第62回 「国」を選ぶ時代
−「坂の上の雲」と川口、長洲選手、そしてある国民意見の募集−


 最近、また、「国」とは何か、などということについて考えています。「最近の若い女性があまり子供を産まないのも、国を選択しているってことじゃないかなあ」という帰国子女のS嬢の口から何気なく出た言葉も、こんなことを再び考え出したきっかけとなりました。


 伏線は「坂の上の雲」にあります。NHKが年末に放送したドラマ「坂の上の雲」は、NHKがその威信をかけて製作しただけあって、久しぶりに見ごたえのあるドラマでした。そしてドラマに触発されて、原作の「坂の上の雲」はどう書いていたかが気になり、年始休みに原作を再読しました。


 司馬遼太郎は、原作第一巻のあとがきに、「坂の上の雲」という長い作品を書く際に「たえずあたまにおいているばく然とした主題は日本人とはなにかということであり、それも、この作品の登場人物たちがおかれている条件下で考えてみたかったのである。」と書いています。「維新によって日本人ははじめて近代的な「国家」というものをもった。・・・たれもが、「国民」になった。不馴れながら「国民」になった日本人たちは、日本史上の最初の体験者としてその新鮮さに昂揚した。このいたいたしいばかりの昂揚がわからなければ、この段階の歴史はわからない。」


 明治時代になって、日本人は初めて「国家」というものを意識したといいます。日本国民であることを意識するやいなや、日本国という「国家」は、ほとんどの国民にとって自分のアイデンティティのようなものになりました。そこに属することに何も疑いを持たず、「国家」の一員として日本を欧米諸国と伍していける国とするために人々は猛烈に働き、日本国を外国の侵略から守るために命を投げ出すことすらまったく厭いませんでした。「坂の上の雲」は、明治維新を完成させ日本という国づくりに没頭した人々の情熱と、明治時代の国民が「国」というものにかけた思いを見事に伝えています。


 ところでここで話はまったく横道にそれるのですが、原作を再び読み、関連の資料をいくつか見ると、NHKの「坂の上の雲」の脚本の良さと配役の妙に感心させられます。ドラマでは、原作ではそれほど存在感の大きくない、秋山兄弟の父親、久敬(八十九翁)や正岡子規の妹、律の役回りを増やすことによって、当時の松山の時代の雰囲気と生活感を良く出しています。しかも伊東四郎、菅野美穂という芸達者を使って・・・。さらに配役は、とても良く練られていることが分かります。俳優さんの演技力もあるのでしょうが、秋山真之役の本木雅弘、正岡子規役の香川照之は実在の人物にとても良く似ています。小村寿太郎役の竹中直人、大山巌役の米倉斉加年、そして東郷平八郎役の渡哲也、山本権兵衛役の石坂浩二などは、大物俳優をキラ星のごとく並べただけかと思っていたら、大違い。結構、本人によく似た俳優を選んでいる。さらに、高橋是清役の西田敏行、広瀬武雄役の藤本隆弘、そして、広瀬武雄に思いを寄せたロシアの美人、アリアズナを演じた役者さんなどは、本人にあまりに似ていてびっくりするほどです。正直言って、何で西田敏行が高橋是清?と思いましたがね(笑)。


 閑話休題。


 こうした明治時代の日本人にとっての「国」への思いを見るにつけ、「国」という概念が相対的なものであり、「国」の概念は時代によって移り変わるものであることを感じます。


 時代を経て、私たちは日本国に属しているということに対して、明治時代の国民が感じたような純粋無垢な昂揚感を感じることがあるでしょうか。たまにオリンピックやワールドカップなどで日本チームの勝利に酔うなどということはあっても、今の私たちは、「国」に対して無条件の貢献と奉仕をするほどの思い入れはないように思います。出生地という、本人にとっては選びようのない偶然によって与えられたまま、日本人を続けている人は(自分を含めて)大勢いるが、日本人であることに明治時代の日本人がそうであったような昂揚感を覚える人は少ないのではないか。「国」が自分のアイデンティティの一部を構成していることは認めるとしても、自分という個は、「国」とは別の行動主体だ。今では、多くの人がそう考えているのではないか。日本人にとって「国家」は、国民がその国づくりに積極的に関与していく対象から自分を取り巻く所与の環境のようなものとなり、その変化の方向について、どちらかというと是々非々で受身的に対応するものに変わってきたのではないかと思います。


 ところが最近では、「国」と個人の関係がさらに一層変わりつつあるように感じます。日本で生まれ日本人でありながら、自分がよりよく活躍できる国を選び、日本国籍を捨ててその国の国籍をとる人さえ出てきました。アイスダンスのロシア代表となった川口悠子さん、女子フィギュアスケートの米国代表となった長洲未来さんなどの例を見ると、ことにそんな考え方が強くなってきたのではないだろうかと思います。これまでにもこうした例がないわけではありません。ノーベル物理学賞を受賞された南部陽一郎先生などは、その代表例でしょう。アイススケートの世界では、トリノオリンピックにペアの米国代表として出場した井上怜奈さんの例もありました。先のS嬢の発言といい、このような世の中の動きを見ていると、どうも特に若い世代の人々には「国は選ぶもの」といったような意識が芽生え始めているのではないかと思います。


 「国」という同じ集団に属していることに国民が昂揚感を覚えた時代から、昂揚感が薄れるだけでなく、「国」は個人にとって積極的に選び取るものになってきた。そんな感じがします。そこには、個人にとって「国」は何を与えてくれるか。もちろん与える見返りに、個人が担うべき負担もあるわけですが、個人がそういった見返りと負担を総合的に評価しつつ、「国」を選び取っていく時代がくるのではないかと思うのです。そして、自立心を持ち、人生の目標を明確に持っている若者ほど、そうした傾向を強めるのではないでしょうか。さらに恐ろしいことは、ひょっとしたら若い優秀な人たちは、先のS嬢の発言に現れているように、この国は自分の子孫を積極的に残す「国」ではないとそれとなく感じて、子供を産まなくなったのかもしれません。


 「国」も選ばれる時代が来ているように思います。

 そんなことを考えていたら、こんなことに出くわしました。


 ちょっと長くなりますが、以下を見てください。これは、昨年の12月11〜28日にかけて行われた「地球温暖化対策の基本法」の制定に向けた意見の募集の結果です。それは、小沢環境大臣からの地球温暖化対策の基本法の制定に向けたメッセージについて意見を募集するという、ちょっと変わった形で行われました。大臣名をわざわざ付し、地球温暖化対策の基本法の制定に向けた、大臣の所感のようなメッセージに対する意見ということですから、意見の論点はいろいろあったようです。以下は、私が「『地球温暖化対策の基本法』の制定に向けた意見の募集の結果概要について」と題した環境省作成の資料の内容をできるだけ忠実に要約してみたものです(*1) 。なお、各意見の後に付した( )内の数字は、その意見がその論点に関して出された意見全体に占める割合です。


1.温室効果ガス排出削減の中長期目標のあり方について(意見数:1,376件)
○「すべての主要国の参加による意欲的な目標の合意」の前提が確保できるかどうか不明な中で、国内の削減目標(90年比25%削減)を先行して決めることは反対(37.9%)。
○25%削減の達成のための具体的な対策やそれに伴う国民負担などが明らかにされない中で、国内の削減目標を先行して決めることは反対(35.6%)。
○突出した削減目標の設定は、日本の経済や雇用への悪影響が大きい(12.8%)。
○温暖化を防ぐために削減目標をさらに高めるべき(5.6%)。
○90年比25%削減を堅持すべき(2.9%)。

2.地球温暖化対策税・税制のグリーン化について(意見数:871件)
○地球温暖化対策税の導入は、産業の国際競争力を低下させ、国民生活への影響が大きく反対(40.0%)。
○地球温暖化対策税の導入にあたっては、その効果、影響の分析を行い、その結果について国民の判断を仰ぐべき。それをせずに税の導入を法案に位置づけるのは反対(26.4%)。
○炭素税を導入すべき(13.5%)。
○税収の使途や効果、影響を明らかにしたうえで議論をすべき(13.5%)。
○規制の緩い発展途上国等への活動の移転を助長し、地球規模の排出量を増加させる懸念がある(1.6%)。

3.国内排出量取引制度について(意見数:816件)
○産業の国際競争力を低下させ、国民生活への影響が大きく反対(21.8%)。
○公平・公正な排出枠の割当が不可能であり、努力をしていないものが得をする制度になりかねない(17.4%)。
○日本の産業の削減ポテンシャルは小さく、海外から排出権を購入せざるを得ず、国富が海外に流出する(15.2%)。
○義務的参加型の取引制度とする等の条件を満たす制度を導入すべき(8.3%)。
○制度の導入によるマネーゲーム化の懸念があり、企業経営の不確実性とリスクが高まる(9.3%)。

 さて、次は、「提出された意見に対する考え方について」と題して資料2-2(参考)として、先の結果の概要とともに配布された資料の要約です。(これもオリジナルは、注に記したサイトから入手できるはずです。)


1.温室効果ガス排出削減の中長期目標のあり方について
⇒ (「すべての主要国の参加による意欲的な目標の合意」を確保するという)前提条件に関しては、法案(地球温暖化対策基本法案)の中でもきちんと位置づけたい。経済への影響等については、別途進めているロードマップの検討の中で国民の理解が得られるように努めていきたい。また、(法案の)基本原則や基本的施策に新たな産業や事業の創出、就業機会の増大を図っていく旨を位置づける。

2.地球温暖化対策税・税制のグリーン化について
⇒ 地球温暖化対策税については、昨年の政府の税調で、平成23年実施に向けて成案を得るべく検討を進めるとされている。この方針を基本法に位置づけ、具体的内容については国民の意見を聴きながら検討する。

3.国内排出量取引制度について(意見数:816件) ⇒ キャップ&トレード方式による排出量取引制度は、排出抑制のための基幹的な施策であり、基本法に位置づけ、その具体的な制度化を速やかに進めていきたい。なお、制度設計の詳細については、各方面の意見を聴いて制度の肉付けをしていく。

 何ですか、これは。正直言って、私はこの「提出された意見に対する考え方について」と題する資料を見てたまげ、呆れてしまいました。国民の意見をあまりにないがしろにしていませんか。しかも、今回は、政策の方向性を検討する段階で、わざわざ「国民の意見を聴きたい」と言ったにもかかわらずですよ。ややまともに答えているように見える「1」も、国際交渉の結果を待たないと確保できるかどうか分からない前提条件をどのように法律に規定するのか。そもそも、そんな法律がありうるのかまったくわかりませんし、法律の基本原則や基本的施策にいくら新たな産業や事業の創出、就業機会の増大を図っていくということを書いたとしても、実際の政策がともなわない限り、そんなものは、お経程度の効果しかありません。要は、まったくまともに国民から寄せられた懸念や意見に答えた「提出された意見に対する考え方」にはなっていないのです。


 主義主張は人によって違ってよいと思います。しかし、大臣自ら「国民の意見を聴きたい」と言っておいて、国民が提出した意見に真面目に答えることもなく、法律の制定を進めるというのは、まったくおかしいと思います。法律を制定するということは、国民に何らかの義務と国民の権利に制限を課すということですから。


 国が選ばれる時代が来つつあることを為政者はもっと認識すべきです。



1.「『地球温暖化対策の基本法』の制定に向けた意見の募集の結果概要について」と題する資料と意見募集の対象となったメッセージは、2月10日に開催された第87回中央環境審議会の地球環境部会の資料2-2として配布されています。ご関心の向きは、地球環境部会の公式サイト(http://www.env.go.jp/council/06earth/yoshi06.html)をご覧ください。

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