第49回 身近にある美味しさの秘密



今回は、美味しい話を2題。

 先日、さる知り合いの方の買い物に同行させていただいて、東京築地市場の場内にあるその方の行きつけの仲卸商で鮮魚を買い求めてきました。「この人、これから時々買い物に来るので、良い品物を教えてあげて」とご紹介をいただきながら、何軒か回り、甘鯛、生マグロ、ウニ、塩鮭、イクラなど、ちょっと家族用には質的にも量的にも、ちょっと贅沢な買い物をしてきたのですが、これらが何とも美味しい。ちょっと大げさな表現になりますが、「人生観が変わるほど」美味しいのです。新鮮な魚介類ってこんなに香りがあったんだ、というのが、まず、口に入れた瞬間の第一感です。

 ウニは口に入れた瞬間、鼻腔の奥から海の香りが立ち上り、口いっぱいに、というよりは、何か首から上、頭部全体に広がる感じです。この海の香りからは、清冽だが、やさしい海が思い浮かびます。甘鯛の身は、柔らかく、しかし、きめの細かい繊維を感じさせるしっかりとした身で、香りだけでなく口あたりも素晴らしい。うまいと思える塩鮭にも久しぶりに出会えました。しかもこの塩鮭は安い。以前、自家の農園で育てた有機栽培の野菜を朝食のサラダに供するホテルで、野菜の味の濃さに感激したことがありましたが、今回、経験した驚きはそれを遥かに上回るもので、なんとも本当に脳天をガツンとやられたような衝撃の美味しさでした。と同時に感じたことは、私たちは、普段、料理屋でも家でも、何と味も香りもない魚を食べさせられているのだろう。都会人の食生活は、やはりちょっとおかしくなっているのではなかろうか、ということでした。ただ、こうした品物に出会うためには、築地でもそれなりの金額を出す必要があるようで、通りがかりの店の安い商品に目を奪われて手を出しそうになった私をその知り合いの方はたしなめて、「いいものを手に入れようと思ったら、信頼できる店から、やはりそれなりの価格を払って買う必要がある」と教えてくれました。やはり、築地でも「本物」はそう簡単には見つけられなくなってしまっているようです。

 もう一つの美味しい話は、おいしい水の話です。第33回の「星糞峠に行きました」で、黒曜石で水が美味しくなるらしいという話を書きましたが、その続編になります。ついこのあいだ、このことを教えてくれたくだんの友人から、その友人が勤めている会社の関係会社が開発、製造した黒曜石の入った水ポットをいただいて、この話の真偽を自分で試してみることになりました。そのポットは、冷蔵庫で麦茶などを作るときに使うような直径10cmほどのガラス製ポットの中央部分に、穴がたくさん開いた直径5cmほどの円筒形の容器が二重にセットされ、その中に直径1cmほどの大きさの球形にきれいに整形された黒曜石が数十個、底からてっぺんまで詰まっていて、ポットに水を入れると黒曜石が完全に水に浸されるようになっています。ポットの説明紙によると5時間から6時間ほど水を入れておく。

 期待を静め、心を落ち着け、科学実験のように冷静にポットからコップに水を注ぎ、先入観にとらわれることなく、科学的に中立な態度を維持するようにして、そして、背筋を伸ばして水を口に含んでみると・・・・・これが、いや、本当においしいのです。明らかに水の味が変わっています。水がやわらかくなり、まろやかな口当たりになる・・・。即物的にその感じを描写すると、冷たい水がやわらかく舌にまとわりつき、そして、やさしく喉を流れ落ちるという感じです。味は・・・・・水ですね、やはり。娘などは、さっそくこの水のとりこになり、ポットを自分の部屋に持ち込み、私物化しようとする始末です。こちらは、そうはさせじと確保に努め、結局、冷蔵庫内に共有の保管場所を指定。

 翌日、早速このポットをくれた友人に、ありがとう、美味しかったとお礼を言うついでに、水が美味しくなる科学的原理(トンデモ科学でなく、本当の科学的研究で明らかにされた科学的原理)を分かりやすく説明をしてこの製品をもっと積極的にPRしたらいい。科学的原理が分からないわけがない。研究に多少資金を投じてでも、科学的にきちんとした説明を付した売り方をしたら絶対に売れる。さらに、できればこの水で沸かしたお湯でお茶が淹れられるように、ポットの容量をもっと大きくするといい(実は、ポットの容量は900ccと書いてあるが、黒曜石の嵩を差引くと500〜600ccほどしかない感じで、効果が出るまでに5時間から6時間ほど待つ必要があることを考えると、お湯を沸かすには少し少なすぎるのです)・・・などと一人熱くなって余計なアドバイスまで付したメールを送ったところ、その友人から極めて冷静な返信がありました。「水の構造の解明は、実は大変に難しい研究テーマなのです。」

 友人がメールに添付して送ってきてくれた資料の抜粋によると、NMR分析の結果、水には、水分子が疎の結合状態にある水、緩やかな結合状態にある水、きつい結合状態にある水の3つの結合状態があるらしい。後者の2つの状態にある水は、摂氏零度以下の温度になってもなかなか凍らず、特に、きつい結合状態にある水は、零度以下でも凍らないという性質を示す。そして、友人によると、その結合状態によって水の味も異なる可能性があるらしい。それにもかかわらず、それぞれの水分子の結合状況や結合状況に差異をもたらす原因は分からないようです。

 身近にある水にそんな未解明のことがあることを知って興味が湧き、ちょっと調べてみると、何とこの水の構造の問題は、科学者のあいだで100年以上に渡って論争が続けられているテーマなのだそうです。そして、どうも友人の送ってきてくれた資料に記されていた説が有力説ということでもないようです。数ある説の中でもかなり人口に膾炙した説としては、水には1個から5個水の分子が電気的につながった、異なる大きさのクラスター状態が存在し、そのクラスターが小さい水分子で構成される水ほどおいしいという説があるらしい。

 ここでちょっと専門的になりますが、話の都合上、水分子について説明しておいた方がよいでしょう。水分子はご承知のとおり、2つの水素原子と1つの酸素原子からできています。酸素の6つの電子のうち2つの電子が、2つの水素の電子のひとつずつと104.5度の角度を隔てて2つの共有結合を作り、H2Oの分子を形成します。酸素の残りの4つの電子は2つの孤立電子対となります。こうして出来た水分子は、空間的には酸素を扇の要のようにして104.5度の角度で2つの水素が角を生やしたような立体構造となるために、扇の要の側、すなわち酸素の孤立電子対のある側は、電気的にマイナスに、水素の側はプラスの電荷を帯びることになります。このために、水分子はこの電気的な影響を受け、分子同士が電気的に引き合ったり反発したりして、上記のクラスターなどのいろいろな構造を作る可能性が生まれるらしい。

 しかし、このクラスター説については、NMR分析結果の解釈の誤りによるものだという反論も行われています。さらに、このほかに水に磁気を当てると水分子の電子スピンに影響を与えて、水分子の構造が変わり、水がおいしくなる。いやいや仮にそういった現象が起きたとしても、その影響は瞬時に消えてなくなるので関係はない、などといった諸説が語られていて、水の構造と美味しさの関係については、さまざまな学問的質のレベルにある議論が錯綜するように飛び交っているようです。

 そんな水の構造に関することを調べていたら、つい最近、理化学研究所が水の構造について画期的な発見をしたというニュースを見つけました。別にこのニュースに深入りする必要もないのですが、この話にはX線の発見者として知られるレントゲン博士(1901年第1回ノーベル物理学賞受賞)も登場してきたりして、ちょっと面白かったのでご紹介してみたいと思います。(より正確で詳しい内容は、2008年6月12日付けで理化学研究所、ストックホルム大学、スタンフォード大学線形加速器センター(SLAC)などから成る国際研究チームから発表されたプレス・リリースをご覧ください。)

 水の構造については、あのレントゲン博士が一つのモデルを提示していました。そのモデルとは、「水は、氷によく似た成分と未知の成分の2つから出来ている」というもの。ここで、「氷に似た成分」とは電気的な力でつながった正四面体の秩序構造をもった成分ということです。水は、氷という固体の結晶構造をとる際には、先の水分子一つ一つの電気的な性質により、電気的な力でつながった正四面体の秩序構造をとることが分かっています。問題は、氷から水になると水はどのような構造をとるのかということです。

 一方、1933年になって、英国ケンブリッジ大学のバーナル教授とファウラー教授が、水には、レントゲン博士の言うような2つの状態があるのではなく、氷において見られる正四面体の頂点に水分子が配置している構造が連続的に歪んで水はできているという説を出しました。つまり、水には2つの状態があるのか、1つの状態で説明できるのかという2つのモデルの対立です。後者のモデルは、その後発展してきた分光学的手法や分子動力学計算を使った研究結果によって広い支持を集め、計算機の著しい性能向上によって、無数の水分子が正四面体ネットワークの中で熱によるゆらぎを受けて、10億分の1秒以下という超高速で結合・乖離を繰り返す「氷に近い水」というこのモデルに基づくシミュレーション結果が動画で表示できるようになると、このモデルが人々に強く印象付けられることになったようです。

 ところが、昨年、(独)理化学研究所を中心とする研究チームが、日本が世界に誇る大型放射光施設Spring-8を利用して見出したことは、水には「水分子間をつないでいる水素結合の腕が大きく歪んだ水の海」と「この海の中に浮かぶ氷によく似た秩序構造」の2つの状態があるということでした。この発見は、水は1つの状態が連続的に歪んでできているというバーナル教授とファウラー教授の説に傾きかけていた学会の流れを大きく変えつつあるようです。

 ところで、賢明な読者の方々は、こんなに長々と書きながら、おいしい水と黒曜石の関係について何も触れていないことにお気づきのことと思います。そのとおりで、この相互関係の解明はもっと難しく、とても私の手には負えない問題のようです。黒曜石の効果について、断片的にではありますが既存の研究結果を見てみると、黒曜石を水に4〜5時間浸けておくと、どうやらあのガラスのように見える黒曜石からも、微量ながらカルシウム、ナトリウム、マグネシウムなどの元素が溶出し、その影響で水分子の構造が変化するといった研究報告があります。こうした微量金属原子やイオンが水分子の構造に与える影響については、より複雑な現象であるせいか、定説といわれるような科学的理解は未だに存在していないものと思われます。

 話が長々と横道にそれてしまいましたが、つまり、友人の「水の構造の解明は、実は大変に難しい研究テーマ」といった説明は結果的には正しかったわけです。水の構造や「活性」について、トンデモ本に出てくるようないささかいかがわしい商品説明を駆逐し、科学的に信用のできる原理を説明することが黒耀石ポットの販売拡大につながるという私の市場拡大戦略は、このようにしてあえなく潰えることになりました。でも、水の味を変える科学的原理がある程度説明され、製品の効能についての信用が上がったら絶対にもっと売れるようになるとの考えは、まだまだ変わっていません。どなたか、産学官連携のテーマとして研究に取り組んで見ませんか。

 最後に、私の収入には一銭もなりませんが、この黒曜石ポットを入手されたい方のために商品名を記しておきましょう。商品名は「活水ポット 霧が峰」((株)芙蓉パーライト社製、¥3,150)です。ちなみに、東急ハンズでも取り扱っているようです。なお、他にも類似製品はあるようですので、他の商品も見てみたい方は "黒曜石"&"水" などとgoogleなどで検索してみてください。

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