第89回 化学技術がエネルギー問題を解決する−アンモニアが面白い−


 将来のエネルギー選択をどうするか?この問題について、世の中の関心が高まっています。最近、毎日のようにこの関係の記事を目にするようになりました。東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故を受け、この夏の決定を目指して行われている、日本のエネルギー政策の抜本的見直しの議論が大詰めに近づいているという事情もあるでしょう。この見直しの議論についてもいろいろ考えることはありますが、今回は、同じ将来のエネルギーの問題ではあっても、少し異なる視点からの話題をご紹介したいと思います。なお、以下に書くことは、日本を代表する企業で技術のトップとしてエネルギー問題について極めて深く、かつ、実証的な研究をされたNさんという方から教えていただいたことがほとんどであることを予めお断りさせていただきます。


 現在、行われているエネルギー政策の抜本的見直しの議論は、今から約20年先、2030年の日本のエネルギー選択の姿についてのものです。しかし、さらにその20年先、2050年を見ると、どんなことが見えてくるでしょうか?


 Millennium Development Goalsに関して、国連事務総長の特別アドバイザーを務めたJeffrey Sachsの著作、"Common Wealth: Economics for a Crowded Planet"によると、人類の人口は2007年の約1.4倍、一人当たり所得は2005年の約4倍になると予測されています。したがって、単純に考えると人類は2050年には今の約6倍のエネルギーを消費することになります。こう考えると、人類が化石燃料資源のみに依存しつづけることには無理があるということは、誰もが分かることでしょう。さらに、地球温暖化を防止するために、2050年には世界の温室効果ガスの排出量を90年比80%削減するという目標を達成することを目指すなら、なおさらのことです。ですから、2050年をにらむと、人類はそれまでの間に化石燃料に依存しないエネルギーを手にする必要があり、その準備をすぐにでも始めておく必要があります。


 まず、地球上で利用可能なエネルギー資源は、どのようなものがどれほどあるか。科学的な事実関係を押さえておきましょう。"A Fundamental Look at Energy Reserves for the Planet(1)" によると、地球に賦存する化石燃料資源の総量は、石炭:900TW(=兆ワット)、石油:240TW、天然ガス:215TWと推定されています。また、原子力の原料となるウランの総量は90-300TWです(2)。これに対し、再生可能エネルギーは毎年、次のような規模のエネルギーが地球上で利用可能とされています。これらは、フローベースの数字であるということに留意することが必要です:水力:3-4TW/年、風力:25-70TW/年、地熱:0.3-2TW/年、バイオマス:2-6TW/年。ところが再生可能エネルギーのうち太陽エネルギーは、同じフローベースでも23,000TW/年とその規模が桁違いに大きいのです。ですから究極の持続可能エネルギーは、やはり太陽エネルギーということになります。この太陽エネルギーを利用しないと言う手はない。


 ただ、この太陽エネルギーをどのように利用するかというところで、2つの大きなハードルがあります。太陽エネルギーを、人間が使いやすい、どのようなエネルギーに変えて利用するか。(すなわち、二次エネルギーとして何を選択するか。)そして、高い効率で二次エネルギーに変換できるかという問題です。昨今、喧伝されている太陽光発電パネルで電気エネルギーに変換して利用する方法(太陽光発電)は、現在のところ変換効率が10〜15%程度と低く、また、変換した電気を溜めることが難しいといった問題があります。さらにこれに加えて日本では、太陽の高度が低い、曇りや雨の日が少なくないなど、太陽エネルギーを安定的に得ることのできる環境に恵まれているとはいえないという問題もあります。


 実は太陽エネルギーは、熱エネルギーに変換した方が変換効率は高く(〜85%)、低緯度の砂漠地帯のような気象条件に恵まれたところでは、従来型エネルギーにコスト面でも十分に競争できる技術が既に出来上がっています。現にアメリカの南西部にあるモハベ砂漠では大規模な太陽熱発電所が建設されていますし、欧州では、サハラ砂漠に太陽熱発電所を建設し、地中海を越えてEU地域まで送電する計画が動き出しています。


 とはいうものの、太陽エネルギーを電気エネルギーに変えて使用するという方法では、電気エネルギーは、大量の輸送が困難であり、また、貯蔵することも困難という、電気エネルギー特有の問題を避けて通れません。エネルギーの形態には、このほかに熱エネルギー、光エネルギー、機械エネルギーなどがありますが、いずれも輸送や貯蔵が困難です。この輸送や貯蔵が困難という問題は、二次エネルギーとして利用する際の大きく、かつ、深刻な問題です。


 ところが、エネルギーの形態のうち化学エネルギーは、こうした問題を克服することが十分に可能です。エネルギーを二次エネルギーとして利用しやすい化学物質に変えることができれば、この問題をクリアすることができるのです。ところで「化学エネルギー」といっても、決して特殊なものではありません。実は、石炭も石油も天然ガスも化学物質のかたまりであり、化石燃料はすべて化学エネルギーです。私たちは、これまで生物が地球上で長い時間をかけて太陽エネルギーを化学エネルギーに変換し蓄積してきたものを化石燃料として採掘し、利用してきたのです。


 したがって、将来のエネルギーを考える際には、太陽エネルギーを如何に化学エネルギーに変換して利用するかということが重要な視点になります。しかも大量に利用するのですから、太陽エネルギーと身近にあるものから安価に生産可能で、単位体積あるいは重量あたりのエネルギー密度の高い化学エネルギーであることが重要です。


 こういった観点で、従来から着目されているのが水素です。水素は、地球上に大量に存在する水を太陽エネルギーで分解すれば得ることが出来ます。これが「水素エネルギー社会」が構想されている理由です。


 しかし、水素は常温では気体です。-253℃という大変な低温まで冷やさないと輸送や貯蔵が容易な液体になりません。高圧下で液化して貯蔵する方法もありますが、自動車を500km走行させるために必要となる水素量5kgを自動車に積載できる容積に圧縮するためには、700気圧もの高圧をかける必要があります。現在、私たちの身の回りで700気圧もの高圧を用いているのは、特殊な防爆構造を施した工業プラントしかありません。さらに水素原子は小さいため、水素は容器を透過しやすいだけでなく、容器の金属を劣化させやすいという性質があります。水素は空気と混合しただけで、容易に爆発的に燃焼するため、水素の漏洩は絶対に防がなければならず、先の水素の本来的性質を考慮すると、そのハンドリングは容易ではありません。水素の輸送と貯蔵には大きな技術的課題があるのです。


 水素を貯蔵する物質として水素吸蔵合金なども研究されていますが、先の5kgの水素を吸蔵するための合金の重量は、今のところ、その40〜100倍の200〜500kgにもなってしまうということです。これでは実用的ではありません。


 ということで、できれば常温、常圧に近い条件で液体として存在し、また、水素を出来るだけ水素多く含むことの出来る水素密度の大きな化学物質に変えて利用することができれば、こうした困難は回避できます。さらに、せっかくクリーンな太陽エネルギーを利用するのですから、その物質を燃焼した際にCO2を発生しない、つまり炭素を含有しない化学物質であることも重要です。例えば、水素密度の観点からだけ見れば、天然ガスの主成分のメタン(CH4)は、物質あたりに含む水素の量が多い(CH4の1モルに、4/(12+4)=25%(3)の水素を含む)という点で有用なものですが、メタンは-162℃まで冷却しないと液化しないということと、燃焼した際にCO2を発生することから、クリーンな太陽エネルギーの二次エネルギーとして適切な物質とはいえません。


 そこでNさんが着目したのが分子中に炭素(C)を含まないアンモニア(NH3)です(4)。アンモニアは、常温で8気圧程度(5)の圧力をかけると液化します。また、水素密度も大きい。(3/(14+3)=17.6%(6))そして、水素と空気中の窒素から既存の技術で効率よく合成できます(7)。また、アンモニアは発火点が651℃と高く、アンモニア自体は不燃性物質です。したがって、ハンドリングも比較的容易です。実は、アンモニアは不燃性物質とはいっても、最初に水素などで点火してやると燃え、燃料にもなります。アンモニアは燃えると窒素になり、温室効果ガスを発生することはありません(8)。


 私も最初にこの話を伺ったときは、アンモニアが燃料になるの?と思いました。しかし、驚くべきことに石油系燃料の欠乏が懸念された第一次世界大戦後のイタリアやベルギーでは、実際にアンモニアが自動車やバスの燃料として用いられていたのです。さらに驚いたことには、1960年代に米国で開発されていた超音速ロケット機X-15はアンモニアを燃料としていました。真っ黒に塗られた胴体に小さな主翼を付け、マッハ6以上で飛ぶX-15は、小さいころ私の大好きな飛行機でした。アンモニアは、燃焼し始めれば安定的に燃焼し、オクタン価も130相当あるという、極めて優秀な燃料なのだそうです。こうしたこともあって米国では、その後もアンモニアを燃料として使用するための研究が続けられているそうです。


 アンモニアを輸送、貯蔵するためのインフラは、アンモニアの液化にそれほどの冷却も圧力も必要としないことから、既に実用性が十分に実証されたものが存在します。米国の穀倉地帯では、肥料としてアンモニアを直接地中に散布しているので、アンモニア用の製造プラントと貯蔵施設を結ぶパイプラインやアンモニア基地網が既に存在しているそうです。最初に、このアンモニアの地中散布の話をNさんから伺ったときは、その周辺はさぞ臭いだろうと思いましたが、地中に入ったアンモニアはすぐに土壌により中和され、大気中に漏れたアンモニアも軽いので大気中を上昇し、比較的短期間のうちに大気中の酸化物で中和されてしまうため、ほとんど臭わないということです。実際に、アンモニアを直接地中に散布している米国アイオワ州の現場に行かれたNさんの経験談です。


 アンモニアの欠点の一つは、その毒性です。粘膜に対する刺激性が強く、高濃度のアンモニアを吸引したり、触れたりすると危険です。日本でも「劇物」に指定されています。ただ、発がん性のような長期毒性は確認されていません。アンモニアが猛烈に臭いことは事実ですが、他方、臭いだけにごく少量の漏洩でもすぐに気がつくという利点もあります。こうした毒性が、アンモニアを二次エネルギーとして利用する上で致命的かというと、化石燃料にだって毒性(9)や引火性・爆発性がありますから、危険性の質は異なるものの、アンモニアも取り扱いにあたって十分に注意をすれば、化石燃料と同様にリスク管理はきちんとできるはずです。


 アンモニアは、私たちの身近にある物質でもあります。自然界には家畜の排泄物や魚類などの腐敗を発生源とするアンモニアの発生源は沢山あり、こうしたアンモニアは年間6,500万トンあるそうです。また、アンモニアは冷凍機や冷蔵庫の冷媒としても使用されています。(調べてみたら、我が家のワインクーラーもアンモニアを冷熱源として使用していました。)したがって、アンモニアは、ガソリンなどよりは、よほど私たちの暮らしに近いところにある物質と言えるでしょう。


 ということで、長々と書いてきましたが、比較的身近な物質であるアンモニアが、太陽エネルギーを二次エネルギーとする際の水素キャリア、あるいは、二次エネルギー自体(燃料)として極めて面白い物質であることをNさんに教えていただいたのです。二次エネルギーのことについてちょっと考えれば分かることなので、普段、如何にものをきちんと考えていないかをさらけ出すようで恥ずかしい話ですが、Nさんのお話を伺って目からウロコが落ちたように感じたのは、太陽エネルギーを人類が使いこなすためには、太陽エネルギーを液体の化学エネルギーに変換することが必要ということでした。そのためには、アンモニアを始めとするエネルギー・キャリアや燃料となり得る化学物質の研究がきわめて重要になります。化学を学んだものとして、化学技術が将来のエネルギー問題を解決する主役になると知ったことは、ある意味大変にうれしいことですし、また、化学技術の可能性の大きさを改めて感じたことでもありました。


 実は、Nさんのやられた研究はこれでは終わりません。実際に、アンモニアを燃料として使ってみて、十分に燃料として使用できること、アンモニアを燃焼した後の排気が、NOxや温室効果ガスのN2Oを含まない、きれいな窒素(N2)ガスにできることなどを科学的なデータを収集して確認されています。さらには、太陽エネルギーを利用して水素製造し、それをアンモニアにして利用する場合のコスト推計や、アンモニアをより一層の競争力と実用性のある二次エネルギーとするために必要となる研究課題などを特定されています。これらの内容についてここでこれ以上詳しくは書きませんが、Nさんの研究の蓄積をもとに、今後、幅広い分野の専門家が結集して、アンモニアの可能性について研究を掘り下げていくことが期待されます。


 化学を学んだものとして、また、国の科学技術行政に携わった経験をもつ者として、少しでもこの分野の研究の進展にお役に立てればと思っているところです。



1) By Richard Perez & Marc Perez, The IEA SHC Solar Update, Volume 50, pp. 2‐3, April 2009
2) もし、高速増殖サイクルが実用化できれば、原子力エネルギー資源の量はほぼ無尽蔵になると言われています。
3) 分母はメタンの分子量、分子は水素の原子量です。
4) 水素を含み、分子中に炭素を含まず、水と空気と太陽エネルギーから合成可能な液体燃料としては、このほかに過酸化水素(H2O2)、ヒドラジン(NH2NH2)などがありますが、前者は爆発性が高い、後者は猛毒物質であるという致命的な欠点があります。
5) タクシーなどに搭載しているプロパンガス・ボンベはこの程度の圧力です。
6) 脚注3と同じ計算。なお、アンモニアは、体積あたりの水素密度も大きい物質です。
7) 空気中の窒素を固定して、肥料の原料とすることを可能とした有名なハーバー・ボッシュ法(HB法)です。HB法は、20世紀の初頭1908年に発明されてから、数多くの改良が重ねられ、効率のよいアンモニア合成法として世界中に普及しています。
8) 実際の燃焼では、空気中の酸素により、ごく微量の窒素酸化物が生成しますが、これは実用化されている脱硝触媒で問題なく除去できます。
9) ちなみに、ガソリンに微量に含まれることのあるベンゼンは、発がん性物質です。

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