第5回 普通に見えて普通でないこと
−オランダから見えたこと (3)―



 前にも書いたとおり、オランダは、人口1,600万人、九州ほどの面積しかない国です。ヨーロッパの陸海空の交通の大動脈のまっただ中の地に位置し、しかも、国策としてヨーロッパの物流の拠点となろうとしている国です。

 そんな小さな国でありながら、オランダは、オランダ語という固有の言葉を持ち、それを大事にしています。もっとも、オランダの北と南ではオランダ語も相当に異なるようで、現在はベルギーに属しているゲント、アントワープ、そして、オランダの中核をなす、南、北ホラント州の州都、デン・ハーグ、アムステルダムなどの出身者が正当なオランダ語を話すのだなどと地域自慢が出るのは、洋の東西を問わず、どこの国でも変わりはないようです。私は、喉の奥を絞り上げて鳴らすようなオランダ語の発音の難しさに音を上げて、とうとうオランダ語は勉強しませんでしたが、オランダの南部へ行けば行くほど、ザラザラ感のあるちょっと耳障りな音が強くなるように感じたのは、気のせいでしょうか。

 オランダでちょっと驚き、感心するのは、本屋に行くとオランダ語の本がたくさんあることです。原著が英語やフランス語などで書かれた本も、そのかなりのものがオランダ語に訳され並んでいます。オランダでは、英語、フランス語を話し、そしてドイツ語を理解する人が多いので、よほどの世界的ベストセラー以外は、オランダ語にわざわざ翻訳しても商売にならないのではないかと思うのですが・・・。そんな変な心配をし、それにもかかわらず、自国語の書物を出版しつづけるオランダの出版界は偉いねとオランダ人に対して誉めたら、さすがに専門書は、英語やフランス語のものをそのまま使うことが多いと謙遜気味の答えが返ってきました。しかし、この国が、オランダ語を維持することにかける努力は、並大抵のことではないと思います。

 ちなみに、オランダではThank youをDank uということをよく例に挙げて、オランダ語は英語とドイツ語の中間という人がいますが、言語的にはかなりドイツ語に近い言葉と思います。私のドイツ人の友人は、オランダ語は聞くだけならほとんど分かると言っていましたし、隣人のスウェーデン人の奥さん(この奥さんは、続きのベランダから我が家のベランダによく顔を出して、ビールを貸してくれとか、日本の醤油を貸してくれとか言ってきました。ビールや醤油を貸してくれもないと思うのですが、まあ、憎めない気の良いさっぱりとした人でした。)は、オランダ語は、スウェーデン語にも近いといっていました。それにもかかわらず、オランダ人でドイツ語を積極的に話す人が少ないのは、やはり第二次世界大戦の影響と思います。

 そんなオランダとドイツの関係ではあるのですが、第二次世界大戦の終戦50周年の1995年にちょっとびっくりすることが起きました。オランダの有名な王立コンセルト・ヘボウ交響楽団の新年Galaコンサートで、ワグナーを演目として取り上げたのです。ご承知のとおり、ワグナーは、ヒトラーがその曲を大変に好んでいたといわれる音楽家です。この出来事についての解説をオランダ人の友人に求めると「オランダも、さすがにドイツなしにはその経済が成り立たないことをこの節目の年が始まるにあたって認めたということだろう」という解説がかえってきました。確かに、かねてから当時のオランダ通貨ギルダーの為替相場は、ドイツマルクの90%にペッグされているように動いていました。(なお、その後、ヨーロッパ統一通貨のユーロへの以降後となる2006年にオランダを訪れる機会がありましたが、オランダ人は、ギルダーがユーロに移行した結果、オランダの物価がすごく上がったと嘆いていました。)

 話しは全く変わりますが、オランダとベルギーでは、鉄道の通行方式が異なるのをご存じですか?オランダは、車も鉄道も右側通行ですが、ベルギーは、車は右、鉄道は左側通行です。アムステルダムとブリュッセルを結ぶ国際急行列車は、オランダのベルギー国境の町、ローゼンタール(Roosendaal)を過ぎると速度を落とし、ゴトゴトと進行方向、右側の線路から左側の線路にポイントを渡って通行方式を変えるのです。記憶が間違っていなければ、車は右、鉄道は左というヨーロッパの国は、この他にスイス、イタリアがそうだったように思います。そして、これもドイツを意識して鉄道の通行方式を変えていたのだというような話を聞いたことがあります。(なお、この話の真偽は全く分かりません。)もちろん、ユーロトンネルが出来てイギリスとフランスの鉄道が繋がるときに、こうしたことが起きることは想像できたのですが、大陸の中の鉄道にもこうした各国間の差が存在しているとは夢にも思いませんでした。ちなみに、ユーロスターにロンドンから乗ったとき、どこで列車が右側の線路に移るのか気にしていましたが、冬の早い夕暮れのために、それがどこで起きたのか解明出来ませんでした。

 前に書いた「連載にあたって」で、チロル地方を旅行したときに、ふと、「国」とはなんだろうと考えたことを書きましたが、チロル地方に限らず、大陸の中で陸続きの自然環境にある国々の国民にとっての「国」と日本人にとっての「国」との間では、「国」とは何かということについての理解や常識がかなり異なるのではないかと感じます。私などは、日本に生を受けて、生まれたときから日本国民であることが当たり前と考えていましたが、自分にとってこの「国」というものが、どのようなものなのかということをあまり深く考えたことはありませんでした。

 古来、国を守るために国民が命をかけて戦うことは、比較的、違和感なく受け入れられています。しかし、自分が命をかけても守ろうと思うものはどのようなものか、というところから考え始めて見ると、家族はまあ当然としても、それを超えるとせいぜい親しい親戚、友人の範囲までが精一杯ではないかと思います。例えば、同じ町内会の人だからといって、その人を守るために命をかけようという人はまずいないのではないでしょうか。そう考えると、個人と国との関係は、命をかけて守るべきものといった絶対的な価値評価に基づくものではなく、相当程度、個人と国とのギブアンドテイクの相対的な大きさに関する暗黙裏の評価にもとづいたものなのでしょう。もし、所属する国を比較的自由に選ぶことができ、その選択肢の行使に対する(地理的、社会的、制度的、経済的)障害が大きくなければ、個人と国の関係は、もっと実務的、実際的なものになるのかもしれません。実際、私の妻の中国人の友人は、北京市の全人代の委員でありながら、その一人娘にはカナダ国籍を取らせていますし、世界中には国籍を変える人が多くいることも周知の事実です。なお、自分にとって「国」とは何かということについて、最も真剣に考えさせられるのは、命をかけて国を守ることを職務とする自衛官の方々であろうと思います。

 こんなことを書きながら、私自身にとって「国」とは何だと問われても、まだ、明確な答えはもっていません。オランダや米国に住んでいたときに、その地への定住の可能性について、ちらっと考えてみないでもありませんでしたが、いくら住環境が快適でも、それだけでは定住にまではなかなか踏み切れないなあと思った程度で、実際には、その可能性を突き詰めて考えるまでには至りませんでした。このように、真剣に考えてみたことはないのですが、そのときに何となく気になったことは、言葉の問題でも習慣の問題でもなく、自分がいなくなった後、この国は、家族や自分が家族に残したものをどのように扱ってくれるかということでした。その相場観がもてないと、ちょっと不安だなあという感じです。別の言葉でいえば、国への何とはなしの信頼感ということなのかもしれません。

 こんなことを考えていたら、最近、身の回りで2つの問題が起きました。「本籍地の危機」とでもいうような問題と年金問題です。「本籍地の危機」問題は、まあ、こんなこともあるのだというエピソードとして別の機会にお話しますが、年金問題は、「国への何とはなしの信頼感」を揺るがしかねない大問題だと思います。この問題は、社会保険庁の(度重なる)不祥事といった次元だけで捉えないで、国民の「国」に対する考え方に大きな影響を与えかねない潜在的なインパクトを持つ問題として、政治における真剣な取組みを期待したいものです。

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