第54回 世事賑わしい東京を離れて北信濃へ


 いよいよ衆議院が、昨日、7月21日に解散されて8月30日に総選挙となりました。新聞の見出しには、「政権選択」という大きな文字が躍っています。でも、「政権選択」って何ですか?よく考えると分かりませんね。自民党が勝つとどのような世の中が実現でき、民主党が勝つと世の中がどのように変わるのでしょうか?確かに国の政策の合意形成プロセスは変わるかもしれませんが、「政権選択」だけが話題になるような選挙って、少しおかしいですよね。まあ、マニフェストづくりもこれから本格化するようですから、これから国民の政策選択に役に立つ論点が明らかになってくるのかもしれませんが、是非、政策面で分かりやすい「違い」を説明していただきたいものです。


 しかし、今度の選挙は最後まで「政権選択」の選挙になるのかもしれません。要するに気分を変えたいということでしょうか?何かが変わる、何かを変えなければこのままではだめだ、(よくよく考えて見ると何がどう変わるのか分からないけれど)まずは、変化のきっかけを作りたい。今回の「政権選択」の選挙の本質は、そんなところにあるような気がします。


 でも、日本にはそんなことをやっている余裕があるのでしょうか。急速に変化する国際情勢、経済環境、そして世界に類のないほどのスピードで高齢化する社会。そういった環境の中で、まずは変化のきっかけだけでも作りたいという気分にまかせて、今回の選挙のアジェンダを「政権選択」だけにとどめていたら、日本は貴重な時間を「政権選択」だけに費やし、その間、無為無策で過ごしてしまうことになりかねません。


 さらに、本来は、政策の方向性を決めていくのが政治家で、政策の選択肢を用意するのが官僚の役割なのだと思うのですが、昨今の「政治主導」とは、官僚の言うことは聞かない、官僚に任せておくことは出来ないということのようですから、どのような「政権選択」になっても、政策の選択肢を用意し、合意形成を構築していくという政策決定プロセス全体が麻痺してしまいそうなところが心配です。それにしても、与野党双方で「市場原理主義の反省」が叫ばれ、社会保障、雇用政策、教育の再生、地球温暖化問題などいろいろな面で「公」の役割の重要性が高まる一方で、本来、「公」の役割を担うはずの官僚に対するバッシングが高まる、いや、政治家も官僚バッシングの一翼を担っているという事態も皮肉なものです。


 そんな世の中の賑わしさとは全く無縁に、「海の日」の連休を利用して、信州にある両親のお墓参りのついでに北信濃の野沢温泉まで足を伸ばしてきました。北信濃の飯山市は、JST理事長の北澤さんの故郷です。私は、縁があって昔から信州にはよく行きましたが、飯山周辺を訪ねたのは、昨年、北澤さんの企画で斑尾高原に蛍を見に行ったのが初めてのことでした。(このときの素晴らしい体験については、連載の第36回「蛍のクリスマス・ツリーとリズムと自然の構造化」に書きました。)そのときの飯山周辺の里山の風景が忘れられずに、今度は、斑尾高原とは千曲川をはさんだ向かい側に穏やかな山容を見せる毛無山の山懐にある信州の名湯の一つ、野沢温泉に行ってみようと思ったのです。


 千曲川は、川中島で犀川と合流し、広大な善光寺平をゆったりと流れた後、東からは苗場山や志賀高原の山々、西からは飯縄山、妙高山といった火山群が造り出した溶岩台地によって川幅を狭めながら、日本海への出口を探すように北へ向かいます。そして、斑尾山を起点として南から東に連なる関田山脈に頭を押さえられるようにして東に向きを変える飯山市の辺りでは、千曲川の流域は幅2〜3km程にまで狭められ、しかし明るく広い谷となって、山と川の穏やかで美しい景色を創り出しています。JR飯山線に沿って長野から越後の十日町に抜ける国道は、このあたりでは以前は千曲川の氾濫原であったと思われる広い川原の中ほどに築かれた堤の上をまっすぐに北に向けて走り、千曲川の川原とそれをとりまく山々が車窓いっぱいに広がって、大変に気持ちの良いドライブが楽しめる道です。


 斑尾山の裾に広がる飯山市が左手に見えてくる頃になると、先の関田山脈が、屏風のように左正面に現れてきました。太平洋プレートの圧力によって日本列島にできた皺の一つの関田山脈は、以前にも書いたように標高は1,000m程の低い山並みの連なりですが、千曲川に立ちはだかって美しい谷を形づくっただけでなく、日本海からの風が最初に吹き当たる山地となって、冬はこの地を猛烈な豪雪地帯としています。そうしたこともあって、この地域は夏でも豊富な雪解け水に恵まれ、美しい日本の里山の風景を今に残しています。ちょうど私が車で野沢温泉に向かってその道を北上していたとき、その大気の流れを実感するような光景が広がっていました。まだ、梅雨の明けきらぬこの時期、湿気を多く含んだ気流が日本海から関田山脈を越えて流れ込んでいたためか、関田山脈の稜線のほぼ全体から、千曲川の谷に向かって雲が滝のように流れ落ちていたのです。


 そんなちょっと感動的な風景を楽しみながら、たどり着いた野沢温泉は、山懐のなだらかな斜面に広がるスイスの集落のようなところでした。そう見えたのは、スキー客を泊めるスイスのシャレー風のペンションや民宿が点在しているせいかもしれません。一方、温泉場は8世紀の半ばに、僧、行基が発見したという歴史があるだけあって、なかなかに歴史を感じさせます。約100℃の温泉が湯量豊かに自噴し、地元の人々に共同の調理場と利用されている麻釜(おがま)を始めとするいくつもの源泉や、13の共同浴場は、いずれも「野沢組」と呼ばれる地元の組合員によって、毎日のようにきちんと掃除され、とても大事にされています。共同浴場の入り口には、掃除の時間と組の当番の名前を書いた木札が並んでいました。


 湯質は、ちょっと硫黄の臭いのする、さらっとした肌触りの大変にいいお湯なのですが、ただ、お湯はちょっと熱い。共同浴場の湯船にあふれるお湯は、「ぬるめ」の湯船でも冗談抜きに50℃にもなろうかという温度です。「あつめ」のお湯なんて、とても触れたものではありません。「ぬるめ」湯船の片隅にある水道の蛇口を目いっぱい開いて、水のあぶくが水面に戻ってくる辺りに狙いをつけてそっと体を沈めます。お湯の中で体を動かしたり、かき混ぜたりしてはいけません。熱さで飛び上がってしまうことになります。


 実は、こうした入浴の仕方は、共同浴場に入浴していた地元の人に教わったからできたのですが、観光案内書には、共同浴場のエチケットとして地元の人の迷惑にならないように水であまりうめてはいけないなんて書いてありますから、教わらなければ共同浴場のお湯を体験することなどはとてもできなかったと思います。実際、共同浴場にいた地元の方は、湯船の外で桶にお湯をすくって湯浴びをするようにお風呂を楽しんでいて、水でうめないで入ったら「やけどする」と言っていましたから観光案内書も罪つくりです。なお、旅館のお風呂は、湯温を下げた温泉が源泉かけ流しで楽しめますから、ご心配なく。


 この地に来て初めて知ったのですが、"兎追いし 彼の山、 小鮒釣りし 彼の川"で始まる「故郷」、そして「春がきた」、「春の小川」、「もみじ」、そして「朧月夜」といった唱歌の歌詞を作詞した高野辰之(たかの たつゆき: 1876〜1947)は、この地方の出身の方だそうです。より正確には、現 信州中野市に生まれ、野沢温泉に山荘を持ち、号を斑尾山の字をとって「斑山(はんざん)」と称した。これらの歌の歌詞をここに書き連ねることはしませんが、これらの美しい歌詞を思い起こすと、まさにこれらの歌は、山と川と田んぼと草木と花と水と空気に恵まれ、四季の際立つ、ここ北信濃の自然を描きだしたものであることが実感されます。


 豊かな自然に恵まれているためか、北信濃は、多くの文化人を輩出していることでも知られています。パトロンとなって、文人を養っていた豪農も数多く居ました。小布施町の豪農、高井鴻山は葛飾北斎を養い、そのために小布施には北斎の肉筆画が数多く残っています。野沢温泉からの帰りには、その小布施町に立ち寄りました。小布施には、今回、是非、行ってみたいところがありました。小布施には、日本でも有数のワインを産出するワイナリーがあるのです。ここのワインは、全日空のファーストクラス用のワインとして供されたことで一躍有名になりました。


 その小布施でワインと名物の栗菓子を買い求め、世事賑しく、気分の落ち着かない東京に帰ってきました。ワインの味見はもう少し先に、ということにしようと思います。ということでそのご報告は、後日、東京の気分が落ち着いた頃ゆっくりと・・・。