だけでなく、教師の皆さんにも刺激を与えて欲しいと思います。
vi. 科学技術と経済の会のメンバーからお聞きしたことがあります。
v.いろいろな課題の中で、先生方、特に産業界出身の方へのFDが重要だと思います。また、ケースの集積、活用も重要です。経済産業省の支援で作られたケースも含め、現在日本ケースセンターがケースの集積を行っておられます。


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