第75回 再びOPCW(化学兵器禁止機構)の将来構想委員会へ


 前回、「何のために書いているのだろうか」などと、あまり深く考えもせず出口さんをも惑わすようなことを書いてしまってから調子が狂ったということではないのですが、2月はすっかり筆が遠のいてしまいました。


 「何のために書いているのだろうか」なんて言われたって、出口さんのように書いていないと窒息してしまうような人もいるのでしょうし(失礼!)、それよりも何よりも、後で気がつくと数回前のコラムで「いい文章のいちばんの条件は、これをこそ書きたい、これをこそ伝えたいという書き手の心の静かな炎のようなものだということです」という辰濃和男さんの文章を自分自身で引用していたのですから、答えのかなりの部分は自明の、一人芝居だったような気もします。(もちろん、「かなり」の以外の部分に心の引っ掛かりがあったことは確かなのですが・・・。)


 とか何とか言ってみても、正直なところ、結構忙しかったという単純な事情が真相に近いところで、出口さんは別人種としても、忙しい中でも、いつも示唆に富む文章を書かれている黒川先生や石黒さんのすごさが改めて実感されます。


 実は、忙しかった原因の三分の一くらいは、第73回のコラムに書いた「OPCW将来構想委員会」が2月の中旬に、再び、オランダのハーグであったためで、このために一週間がつぶれました。


 OPCW(化学兵器禁止機関)の活動は、基本的に私たちの日常生活とは縁遠いものなので、普通はOPCWの名前を目にすることはないでしょう(*1)。したがって、OPCWの将来構想といっても、一般の方々にとっては何か玄人の世界の話のような感じだろうと思っていました。ところが、私が、オランダから帰国した日(2月24日)に、たまたま購読者勧誘のお試しサービスとしてポストに入れられていた東京新聞を開いたら、何と国際面にリビアの混乱の関係で「化学兵器」という文字が大きな見出しで踊り、OPCWのコメントが報じられているではないですか。ちょっとびっくりしました。リビアは、現在、化学兵器禁止条約の規定にしたがって、OPCWの監視の下、保有していた化学兵器の破壊を進めていますが、完全に破壊し終わるまでには、まだ1年ほどを要します。このため、混乱の中で残存する化学兵器がどちらの側かに奪取され、使用されることが心配されているのです。OPCWのコメントは、リビアに残存する約10トンの化学兵器の状況についてのものでした。(その後の報道では、残存化学兵器の奪取のために、イギリスの空挺部隊がリビアに潜入したとの情報も伝えられています。)


 「OPCW将来構想委員会」は、その存在とメンバーは公表されていますが、議論の内容は非公開です。ですから、リビアの話を含めて議論の内容をご紹介するわけにはいきません。でも、委員会の様子はどんなものなのか、また、委員会の議論を通じて私が感じたことなどを、少しご紹介してみたいと思います。(この委員会が設けられた経緯と、この委員会に私が参加することになった顛末については前回のコラムを見てください。)


 委員長は、Ekeus氏。かつて国際連合大量破壊兵器廃棄特別委員会の初代委員長を務めた人で、現在は欧州安全保障協力機構少数民族高等弁務官、ストックホルム国際平和研究所理事長の要職にある軍縮問題の大御所です。委員会はメンバー14人。核兵器不拡散条約(1968年)、生物兵器禁止条約(1972年)、化学兵器禁止条約(1993年)、包括的核実験禁止条約(1996年)等、重要な軍縮関連条約を作成してきた国連軍縮委員会の代表であった元大使がその大半を占めています。化学の学界、産業界、そして開発途上国からのメンバーもいます。今回、南アフリカからMintyさんが初めて参加して、メンバー全員がそろいました。後で聞いたのですが、この方は先ごろIAEA(国際原子力機関)の事務局長の席を日本の天野大使と争った方だそうです。(結果は、日本の天野大使がMinty氏との決選投票に勝って、現IAEA事務局長となっているのは皆さんご存知のとおりです。)


 会議室は14人がちょうど座れるようなサイズのテーブルと、それがちょうど収まるような小さな部屋です。席順は自由。国の名前はもちろん(*2)、名札もマイクもありません。1日に5セッション、計5時間ほど、一応、セッション毎のテーマを設定して議論しますが、原則は自由討議です。一応、議長が求めに応じて発言者を指名する形で議論は進みますが、少人数の会議ですから割り込みの発言や直前の発言内容に関する質問などが時として飛び交います。このために時として議論はテーマから離れて別のテーマに飛んだり、議論がぐるぐる回りしたりします。


 それでも、メンバーの多くはそれぞれの世界で有数の経験をもっている人たちですから、議論していて飽きません。そして、基本的には、皆、中身のある発言です。「中身がある」と当たり前のことを書いたのは、残念ながら国際会議などでは国や外交官としての面子などが影響するためか、発言のための発言、議事録に残すためだけのような発言が多いからです。ちなみに、この委員会では議事録は作成していません。


 やや不思議で、しかし、嬉しく思うのは、国の代表という裃を脱いで意見を言うためか、議論がとても建設的です。「あれ?この国の大使(だった人)がこんな発言していいの?」、「国の代表としてこれまで主張していたことはどうなったの?」などと感じることが多々あります。特に、ずっと以前、暫定技術事務局で働いていた際に各国の政治的、硬直的意見に振り回された恨み(?)をもつ私などは、OPCWのいろいろな会議の議論がこんなに建設的で柔軟性のあるものだったら、技術事務局の仕事はどれほど生産的にできたことだろうかと思ってしまいます。何しろ、例えば条約に書かれている各国の報告義務の実施細則、様式をつくるだけで、1回に一週間続く会議を何回もやらないとまとまらなかったのですから。これは、他の外交問題とのいろいろな駆け引きの中で条約の実施をできるだけ遅らせることを試み、あるいは、万一にも不都合な情報を他国から要求されることのないよう交渉官が細部にこだわるということが起きがちだからですが、交渉をまとめようという各国リーダーの強い意志が交渉の場に伝わってこない場合、こんなことが延々と続くことになりかねません。そういった意味で国際交渉においては政治のリーダーシップが極めて重要です。それにしても、昨今の日本の政治不在は、特に日本の外交に決定的な不利益をもたらしていると思います。


 話が逸れました。話の逸れついでと言っては何ですが、こんなにも柔軟になれる人間を見ると私は、いつも、昔、コミュニケーション学を勉強した際に教科書で読んだ集団心理学の有名な実験結果を思い出します。それは、かいつまんで言うと次のような実験です。10人ほどの被験者に、明らかに長さが少し異なる紐を見せてどちらの紐が長いかと問う。ところが、実は10人のうち9人はサクラで、その9人は短い方を「長い」と口をそろえて答える。すると確か3割くらいの(本当の唯一人の)被験者は、「こちらの紐のほうが長いと思うのだけれど、皆がそちらの方が長いというなら、そちらの紐の方が長いのかもしれない」と(首をかしげながら)答えるというのです。集団の力の恐ろしさを感じます。国という集団は、そういったものが積み重なったもっと複雑で重い集団です。


 さて、委員会の話にもどりましょう。私はこのように委員会での意見交換を楽しむことができているのですが、この委員会の議論があまりに各メンバーの意見が既存の立場にはとらわれない、建設的で柔軟性のあるものとなっているだけに、こうした議論をもとに提言をまとめても、国の代表が集まる正式な会議で各国が受け入れることができるのだろうかという懸念も正直言って感じ始めています。まあ、そのために委員会には、委員長のEkeus氏を始めとする軍縮分野の大物のメンバーが参加しているのでしょうけれど・・・。OPCWが時代のニーズに即して本当に進化していけるかどうかは、この委員会の提言の使い方にかかっていると思いますが、鍵は、どううまく提言内容をOPCWの締約国会議の場に落とせるかでしょう。


 ちょっと先走り過ぎました。委員会での議論は始まったばかりです。これからが本当に良い提言をまとめられるかどうかの正念場です。せっかく与えられた機会ですから、立派なメンバーの方々とともに産業界の立場から建設的に議論し、良い提言のとりまとめに微力ながら貢献していきたいと思います。ある意味で、それがこのOPCWという国際機関をゼロから創り上げ、個人的にもお世話になった初代事務局長、故Ian Kenyon氏に対する、はなむけとなるのでしょうし、また、40代の3年間、この国際機関づくりに参加した私自身の過去の仕事に対する−ちょっと何と表現したらよいか分かりませんが−自分なりの仕上げの一筆というようなことになるのでしょうから。


 今回のオランダ訪問は仕事の都合で、2日間の会議の前日の夜着いて、会議が終わった翌日の早朝には帰国という忙しいものでした。そのために、懐かしいハーグの街を歩く時間がありませんでした。そのためか、夜明けが少し早まり日が長くなったのを除けば、ハーグには、まだ、春の兆しも見ることができませんでした。今年の冬の寒さの影響がここにも出ているようです。ハーグの2月の風物詩といえばクロッカス。特に、フェルメールの「青いターバンの少女」や「デルフトの風景」を収蔵することで有名なマウリッツハウス美術館の近くのランゲ・フォールハウト(Lange Voorhout)広場には、クロッカスの花が絨毯のように一面に咲き誇るのですが、今年はまだ顔も出していないと聞きました。


 それにしてもいつもオランダを訪れて思うのは、この国の国造り、都市計画の見事さです。街と街の間は見事に運河や畑地や牧草地といった広々とした空間で仕切られ、水路や道路や鉄道が機能的にそれらを結んでいます。街もその歴史的な雰囲気は保全しつつ、トラムや低床バスなどの公共交通機関、自転車道、歩道の整備が着実に進められています。工事を見ているといかにも武骨で、数cmくらいの誤差はいとわないと思えるような工事をしていても、出来上がってみると合理的で機能美にあふれたものができあがっている。そんな感じです。この国も小党連立政権で、中央政府の政治基盤が磐石という状況ではありません。しかし、中央政府がそうした状況であっても、国造り、街づくりはきちんと進んでいます。何が日本と違うのでしょう。空港までの高速道路の車窓から、街と街の間に広がる広く大きい空と運河沿いの風車を眺めながら、いつもそう思い、今回もそう思って帰ってきたところです。



1)このコラムをお読みいただいている方々は、私が何回かOPCWのことを書きましたので、大よそどのようなことをやっている国際機関であるかはご存知と思います。この際、もっとOPCWについて知りたいと思われたら、このコラムの第38回「国際機関をゼロからつくりあげたある英国人の話」をご覧下さい。もちろん、OPCWのHP(http://www.opcw.org/)にも分かりやすい説明や活動の様子を示す統計数字などがあります。
2)この委員会は、メンバーが個人の資格で参加し、個人の資格で提言することになっています。


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