第18回 特許審査官としての職業


 桜の淡い花びらが上智大学前の真田堀の上を静かに舞っていきます。四谷駅からの桜の景色は、通勤の憂鬱な気分をいくらかでも晴らしてくれます。特に青い空の下の華やかな桜の花々の群れはとても気持ちの良いものです。今年の花見は余りよい天気に恵まれず残念でしたね。


 4月になると、特許庁では新人たちが庁内を巡って研修を始めます。それぞれの濃紺スーツが初々しく庁舎の空気を揺らしていきます。筆者の所属する審査業務部でも、意匠、商標の審査官補と事務系の新人が14人配属されました。これからの生活に対する不安と期待で一杯の輝いた顔をしています。筆者にもそういった時があったことを微かに思い出します。


 審査業務部には配属されませんが、特許審査官の卵も今年43名採用されました。彼らは、国家公務員T種技術系(理工・農学系)として難関の試験を突破し、さらに、特許庁の面接をくぐり抜けた勇者たちです。昨今の公務員バッシングの論調にもたじろぐことなく初志を貫徹してきました。


 特許の審査官というのはどういう人たちなのか、どういう職場なのかお話ししましょう。特許庁の審査官は3つの人たちで成り立っています。一つは特許審査官で、実用新案登録に係る技術の評価も彼らが担当します。もう一つは意匠の審査官で、さらにもう一つは商標の審査官です。それぞれ、研修・試験を経て一人前の審査官となり、特許(実用新案)、意匠、商標の審査に携わるとともに、特許庁の行政府としての業務、たとえば予算、人事、法案作成、情報システム、WIPO等国際関係の業務に携わることもあります。審判官のほか、裁判所に調査官として出向したり、本省や在外公館等に派遣されたりすることもあります。筆者がジュネーブ勤務の時には、在ジュネーブ国際機関代表部の書記官をはじめ、WIPOにたくさんの特許庁からの出向者がおられました。一緒にワインを楽しんだことも何度かありました。


 特許審査官は、文字通り特許の審査を行います。方式審査といって、書類や手続きが適正かどうかの審査をクリアした後(ここは審査業務部が担当します。)、特許の出願は電子ファイルで特許審査官に送られます。特許庁には特許審査第一部から特許審査第四部まで技術の分野別に4つの部があり、さらに技術ごとに部内にはいくつかの部門、さらにその下の審査室に分かれています。たとえば、審査第一部−物理部門−ナノ物理 というふうに。特許出願の技術分野に応じて、特定の審査室に送られているのです。審査官も大学で修めた技術分野に応じて、各部に配属されます。一般の行政官は、ジェネラリストとしての才能を求められることが多いのですが、特許審査官はむしろスペシャリストとして業務をこなします。


 送られてきた特許出願は、審査官によって、新規性等の特許できるかどうかの審査を受けます。審査官は、既に登録されている内外の特許はもちろん、公表されている論文とも照らし合わせて、その発明が特許となりうるかどうか、厳しく吟味します。日本の特許庁の審査の質の高さは国際的にも評価されていて、日本特許庁が率先して世界で推進する特許審査ハイウェイで多数の国が日本と協力しているのも、日本の特許審査の質の高さを物語っていると言えるでしょう。また、日本の技術力を反映してきわめて多い特許出願のために「滞貨」(審査待ち出願)が生じていましたが、特許審査官の質的及び量的拡充の結果、今年度以降は「滞貨」もピークアウトして漸次減っていく計画です。


 特許審査官は、こうして、朝から晩まで、コンピュータ画面や文献と対峙しながら、審査を続けます。これは、知的労働としてはとても高度なものです。学位論文の執筆にも似通うタフなものかもしれません。審査経験の長い部長達は、オフには自分の専門と異なる分野の読書やスポーツなど息抜きを推奨しています。その結果、特許庁の審査官は、高度な知的労働である特許審査をきわめて的確にかつ効率的に遂行できるのです。さらに、これは国家公務員全体に言えることですが、男女共同参画政策のもと、産休や育休はしっかりと確保されていて、女性にとっても魅力的な職場になっています。これは時代の要請です。職場結婚も多いようですね。日本の活性化のためには、女性の能力を有効に活用することがイノベーションの要諦でもあります。最近は男性の育休も奨励されています。また、将来は在宅勤務も視野にいれておくべきでしょう。海外の知財庁でも在宅勤務を採用しているところがいくつかあります。日本の公務員全体としてもワークライフバランスの推進は重要な課題です。


 審査官の業務の特性は他にもあります。特許庁の求人票には、以下の釣書があります。 「行政官庁の中では、技術的な専門知識を最も活用できる官庁の一つです。学生時代に学んだ技術的スキルを活かしつつ、産業の発達に向けた社会への貢献を行いたいという皆さんの期待に応えることのできる職場です。


 特許庁では、特許行政の担い手としての職員の人材育成にも注力しています。審査官に求められるスキルのうち、法律的スキルや審査実務スキルについては、これを修得するための充実した研修制度が用意されています。また、先端技術の習得や語学力を向上させるための研修や留学制度もあります。


 スキルを活かし、スキルを磨き、そして身に付けたスキルを通じて社会貢献を行える、そのような特許庁で働いてみませんか。」


 ここにもあるように、特許庁の研修制度はきわめて充実しています。語学の他、知財を巡るあらゆる専門家を招聘し、みっちり教育します。筆者も一度ライセンシングの研修を受けましたが、非常に勉強になりました。


 また、的確な特許審査を行うためには、開発の現場などを良く知る必要があります。企業の最先端の研究・開発の現場に赴き、最先端の技術についての知見を深めるような機会や、その技術分野の第一人者の方の話を聞く機会などにも恵まれています。


 行政官というのは一般に、仕事を通じて社会に貢献する、精神的にとても健全な職業です。特に特許庁の審査官は、自らの知識と経験と志向を活かした職業といえます。筆者は今年の入庁者にこう言ったことがあります。


 「あなた方はラッキーだ。なぜなら、今年は高橋是清翁により産業財産権制度が制定されて125年という記念すべき年で、平成22年というあなた方の入庁年は皆の記憶に残るからだ。さらに、あなた方がラッキーなのは、田舎に帰っておじいさん、おばあさんや町の人に「特許庁で働いている」と言えば、皆さんにわかっていただけることだ。東京特許許可局ではなくて特許庁です、という説明は要るかもしれないが、特許の審査の仕事をしているといえば、ほとんど説明が要らない。私(筆者)の入省の時には、田舎の親戚に通商産業省に入ったといっても「?」と言う反応が多かった。通産省というと、ああ、聞いたことがある、ということになったが。でもそこで何をしているのか、特に新入生の時は廊下トンビで、「国会待機と答弁作成で徹夜している」とか「重要な情報を産業界と共有して産業構造の将来を一緒に議論している」とか、とてもわかりにくい説明しか思いつかなかった。」と、若い頃の恥もさらしながら若者を鼓舞しました。


 さあ、優秀な若者達よ、特許庁を目指しましょう!


 今回は特許審査官にフォーカスしてお話ししましたが、特許庁では意匠審査官、商標審査官、また事務系職員も募集しています。皆、知財にかける思いは同じです。詳しくは特許庁のHP(採用情報)をご覧ください。ついでに?経済産業省全体の募集はここを見てください。直嶋正行経済産業大臣からの熱いメッセージがあります。



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