第15回 イノベーション政策学 その3


 前々稿に続いて、イノベーション政策学、今回は産学連携やクラスター政策の中で重要な意味を持つネットワークとネットワーキングの重要性を考えたいと思います。


 「コネクターとウィークタイズ」


 ネットワーク理論分野の概念として、「コネクター」があります(Guimera他2005) 。コネクターは異なるネットワークとネットワーク(クラスターとクラスター)を結び付ける役割を果たすもので、ネットワークの中心にある「ハブ」と「コネクター」は独立した概念です。「ハブ」というのは、自転車のスポークが集まっている車軸の、あのハブです。ネットワークの中心となるような点です。「コネクター」は、あるいは、Granovetterの言う「弱い紐帯(ウィークタイズ)」とも同様な概念と言っていいでしょう。ハブのように強力な中心点ではありませんが、この存在により、異なるネットワークがリンクします。それは決して強いリンクではないかもしれませんが、結果的にスモール・ワールドを作り出す重要なリンクなのです。


 「ネットワーク論の対象」


 ネットワーク論の論文は、その題材が非常に広範囲です。自然界、特に生物界、たとえばインフルエンザウィルスの伝搬や生体内の物質伝搬など。さらには人間社会の複雑なネットワーク。はたまた、いまはやりのスマートグリッドに関係する電源の系統ネットワークなど、様々なものがケースになります。上述のGuimeraの論文では、「ハブとコネクター」の概念を、大腸菌(E.coliといいます)の代謝系のネットワークで実証していきます。ウィークタイズを提唱したGranovetter教授は、社会学の専門家で、人間社会の中で、強い絆より弱い絆の方がより新しい情報を得ることができることを示し、「弱い紐帯の強さ」 を示しました。


 筆者はGuimeraの理論を応用して、地域クラスターのネットワークにおける研究大学の機能の研究を報告しました。たとえば、下図の近畿医療クラスターでは、京大と阪大が、高いハブ機能とコネクター機能を示し、大きなハブ・コネクター(それぞれの大学の周りにネットワークを形成していると同時に、複数のネットワークをつないでいる)機能を有することを示し、近畿の医療クラスターにおいて両大学が重要な役割を有することを論じました。


 こうしたネットワークを解析するためにはデータ(それぞれのネットワークを形成する個(node)と鎖(link)を示すデータ)が必要です。筆者の論文では、市販の企業の取引データと大学の共同研究等の個別データを結合して議論しました。企業と大学を含むネットワークの分析です。また、前々回示した「坂田教授のブルーライン」は、論文データベースから共著関係を抽出してネットワークを示したものです。論文ですと、研究者の共同研究ネットワークが見えてきます。また、特許のデータベースを使って、たとえば共同出願を見れば、企業の共同開発の状況が見て取れ、これでもネットワーク図を示すことができます。このネットワークを分析すると、企業のオープンイノベーション戦略の存在が見えてきます。このように、データベースが存在する論文や特許の世界では、ネットワーク分析が盛んに行われるようになってきました。


 「ネットワークと大学とベンチャー」

 特許、論文のようにデータセットが比較的容易に入手できるものに対して、個人と個人のネットワークの分析は簡単ではありません。シリコンバレーにおけるベンチャー企業がどういった人間関係ネットワークに支えられているか、を分析した論文を見たことがありますが、非常に手間のかかる作業をしています。社会学の世界では、実際多数の人に手紙を出して追跡してみるとか(MilgramのSmall world 実験)、インタビューやアンケートを繰り返すとかして、地道にデータを積み上げ、ネットワーク図を作っていくことが行われています。地域でイノベーションを進めるための重要なネットワークは、研究者やロイヤー、投資家などの人間関係のネットワークであると直観しますが、それを記述するには大変な手数がかかります。


 最近では、東京大学の松尾豊 准教授 http://ymatsuo.com/japanese/index.html が開発に携わった「Spysee」が、web情報だけから、人と人との関わりをグラフにしてくれます。こうした研究とwebの進化が相乗すると、人間関係グラフが比較的容易に入手できようになるかもしれません。(筆者は、以前、松尾先生に、「自分の名前を検索したら、Spyseeってのが出てきて相関図が示されるのですけど、これ、気味悪くありません?」と言ってしまいましたが、松尾先生はまじめな顔をして「それ、私が開発したんです。」と静かにおっしゃっておられました。大変ご無礼申し上げました、先生。)筆者も以前研究の一環として、ベンチャーとその支援者との人間関係ネットワークの分析を試みようと考えていましたが、手法において挫折しました。もちろん、大学発ベンチャーを離陸させるためには、大学発のシーズを育てていく経営者・営業などの広汎なネットワークが重要なことはシリコンバレーの好例がありますし、これをどう日本で構築していくか、知恵の絞りどころです。シリコンバレーやボストンでは、大学を中心とした研究者のネットワークが、教授などを通じ、エンジェル投資家や弁護士達のネットワークにつながっています。こうした地域では、ビジネススクールで盛んに行われるビジネスコンテストの優秀者に賞金を与えて支援したり、専門家がアドバイスをしてベンチャー化していくプロセスがあります。ボストンで、そうしたコンテスト優秀者をピックアップしてベンチャー企業を作り出しているエンジェルの知人がいますが、彼は自らもMITの研究者です。いろいろなネットワークをつなぐ格好の位置にいるわけですね。


 「ネットワークオブネットワークス」

 このように、ネットワーク同士を結んでいくことを、ネットワーク オブ ネットワークス(NNs)といいます。学術の世界のNNsについては、2008年に札幌市で開催されたG8大学サミット2008の報告にこの言葉があります。筆者が「ゼロエミッションハウス」で関わった、あの洞爺湖サミットの開催に先立ち開催された大学人のサミットの報告です。ここでは、(研究)ネットワークをさらにネットワーク化し、束ねていくとの構想です。言い出したのは、小宮山宏前東大総長ではないかと筆者は推測しています。小宮山先生の講演にもこの話が出てきたことがありました。


 学術研究のネットワークは、本質的・必然的に、どんどん専門的に細分化・孤立されていきます。専門家のネットワークは、どうしても閉じた社会になりがちで、用語も専門的で他のネットワークに属する人には通訳が必要だったりします。しかし、イノベーションを起こして行くには、こうしたネットワークに異種の人たちとその知見を組み込んでいくことが重要です。新結合ですね。専門家のネットワークの壁については、こんなことがありました。経産省・NEDOのロードマップの委員会で、ロードマップ同士の用語の違い、不理解が、イノベーションを妨げているとの発言が数人の委員からありました。異なるロードマップ同士が連携していたら、あるプロジェクトで起こった失敗が、ほかのロードマップではすでに記述されていた材料強度の問題だと事前にわかったはずだ、とその委員は指摘したのです。専門性を深めることは大切ですがこうした深掘りに伴う課題への注意も必要です。このためには、意識してネットワークオブネットワークスを進めていかないといけません。NNsは自律的に進むものではないのです。


 G8大学サミットの成果でNNsがどう進んでいるか、不勉強にして知りませんが、大学はもともとネットワークを作りそれを融合して行くにはきわめて適したところだということは、第12回でも述べました。大学melting pot(るつぼ)モデルです。たまたまこの稿を書いているときに、東京大学の「未来へ向けたデジタル診療情報の利活用を考える」国際シンポジウムに参加したとき、挨拶に立たれた東大の松本洋一郎副学長から、「ネットワークオブネットワークス」についてお話しがありました。医療現場とIT、これを結び付ける研究者のネットワークの融合の重要性について、松本先生は強調されたのでした。

 http://pari.u-tokyo.ac.jp/event/smp100305_info.html

 ネットワークオブネットワークスを進めることが、イノベーション政策の神髄かもしれません。だとしたら、政策の方向性も自ずと決まってくるでしょう。


 さあ皆さん、じゃんじゃんネットワークして、また、どこかのmelting potでお会いしましょうね。


経済産業省特許庁審査業務部長橋本正洋




(@)Guimera, R., & Amaral, L. A. N.
2005. Functional cartography of complex metabolic networks. Nature,Vol.433, p895-900
(A)Granovetter, Mark;1973"The Strength of Weak Ties"; American Journal of Sociology, Vol. 78, No. 6., May 1973, pp 1360-1380
(B)橋本正洋他;2008クラスターネットワークにおける研究大学の役割と機能、日本知財学会誌Vol.5 No.1 2008

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