第10回 イノベーションの共通基盤その2



「イノベーションの共通基盤、サイエンス・コモンズ(その2)」

 特許庁に来ていただいたのは、CREATIVE COMMONSジャパンの野口祐子常務理事・弁護士、末吉亙弁護士、高木利久ライフサイエンス統合データベースセンター長、大久保公策国立遺伝学研究所教授です。

 野口先生からは、サイエンス・コモンズの考え方と、日本での議論の状況について詳しく教えていただきました。皆様からご説明をいただいた現状、背景を簡単にまとめると、


  • 米国では、日本の現状と同様に、研究成果である科学論文やデータベースについては、著作権法により守られているが、もともと、国の予算で行われデータ生産を企図したプロジェクトのデータは、その成果を国全体で平等かつ効率的に利用するという考え方から、データがタイムリーに平等に還流するようなプランが計画に盛り込まれている。

  • その背景として、米国では、民主主義の基本として政府情報へのアクセス権を保障する考えが特に強く、情報公開法の考え方が本件にも適用されているという点がある。

  • しかし、それよりもより重要なのは、デジタル時代の知財政策や科学政策の基本理念として、科学データなどの「上流」資源は、特許法的にも発明に至る以前の上流の情報(いわゆる「発見」)であり、解析機から出てきたままの機械的なデータベースは創作性のないデータベースであって著作権もないもの(いわゆる「事実」)であり、そもそも特許法や著作権法が共有すべきであると位置づけているものであり、独占させるよりも、むしろ多くの研究者に広く開放し発見や利用を競わせた方が、「下流」での知的活動の所産である特許発明や科学論文などが多く生まれ、国のプロパテント政策に資する、という戦略的思考が存在していること(上流情報の共有と下流情報の独占)が見逃せない。

  • また著作権が保護する科学論文についても90年代に、主として患者団体から、自らの疾病にかかる研究について国(NIH)がグラントを行い、その研究論文が出されているのに、税金を支払っている(いわば「スポンサー」である)患者自身がその成果にアクセスできない、アクセスしようとすると多大な費用がかかるとの問題が顕在化したこと

  • 併せて、学術雑誌の出版社が合従連衡の末巨大化し、米国の大学の図書館等に対して複数の雑誌をセットで購読させ、巨額の費用を請求しようとして主要大学の反発を買い、オープンアクセス運動が起こっていたこと

  • これらの動きを後押しに、最終的には2007年に米国議会が動き、NIHのグラントによる研究成果に関する研究論文については、商業出版誌に掲載のものといえども出版後1年の猶予の内にNIHのデータベースにおいて無償で国民に閲覧を許すべき旨が法制化されたことで急速に公開が進んでいる

  • 一方日本では、TLO法、バイドール条項等が米国に相当遅れて導入されたが、デジタル時代の科学におけるこうした問題については一切考慮されてこなかったこと

  • 現在日本でも、総合科学技術会議の委員会等で議論が行われているが、検討ははかばかしくなく、その背景の一環に、日本の科学者の個人型研究時代の古いマインドに基づく消極的な態度がある。

  • 現在国として、ライフサイエンス関係のデータベースの利便性の向上を図るため、データベース整備戦略の立案、統合化の基盤技術開発、ポータルサイトの整備等を行っている「統合データベースプロジェクト」について情報システム研究機構・統合データベースセンター長の高木先生を中心に進めている。また、委託研究事業や補助金ではこれまでから「成果」の公開に努めることは求められてきた。しかしながら、補助金のみならず委託研究事業の契約でも、公開の詳細を決めているわけではないため、「成果」の定義が曖昧であり、現在では「論文や特許」のみであると解釈する場合が多く、「データ」までを(再利用可能な形で)公開するまでには至っていない。その結果、NIHと同じような生の研究データを再利用可能な形で公開しているプロジェクトはほとんど存在せず、統合データベースに参画できているものはわずかである

  • そのほか、JST、経産省、NEDOとの話し合いもようやく始まったばかりである、


    とのことでした。

     なお、野口先生から、参考に以下のURLをいただいております。

    論文:大久保公策、2009「インターネット時代の公的科学の知財戦略」

    http://lifesciencedb.jp/cc/?p=219

    上記論文にも掲載されている日米の関係年表:

    http://lifesciencedb.jp/cc/wp-content/themes/bible-scholar/images/2009/12/USvsJP_comparison_of_science_related_policy_L.png


     経産省のバイオ政策を担当し、その後工業技術院、TLO担当課長、NEDO企画調整部長と渡り(おっと、この言葉はまずいですね。もとい)歴任した筆者としては、これまで知らなかったけれども知らなければいけない世界だということを痛感しました。

     本件は、デジタル化時代の知識を扱う上でイノベーションにとってきわめて重要な問題をはらんでいます。一方で、プロパテントを進めてきた政府の政策とのバランスをとる必要があります。たとえば、「特許を確保すべき」としてきたナショプロの実施者側にとって、どこまでの情報が公開可能で、どこから秘匿すべきかは、相当難しい話であることは想像に難くありません。


     

    「著作権のかべ」

     特許庁においても、著作権法は業務に大きく影響しています。特許庁の扱う知財のうち、特に意匠については秘密性が極めて高く、日本では登録までは一切公開しません。さらに、意匠権の審査には、公報のほかに、世界中の「公知」の意匠を集め、これに抵触しないかのチェックがきわめて重要で、特許庁内には710万件を超える意匠のデータベース(公報のほか、内外の雑誌やインターネットのデザイン画面、写真の切り抜き)を整備しています。しかし、すでに公表されている公報はともかく、それ以外の公知情報はすべて著作権法で守られており、その使用は、著作権法により特許庁の行う意匠の審査の用のみに制限されています。つまり、審査官が持っている審査用公知データベースを、デザインを作る側は見ることができないということです。この問題は、知財戦略2009でも取り上げられ、公知データベースの公開について検討することが盛り込まれ、現在産業構造審議会の下でワーキング・グループレベルの検討が開始されたところです。現状では、著作権法に従い、権利者の許諾を個別に得たうえで公開を進めています。

     そういう意味では、CREATIVE COMMONSの皆様と同様、特許庁も著作権法の壁に苦労している仲間、ということができますでしょうか。

     本件、難しい話ではありますが、一歩一歩解決に向けて努力する必要があると思っています。




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