第88回 「レバ刺し禁止令」と南海トラフ地震の津波想定


 この題を見て、「レバ刺し禁止令」と南海トラフ地震の津波想定の間にどんな関係があるんだ?といぶかしく思われる方も多いでしょう。でも、私の中では両者の問題は大いにつながっているのです。


 まず、「レバ刺し禁止令」に関して。私はレバ刺しを食べないので、この禁止令に関して個人的な利害関係はありません。これについて書きたかったのは、「『レバ刺し禁止令』の愚かしさ」という日本経済新聞4月4日付けの社説にいたく共感したからなのです。その社説の要点は次のようなものです。(筆者要約)


 厚生労働省が薬事・食品衛生審議会の意見を受けて、食品衛生法に基づいて生レバーの販売を禁止する規格基準をつくるという。これは、昨年、一部の焼き肉チェーンで牛の生肉を食べた客が死亡した事件が契機となり、レバー内部から大腸菌O157が検出されたことを受けたものだ。
 これは、ただ一つの事業者が引き起こした不祥事を機に「官」による規制が際限なく広がる典型的なパターンだ。およそ食べ物から完全にリスクを取り除くのは難しい。食べる、食べないは、突きつめれば個人の判断で、食文化はそうした微妙な均衡のもとに育まれてきた。そこに「お上」が乗り込むことは愚かしい対応と言わざるを得ない。禁止令の前に、やることがあろう。危険を見分ける消費者の自覚ももちろん大切である。


 別に私が嬉しがる必要もないのですが、私はこの論説の主張に100%同感で快哉を叫びたい思いでした。食品のリスク管理問題という、とかく安全サイドの議論が勝ちがちなリスク管理問題について、この論説はきわめて全うな意見を述べていること、そして世の中に迎合することなく、そうした正論を論説として掲げたということについてです。


 およそ食べ物から完全にリスクを取り除くのは難しいこと、食べる、食べないは個人の判断であること、そしてそういった問題に「お上」が乗り込むことは愚かしい対応であること。そういった目で社会に張り巡らされたさまざまな社会的規制について見直しを行ったら、日本の経済社会はどれほど活性化することでしょうか(*1)。また、食のリスク管理においては、何よりも危険を見分ける個人の能力を涵養することも重要です。


 それにしても、食品のリスク管理のあり方について、より専門的な知識をもっているはずの薬事・食品衛生審議会の専門家の方々は、どうして生レバーの販売に禁止につながるような規格基準が必要と言う結論を出したのでしょうか?生レバー自体はまさか毒ではないですよね。細菌による汚染が問題だとしたら、生で食すことが習慣となっている他の食べ物にだってそのリスクはあります。ですから、およそ市場に流通している生レバーはすべて細菌などで汚染されていて、いくら注意しても人の健康にとって危険ということでない限り、禁止するというのはやりすぎです。何故なら、リスクの大きさに応じたリスク管理対策をとることを心がけないと、リスク管理対策の優先順位を誤り、本来、資源を割くべきリスク管理問題への対策がおろそかになりかねないからです。例えば、類似の問題が懸念される他の食品についても全て精査して、問題があれば禁止するのでしょうか?もっと重要で対策を急ぐべき食品の安全問題は、他にはないのでしょうか?


 どういった議論があったのか詳らかには承知していませんが、もし、薬事・食品衛生審議会の専門家が安全サイドに立って生レバーの販売を禁止する意見を出したのであれば、やや言葉が過ぎるかもしれませんが、それではリスク管理の専門家としての責任を果たしていないのではないかと思います。


「レバ刺し禁止令」についての社説から遡ること数日前の3月31日、南海トラフの巨大地震モデル検討会の中間とりまとめの結果を報ずる記事がどの新聞でも大きく報じられていました。「南海トラフの巨大地震、最大津波34mを予測」(読売新聞)などがその代表的な見出しの例です。TVは、早速、最大津波高34.4mとの予測が出された高知県黒潮町にカメラを出して、町役場や津波避難所の標高を大きく上回る津波高の推計結果に困惑する住民の姿を取材していました。また、高さ18mの防波堤を新設中の浜岡原子力発電所については、静岡県御前崎市の最大の津波高の推計がそれを上回る21mと予想されたことは問題と、記者が指摘し、その質問をぶらさがりで受けた知事から、現在講じている原子力発電所の津波対策では不十分だとのコメントを−おそらく記者の狙いどおり−引き出していました。


 内閣府(防災担当)が配布した、この中間とりまとめに関する報道発表資料に実際に当たってみると、今回の検討会で推計された震度分布・津波高は、東日本大震災の教訓から「津波地震や広域破壊メカニズムなど、あらゆる可能性を考慮した最大クラスのものとして推計したもの」で、検討結果は「発生頻度はきわめて低いものの、発生すれば甚大な被害をもたらす最大クラスの津波に相当する」ものと、注記されています。そして、その予想の根拠は、従来の予想のベースとなっていた過去数百年間に起きた地震、津波をモデルとするのではなく、1,000年、2,000年前に起きた痕跡のある地震、津波をモデルとして推定されたと記されています。そしてこんな注も付されています。「地震調査研究推進本部が、今後30年以内の地震発生確率を公表している南海トラフの地震(想定東海地震88%、東南海地震70%程度、南海地震60%程度)は、いずれもマグニチュード8クラスのものであり、本検討会で示すマグニチュード9クラスの地震を対象としているものではない。」


 残念ながら先の報道ぶりを見るかぎり、今回の検討の真意が国民にちゃんと伝わったようには思えません。さらにマスコミの報道ぶりには、ご他聞にもれず相当に問題があるように思います。その具体的な例を挙げましょう。中間とりまとめでは、津波の高さの予想を行うに当たり、トラフの震源域について11のケースを想定しています。したがって、津波の予想高さもケースごとに異なっています。これを見ると黒潮町の場合、想定される津波の高さは17.5m〜34.4m(34mを超えるのは11ケース中2ケース)、御前崎市は7.8m〜21.0m(20mを超えるのは同3ケース)とされています。(ちなみに、原子力発電所の津波対策として問題となった18mを超えるケースは同4ケースです。)つまりマスコミは、11ケース中の最大の津波高を取り上げてニュースにしたということです。マスコミの悪い通僻です。


 しかし、ここで考えたいことはマスコミの記事の仕方の問題ではありません。今回の検討の目的に照らして考えたとき、検討結果のプレゼンテーションとして、今回のやり方は適当だったのだろうかということです。「考えたい」と書いたのは、現段階で私に結論めいた意見が固まっていないからなのですが、私はこの検討会の検討結果の提示の仕方について何となくストンと心に落ちないものを感じます。


 検討結果は、現時点での科学的知識を結集した科学的なものでしょう。また、結果を公表したという自体も、もちろん間違ってはいません。ただ、結果を知らされても、「地震が起きたら、何よりすぐに高いところに逃げろ」以上に現実的に有効な対策が見つからないばかりか、黒潮町のケースにいたっては「避難先は、役場が指定した避難所でも、近くの高台でもだめだ」といった、住民が途方に暮れてしまうような情報の提供には、いったいどのような意味があったのだろうかと考え込んでしまうのです。


 以前にもこのコラムで書きましたが、1,000年、2,000年という時間的スケールで見れば、人間の生活に甚大な被害が生ずるような地質学的変動(地震、津波、火山爆発など)が起こることは決して珍しいことではありません。特に日本列島は、地質学的には日常のことのようにそういう変動を遂げて、現在の姿になってきたのです。ですから、1,000年タームの時間的スケールで見れば、狭い海岸線に沿って暮らさざるを得ない日本人は、日本列島に暮らす限り、破局的な津波災害に遭遇することは不可避とも言えます。ですから、そうした観点から見ると今回の予測は、南海トラフを震源とする地震も東日本大震災と同様の規模の震度と津波を引き起こし得るということが分かったということ以外、実質的な付加価値はあまりないように感じます。


 それでは報道をにぎわした震度分布・津波高の推計結果のもたらしたものは何だったのでしょうか。最大津波高(黒潮町のケースで言えば34.4m、御前崎市のケースで言えば21.0m)が本当に最大津波高といえれば、それは極めて価値のある情報です。それであれば、その高さに耐えることの出来る対策を講ずれば、将来にわたって地震、津波に対する防災対策は万全と言えるからです。しかし、科学を多少なりともかじっている人であれば、それが絶対の最大津波高さだと言い切るのは難しいということは明らかでしょう。


 そうだとすると、内閣府が発表した今回の推計結果は、学術的にはともかくとして、その行政的な意味は何だったのだろうと考え込んでしまいます。


 このように書くことは言い過ぎではないか思いつつ書いていますが、薬事・食品衛生審議会の専門家も、南海トラフの巨大地震モデル検討会の専門家も、リスク管理対策の検討において意味のある情報となっているかどうかを十分に考慮することなく、必要以上に安全サイドに寄った立ち位置からリスク評価の結果に関する「専門家としての見解」を出しているとしたら、それは本当に社会的に意味のある「専門家の見解」にはなっていないのではないかと感じてしまうのです。



1) 以前、役人をやっていた悪い癖で、すぐに注を付けておきたくなるのですが、この議論は、食べる、食べないの判断に必要となる情報を、消費者が知りうるケースについて当てはまるものでしょう。そんなことを言い出すと、多くの問題がそうしたケースに該当するかどうかのグレーゾーンに落ちて、見直しがなかなか進まなくなるとも自省しますが・・・。

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