第81回 長春の近況(吉林省をあるく その4)


 8月の最後の週、再び中国吉林省の省都、長春市を訪問しました。昨年に引き続き、帝京大学と吉林財経大学による共同研究プロジェクトの現地調査のためです。前回の訪問から1年が経っただけですが、長春の発展ぶりには目を見張るものがありました。街が目に見えて変わっています。そして、街を歩いてみると、目に見えない変化が起きつつあることにも気がつきました。経済成長とはこういうものかと改めて実感したものです。吉林省は、昨年も年率15%の経済成長を成し遂げました。


 ご存知のように、長春は、かつての満州国の首都。当時は、新京と改称されていました。私たちの両親の世代には、この名前の方になじみがあるかもしれません。新京と呼ばれていた満州国時代、この街は日本人による壮大な都市計画により整備されました。当時の満州国の国家予算の1/4が新京の整備につぎこまれたといいます。


 街は、東西南北に走る道路によって、ほぼ200m x 400mのブロックに区切られています。南北に走る道路は「大街」、東西に走る道路は「大路」。これらの道路は、それぞれの側に、3車線の自動車道、緑地帯、自転車/荷馬車道、そして並木のある歩道から成る堂々たるものです。プロックの広大な敷地を利用して数多くの重厚なビルディングも建築されました。日本の城をビルの上に乗せたような旧関東軍司令部(現 中国共産党吉林省委員会)(写真)や、旧満州国中央銀行(現 中国人民銀行吉林省分行)など、現在でも当時の面影を残す建築物を街のそこここに目にすることができます(1)。旧満州国の皇帝溥儀の宮殿(現 偽満州国皇宮博物院)や旧満州国国務院(現 吉林医科大学)(写真)も残っています。



 この「偽満州国」という名称に表れているとおり、もちろん中国は満州国の行った事業を公式にはまったく評価していません。しかし、長春の人たちと話していると、彼らはわだかまりなくこれらの建物を旧満州国の建物と紹介してくれます。この街には、昨年の訪問と合わせても一週間ほど滞在しただけなので、私の認識が間違っているのかもしれませんが、この街の人々は、旧満州国の行ったこの都市づくりを、必ずしもネガティブには評価していないように感じます。


 そして、街はその基本骨格はそのままに、1年前に比べて目に見えてきれいになりました。大路、大街の路側帯には花壇が整備され、街灯には花の鉢植えが飾られています。街から中国特有の石造りの平屋はほぼ姿を消し、道に面した商業ビルの裏に、中庭で隔てられた洋風のマンション群が建ち並ぶ、新しい街区がどんどん誕生しています。街のところどころには、ハイセンスなショッピングタウンも生まれました。写真は、長春市の中心部に広がる南湖公園(2)の一角ですが、公園はよく整備され、写真のように、ところどころにはウッドデッキも敷かれています。池からの涼しい風が吹き渡る木陰では、二胡の伴奏で歌を楽しむ人々が土曜日のお昼どきのひとときを楽しんでいました。この南湖公園も、日本人の都市計画により造成された公園と長春に住む中国人の知人に聞きました。



 ただ、今の長春は、必ずしも人に優しい都市とは言えません。サイズが大きすぎて、とても歩いて回れるような街ではないのです。まず、1ブロックが長い。さらに、街のところどころには東西南北に走る大路、大街に加えて、街を対角線状に走る道路が集中する、パリの凱旋門広場のような円形のロータリーがあるのですが、その大きさは周囲1kmほどもあります。そうでなくとも混雑した車の間を縫いながら道を渡るのは大変なのに、道を何本も渡りながらロータリーの反対側にたどり着くのは容易なことではありません。これだけで優に10分はかかってしまいます。


 いきおい人々は移動に車を利用することになります。ですから、長春の街の車の混雑振りは、他のアジアの都市と同様に、なかなか大変なものです。混雑だけでなく、割り込みは当たり前。横断歩道も何のその。車が平気で突っ込んできます。センターラインを越えて、道の反対側にはみ出て走ることもめずらしくありませんから、まず道の真ん中まで横断して、というのも危険です。実際、長春滞在中、毎日、交通事故を目にしました。このように交通道徳はまだまだの感がありますが、街を走る車は、乗用車はもちろんのことバスもトラックもずいぶんときれいになりました。荷台に中国特有の大きな番号表示を付けたオンボロのトラックは、街なかでは、もうほとんど見かけなくなりました。


 こんな状況なので、今のところ長春の庶民の足は、料金1元のバスということになります。昨年まで帝京大学の大学院に留学し、今では長春で日系企業相手の人材派遣会社に勤めている馮(ひょう)くんと一緒にバスに乗ってみました。バスは、車内放送、車内カメラ付き。運転手は、何と4つ星の肩章をつけた品の良い小母さんです。その優しそうな見かけによらず、クラッチ・ペダルとギア・ワークを駆使しつつ、小母さんは混沌のきわみに近い長春の車の波を見事にかき分けていきます。この運転技術が4つ星の所以でしょうか。それにしても4つ星って大将の徽章ですよね。


 ところでバスの中では、中国の変化を感じさせる、ちょっとびっくりしたこともありました。混雑するバスの中で、何と若者から席を譲られたのです。以前の中国だったらちょっと考えられないことです。丁寧にお断りをしたつもりですが、それほどの歳にみられたのかという複雑な思いと、意表をつかれた驚きがないまぜとなって、きっと間抜けなお断りぶりになっていたに違いありません。


 もう一つの長春の庶民の足は、タクシーです。ちょっと贅沢な感じもしますが、長春のタクシーは、最初の2.5kmまで5元と比較的安いので、庶民にも手が出るのでしょう。でも馮くんは、毎日11時から14時半まではタクシーはつかまらないと言います。本当?と半信半疑で、1台ぐらいはなんとかなるだろうと待っても待っても、頻繁にタクシーは来るものの本当に空車がありません。でも、庶民はこうした不便を克服する術をしっかりと生み出しています。お客が乗っていても、信号待ちのタクシーがいると、別のお客が運転手と交渉して、同じ方向であれば相乗りが生まれます。運転手は料金をそれぞれの客からもらうので、料金の二重取りになるのですが、相乗りされた方のお客も別に文句は言いません。実際に相乗りもしてみましたが、慣れてしまえば合理的なシステムではあります。


 長春は、そんな自動車社会ですが、一般の庶民にとって自家用車はまだまだ高嶺の花に違いありません。中国の大衆車の新車価格は大体16万元といいますから、日本円では200万円を超える価格になります。加えて以前書いたように(3)、ガソリン価格は6.2元(=約80円)と日本の6割くらい。すさまじい勢いで整備が進んでいる高速道路料金も、約100km離れた隣の吉林市までの料金が75元(約1,000円)と、距離あたりの料金水準は日本とあまり大きく変わりませんから、中国の物価水準から見ると高い。実際、中国の中小企業からは、高速道路料金が高すぎるとの声が上がっているそうです。ですから、庶民にとっては自家用車を保有するのは大変な負担のはずで、モータリゼーションの恩恵が中国庶民にまで及ぶのは、まだまだ先のことのように思います。それでも乗用車はどんどん売れているようですから、この辺がどうなっているかがよく分かりません。長春の市民の力、恐るべしと言うべきなのでしょうか。


 しかしこの不便さも、新たな公共交通機関が整備されるまでの問題でしょう。長春では、今年になって新しい公共交通機関として、市街地を大きくS字型に貫くライトレールが一路線開通しました。ライトレールは基本的には路面電車ですが、主要な道路とはほぼ全線立体交差となっているので、まるでモノレールのようでもあります。長春では中国の他の都市に比べて地下鉄建設は遅れていましたが、その建設もいくつかの道路で始まっていました。やがて、大路、大街の下を走る整然とした地下鉄の路線網が整備されるでしょう。そうなるとこの街の骨格の大きさが活きてきます。


 長春の市民の力、恐るべしといえば、こんな話も聞きました。やはり帝京大学の大学院を今年の春に卒業して、長春の大学の観光学部の日本語講師の職を得た張さん(女性)は、この秋に結婚します。その結婚の報告とともに、長春の一等地、南湖公園の近くにマンションを買ったと嬉しそうに話してくれました。区画あたり70m2の部屋を、続きで2部屋購入して新居にするという贅沢な買い物です。1m2あたり7,000元と言いますから、日本では億ションです(4)。それにしても、1年前に聞いた長春のマンション相場は2,000元/m2ということでしたから(5)、彼女たちが購入したマンションが一等地の物件ということを考慮しても大変な値上がりようです。それにしても、ご主人となる人も大学の先生とのことですから、一人っ子をもつ親御さんからの支援を相当に受けているに違いありません。それにしても億ションを買える親御さんの職業は何なのでしょうか?聞きそびれてしまいました。


 ところで、長春で評判の焼肉屋に案内してくれた張さんは、しかし、口にするのは何故か野菜ばかりです。何でも結婚式までの1ヶ月ほどの間に5kgほど痩せると婚約者と約束しているのだそうです。「結婚前の約束として、婚約者はよくそんなことをはっきりと頼めるね」と中国の男性の勇敢さに少し感心して聞いたら、これには結構切実な理由がありました。何でも中国の結婚式では、新郎が新婦を「お嫁さん抱っこ」してベッドまで運ぶという儀式があるのだそうです。顔はそれほどでもないけれど、確かに肉付きのしっかりした張さんを見て、私は、新郎の勇気あるお願いに密かに納得しました。


 長春の活気は、レストランの賑わいぶりにも感じます。この地方の夕食時間は早く、18時前から始まって20時ごろには終わってしまいますが、この時間帯は、どこのレストランもにぎやかに食事をしている家族や仲間でいっぱいです。まあ、当日になってから場所を探したのが間違いだったのですが、今回の長春訪問でお世話になった方々へのお礼の宴席を開けるレストランが、どこも一杯でなかなか見つかりません。結局、お客さん側となる吉林財経大学の先生方にまで場所探しをお願いし、15軒くらい電話をかけ続けていただいてようやく予約できたといった状態でした。


 お昼時はケンタッキー・フライドチキンが大人気です。マクドナルドよりも人気があるようです。その理由は、チキンの調理法が中国風であること。フライドチキンには、ちょっとピリ辛の中華風ソースがかかっています。チキンのから揚げが具の餡かけご飯といったメニューもあります。価格はそれに飲み物がついて30元。しかし、庶民にとっては一人30元の外食というのは大変な贅沢のはずです。それでもケンタッキー・フライドチキンの店は、昼時となるとどこも大変に混雑していました。


 いろいろ書いてきたように、長春の発展ぶりはめざましく、また、その発展は物質的な外見だけに限られず、長春の人々の生活の質も変えつつあるものとなっているように思います。日本人の感覚で量るのは危険ではありますが、しかし、その発展ぶり、賑わいぶりに、正直言ってなんとなくアンバランスさも感じます。この私が感じるアンバランスさは、目に見える発展、賑わいが、一般的な長春の人々の生活水準と乖離した世界で起きているように見えることに起因しています。


 こんな話も聞きました。冒頭の方で書いた長春で次々と誕生する新しい街区は、その多くが市や省が設立した「管理委員会」が事業主体の「経済開発区」の開発事業によるものです(6)。「経済開発」の意味するところは広いですから、その名称がおかしいとは言えませんが、まあ、役所がデベロッパーをしているようなものでしょう。公的機関が、公的金融機関などから資金を借りて、それ行けどんどんでこうした開発を進めますから、かなりの「経済開発区」の運営は赤字化し、多額の不良債権を生み始めているといいます。


 そういった危うさは感じるものの、私は、長春の人々はそのダイナミズムでその危うさをこともなげに乗り越えていくのだろうと思います。勢いというのは、やはりすごいものです。また、来年、長春を訪ねる機会があったら、このアンバランスさや危うさが、どのように克服され、中国らしい発展を生み出しているか、是非、見てきたいと思っています。


1) 長春には、旧満州国の国家機関のうち8つの建物が現存しているそうです。その写真をご覧になりたい方は、次のサイトをご覧下さい。http://www.geocities.jp/torabane/btrip44.htm
2) 先日、北朝鮮の金正日主席が長春を訪問した際には、南湖公園のほとりにある南湖賓館に宿泊しました。
3) 第70回「物価から見える中国 吉林省をあるく その2」を参照ください。
4) ちなみに、中国ではシステムキッチンを含むマンションの内装は、基本的に買主が自費で行います。ですから、実際にマンションに住むために要する費用は、もっと高いものになります。
5) 連載第70回「物価から見える中国(吉林省をあるく その2)を参照。
6) 「経済開発区」は、もともとは国が中国各地のインフラや産業開発のために設けたものでした。今では、省レベル、市レベルの経済開発区が、多数、設けられています。

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