第86回 「縦割り行政」は間違いか?


 前回のこのコラムで「科学技術イノベーション戦略推進本部」の構想について、私が抱いた感想のようなものを書きましたが、それに関してある産業界の方から、こんなご指摘を受けました。


 "今、日本の科学技術政策にとって足りないことは、革新的な技術シーズとなる科学的成果が産業技術の芽となりイノベーションとして花開くまで、政府が一丸となって、息長く、必要な政策的支援をしていくことだ。しかし、今は各省や各省の関係機関が、目先の研究開発テーマに対して縦割りでばらばらに支援している。研究成果をイノベーションにつなげるためのタイムリーな規制改革も進まない。「科学技術イノベーション戦略推進本部」ができれば、こういったことができるようになるのではないか。"


 この方の言わんとしていることを敢えて補足すれば、次のようなことになるでしょう−世の中を一変するような革新技術を生み出すためには、極めて長期間にわたる研究開発が必要である。しかも、基礎研究から応用、開発研究にわたる各ステージにおいて、必要な投資や規制改革がタイムリーに行われる必要がある。こうした広範、かつ、息の長い取組みは、国しか担うことが出来ない。こうしたことを「科学技術イノベーション戦略本部」が司令塔となってやって欲しい。


 例えば、LED照明は、日本の産学官における地道な研究開発の成果によって実用化への道が切り開かれ、数千億円規模の市場を生むだろうと言われています。1971年にアメリカで青色発光ダイオードが初めて試作され、その芽が出てから約40年経ってイノベーションの花が開こうとしているのです。その間、名古屋大学の赤崎 勇先生等による高品質の窒化ガリウム結晶作製の成功(1985年)、NTT厚木研究所(当時)の松岡 隆志研究員による窒化インジウム・ガリウムの短結晶の作製(1988年)、日亜化学工業(株)の中村 修二研究員による高輝度青色発光ダイオードの量産化技術の開発(1993年)などのブレークスルーが、この技術を実用化の道に乗せるための鍵となったと言われています。歴史を振り返ってみると、この技術の研究開発には、通商産業省と新技術開発事業団(現、科学技術振興機構)が、その初期の段階(それぞれ1975〜78年、1987〜91年)にナショナル・プロジェクトや開発委託の形で研究開発の支援を行っていました(*1)。


 そうした息の長い研究開発が重要であることは、おっしゃるとおりです。実際、このほかにもハードディスク・ドライブ用の垂直磁気記録技術、光触媒材料、リチウムイオン電子の高密度化・長寿命化技術など、今、日本が世界をリードしている革新的技術は、いずれも技術シーズの発見から実用化にいたるまで20〜30年の長期にわたる研究開発を要しています(*2)。グローバルな大競争の時代に入って、民間企業では大企業といえども、そうした研究を行っていくのはますます難しくなっています。ですから、国に期待するところが大きいのはよく分かる。


 しかし、「科学技術イノベーション戦略推進本部」ができれば、特定の科学技術テーマについて、国が技術シーズの芽の段階から産業技術の一歩手前の段階まで、息長く、さまざまな研究機関の力を結集して研究開発を進めていく、「司令塔」のような役割、あるいは、プロジェクト・マネージャーのような役割を果たしてくれると期待するのは、残念ながらちょっと無理ではないかと思います。


 その理由についてポイントだけ述べれば、特定の科学技術テーマに係る研究開発について公的機関に長年にわたり一貫した仕事を行わせるためには、よほど強い政治のリーダシップが「科学技術イノベーション戦略推進本部」を通じて継続的に発揮されること、そして、同本部にその研究開発と実用化に関する予算の配分権限を与えることが不可欠ですが、「科学技術イノベーション戦略推進本部」の構想にはそういったことが欠けているからです。いや、構想の問題と言うよりは、1年を経ずして大臣が交代する日本の政治状況と、財務省が予算配分を行うという仕組みが変わらない限り無理でしょう。唯一考えられる手法は、その科学技術テーマに関する一貫した研究開発の実施を公的機関の義務とする(すなわち法律とする)ことですが、特定テーマの研究開発を進めるために法律を制定することはちょっと考えられません。ついでに申し上げれば、仮にそういった方策を企図しても、研究開発活動の重要な一翼を担う大学は、「学問の自由」を盾に、特定の研究テーマに研究活動を拘束するような可能性のある法律などには絶対に賛成しないでしょう。


 ところで、「科学技術イノベーション」の推進に関しても言われたように、役所は縦割りでけしからんとよく批判を浴びますが、本当にけしからんのでしょうか?敢えて挑戦的に申し上げれば、組織の役割について突き詰めて考えると、むしろ役所は縦割りであることが基本であるのではないか、縦割りであることが期待されているのではないかと思います。


 役所の組織は、個々の組織の責任と仕事(所掌事務)が、きちんと法令で決められています。そしてその所掌事務は、行政組織間で重複は存在しないということになっています。(重複があったら、これは資源、つまり税金の無駄遣いということになる。)また、どの組織もその所掌事務をきちんと実施することが求められており、役所にとってアプリオリには所掌事務の間でその軽重はありません。各省庁内では、その軽重は、関係する法律の目的や省庁の設置目的に照らして、時々の社会、経済状況に応じて判断され、最終的には大臣によって、時々の所掌事務の案件間の優先順位が付けられることになります。こうやって各省庁における政策の優先順位、すなわち省庁内での予算や職員の配分などが決まっていきます。


 しかし、異なる省庁間では、それぞれの省庁に与えられた責任と使命に照らして、個々の所掌事務の重要性が判断されますから、問題の広がりが一省庁の所掌事務の範囲を超える場合には、同じ問題についても省庁によってその優先順位が異なることは当然に起きます。逆に各省庁内で、それぞれの任務に照らして施策間の優先順位についての突き詰めた検討が行われないまま、時流に流されるような形で政府としての政策が企画立案されたら、それこそ各省庁は、それぞれに付託された責任と使命を果たしていないということになりかねません。なお、省庁間で施策の優先順位に調整が付かない場合、最終的には官邸(総理大臣、官房長官)や設置法などで調整権限が付与された省庁が省庁間の優先順位を調整して(*3)、政府の政策として取りまとめることになります。ちなみに、各省庁への予算の配分について、一元的な調整権限をもっているのは財務省です。


 したがって、はなはだ建前論を申し上げて恐縮ですが、役所の役割を突き詰めて考えてみると、それは本来的に縦割りなのです。ですから、「だから役所は縦割りでダメなんだ」という批判は妥当ではなく、役所は縦割りであることが当たり前と考えてその打開策を工夫しなくてはなりません。


 もちろん縦割りで国の政策を進めて良いというつもりは全くありません。各省庁の幹部には、是非、日本全体の利益を視野に入れて省庁間の政策を調整し、実施してもらいたいと思います。しかし、行政機関というのはその本質として、それぞれの責任と使命に照らして政策のあり方を検討するということが基本的な役割であるということ、そして、幹部といえども行政官である限りは、その立場を超えて、他省庁との間で対立する物事の優先順位を決めることを本来的には期待されていないのだということは、「縦割りでけしからん」と役所を批判する前に認識しておくことが必要だと思います。組織論としては、各省の大臣であると同時に国務大臣である大臣が、国全体の見地から対立する省庁間の優先順位について調整をすべき立場にいるのです。


 こうしたことからも、仮に日本の政治状況と予算配分の仕組みという問題がなかったとしても、行政機関の主導によって「科学技術イノベーション」の推進を期待することは、残念ながら、なかなか難しいと思います。


 面倒で、手がかかって、大変かもしれないけれど、産業界の方が期待されるような「科学技術イノベーション」の推進は、「科学技術イノベーション戦略推進本部」ができれば大丈夫ということはなく、やはり関心のある者が、その研究開発テーマに即して節目節目でとるべき政策について声をあげ、進めていくしかないのではないかと思います。イノベーションの推進は、プロジェクト・ベース、ボトムアップで構想される必要がある、と書いたのは、そういった理由です。



1) 平成17年度科学技術白書、第2章コラムNo.7
2) 同上、第1-2-10表
3) 但し、何について調整権限が付与されているかが重要です。前回、記したように「科学技術イノベーション推進本部」の構想に記された調整権限は、「方針の策定」、「提言」、「一定の関与」等であり、かなり限られた内容に留まっています。

記事一覧へ