第20回 商標審査官としての職業(2)


「産業財産権制度の黎明」
 高橋是清自伝は、まるで小説のようなおもしろさがあります。司馬遼太郎の「龍馬が行く」を読んでいたときのような高揚感を覚えます。これは、江戸末期から新しい日本を作ってきた人々の強烈な個性、国家を憂える感性などが共通して読者の胸を打つからでしょうか。筆者は浅学にして、高橋是清翁は、確か、金融恐慌を収めた名蔵相で、二・二六事件で青年将校達に暗殺された不運な人、との印象しかありませんでしたが、高橋是清自伝によれば、文字通り波瀾万丈の人生で、若年で米国に留学する好機に恵まれながら、だまされて奴隷として売られ、なんとか帰国した後には、米国駐留で得た語学力で要人にかわいがられながら活躍し、30歳代では我が特許制度の父となり、初代特許局長(特許庁長官)に任じられるほどになるのに、友人に懇願されて特許局長を辞してペルーの銀山開発に赴いたものの、大失敗して帰国後はご令室が内職をするに至るほど困窮する、しかしながら、その後日本銀行に入行し、日露戦争の戦費調達に奔走するなど活躍し、貴族院議員、日銀総裁、さらには蔵相、農商務相、内閣総理大臣にまで上り詰めるという、すさまじい人生を送った偉人です。翁は自ら大酒飲みと称し、自伝にも酒の上の話がおもしろおかしく書いてありますが、ここだけの話、特許庁の職員に酒好きが多いのも、高橋是清翁の影響でしょうか。


 この自伝には、日本の産業財産権制度の黎明期が詳細につづられています。明治21年の商標条例の改訂に際して、産業界が、屋号と商標を混同し、従来「のれん分け」してきた屋号を、国が登録して管理するのは困ると反対してきたことを紹介しています。高橋是清が諄々と説明して、ついに産業界も商標制度支持をするのですが、当時も今も、産業の基盤となる知財制度は、産業界の重大関心事で、政府とのコミュニケーションがとても大切だったことを窺わせています。


「商標審査官の資質」
 先日ご紹介した特許審査官という職業に続き、今回は商標審査官としての職業をご紹介します。商標は、読者の皆さんもよくご存じだと思いますが、英語ではtrademark(TM)、または®(registered trademark、(米国特許商標庁)登録商標)という記号を見ることがありますが、日本特許庁ではこれらは用いていません。商標制度の概略は特許庁HPをどうぞ。


 商標審査官は、文字通り商標の審査及び審判に携わる行政官で、特許審査官の対象が特許であるのに対し、対象が商標であることが異なります。この結果、特許審査が専門的技術知識を駆使して当該発明が新規性などの特許性を有するかどうか審査を行うのに対し、商標審査は、出願商標が、商標としての要件を満たしているか、特に、対象商品又はサービスとの関係で、当該商標が自他識別力を有しているかを審査します。また、既存の他人の商標との同一性、類似性がないかを審査します。また、既存の商標との同一性、類似性がないかを審査します。これには、専門的技術知識よりは、いかに広く世の中で起きている現実を理解しているか、その知識があるか、というところが審査官として重要な素養になります。勉強熱心であるべきなのは特許審査官と同じですが。強いて言えば旺盛な好奇心が必要かもしれません。経済誌を読みこなしながら、スポーツ新聞やアニメにも目を配っている、アンテナが高い人材が求められているといえるでしょう。たとえば「阪神」という出願を見て、筆者のように阪神タイガースだけを考えるのではなく、阪神工業地帯の生産状況、阪神百貨店の売り上げなどが脳裏に浮かぶことが求められているのです。


 現在特許庁では、商標審査官は国家公務員U種(行政)の試験合格者から、特許庁の行う面接を経て採用を決定しています。特許審査官及び意匠審査官が、行政技官であるのに対し、商標審査官は行政事務官ということになっています。


 商標は、身近な存在でもありますので、政府要人が特許庁をご訪問されるときは、必ず商標審査室にも寄っていただきます。昨年は、前政権下では、二階前経済産業大臣に先導いただき、麻生前総理が来庁され、筆者の説明を受けられておられます。直嶋経済産業大臣は着任後すぐ来ていただきました。


「商標権の動向」
 商標権において最近の話題といえば、歴史上の著名な人物名の扱いです。今年のNHK大河ドラマは「龍馬伝」、坂本龍馬です。先般京都を訪れる機会がありましたが、「龍馬巡り」が観光コースとして人気を得ているようでした。坂本龍馬のように、地域興しなどで、郷里にゆかりのある著名な人物名をブランドとして活用する事例が最近増えています。これら著名な人物名は、その人物の名声により強い顧客吸引力を有します。その人物の郷土やゆかりの地においては、住民に郷土の偉人として敬愛の情をもって親しまれ、例えば、地方公共団体などが、その業績を称え記念館を運営していたりする例が多くみられます。このよう諸事情の下、周知・著名な歴史上の人物名についての商標を特定の方に登録すると、公正な取引秩序を乱し、公序良俗を害するおそれがあるとの懸念が指摘されていました。特許庁では、昨年審査の運用を明確化し、こうした懸念に対処する方向を打ち出しています。商標において、現代の様々な動きに適確に対応し、迅速かつ柔軟に制度を運用していくことが求められているのです。


「世界と商標審査官」
 商標審査官には、国際的素養も求められることがあります。WIPO(世界知的所有権機関、本部ジュネーブ)での様々な会合や、この欄でご紹介した日米欧の商標三極会合、中国や韓国とのバイ会合など、様々な会議に対応し、国際交渉や、国際協力を進めています。また、特許制度にはPCTという国際出願制度がありますが、商標でも同様に、マドリッド・プロトコール(通称マド・プロといいます(*i))といって、WIPOに出願した上で各国の商標登録が出来る制度があります。マド・プロは今年日本での制度開始から10周年を迎えました。こうした制度の運用を見たり、国際会議に出席したりすると、知財制度は、世界に密接につながっていることが実感されます。それぞれの国で固有に進化してきた知財制度ですが、グローバル化の中、その国際整合性の確保が大きな課題になっています。商標も例外ではありません。現在特許庁では、既に米国等海外で採用されている音等の新商標導入の検討を産業構造審議会にお願いしています。


 以上、非常に簡単ですが、商標審査官としての職業をご紹介しました。業務の詳細は、採用パンフレットをご覧ください。素質ある若い皆さんが特許庁・商標審査官を目指していただくことを期待しています。



i.筆者が審査業務部長に任じられ、初めての所管事項説明の時、職員の皆さんが「まどぷろ」と連呼するので、窓際プロジェクト?そんな暇な人が特許庁におられるのか?といぶかった思い出があります。素人は怖いですね。


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