第42回 「ずく」を出して考えよう



 今年も信州の秋に出会うことが出来ませんでした。10月の中旬から1ヶ月ほど、これが信州の里山の秋の真っ盛りと思うのですが、この季節は、仕事が結構動く時期でもあり、ちょっと時間を割いて信州を訪れるということが長い間、出来ていません。やはり東京に住み働いていると、信州に縁がありながら、年の中でなかなか訪れることの出来ない季節というのは不思議とあるもので、秋だけでなく、5月初旬の杏の花、6月の山躑躅の季節というのも、私にとって手の届きにくい信州の自然です。

 信州の里山の秋は、野生のきのこが沢山顔を出します。東京では、およそ目にすることができない、名前も聞いたことのないようなものを含めて、きのこ採りが趣味の叔父に言わせると、この季節、半日ほどちょっと山に分け入っただけで、背負いかごいっぱいに採れるそうです。信州に雪が降り始めるころ、天日で干したり、塩づけにしたりしたきのこを味噌仕立てのぶっこみうどんに入れて、ふうふうしながら、この信州の秋の恵みを楽しませていただくことはよくあるのですが、叔父とこの季節、一回は、きのこ採りをやってみたいとのささやかな願いは、未だ実現していません。

 もう一つ、この季節の信州の秋でもう一回出会ってみたいのは、信州の里山の紅葉です。毎年、文化の日の頃、信州の里山は、全山、赤紫色がちょっと混じったような赤茶色に染まります。これは、落葉松やブナなどの落葉樹が山全体を覆っているからだと思うのですが、それが午後になり太陽が西に傾き始めると、山全体が燃えるような茜色に輝きだします。さらに、稲刈りが終わって、一面、枯草色となった山間の平地に降り注ぐ太陽の光が橙色を増す夕方になると、山の端がだんだんと紫色を増して一番星が輝きだす夕暮れまで、山に囲まれた山間の峪全体が橙色の光で溢れ、ゴージャスな秋のひと時を楽しむことが出来ます。10年ほど前、こうした信州の紅葉を目にしてから、錦絵のような色とりどりの紅葉もいいけれど、こうした燃えるような紅葉も忘れられなくなりました。何年かに一回は見てみたくなる光景です。

 こんなことを思い出したきっかけは、先週から連載中の出口さんのメルマガ「美しい峠の里、奈川に結ぶ夢」だったのですが、もっと直接的には、その後半に記されていた「ずくを出す」という信州の方言に関する記述でした。私自身は、東京生まれで、ほぼ東京育ちなのですが、この「ずく」という言葉は、私が最近まで信州の方言とは全く意識せずに、使っていた言葉です。そして、(ちょっと皆さんに理解していただけるかどうか分かりませんが)メルマガの文章と写真が伏線となりつつも、このちょっと懐かしい「ずく」という言葉が、私に信州の秋の光景を強く思い出させたのです。「美しい峠の里、奈川に結ぶ夢」に描き出されている信州の秋も素晴らしいけれど、出口さん、今度は、また違った信州の秋も経験してみてくださいね。ご案内します。

 ただ、そうした習慣と感覚から言うと、「ずく」は、「ずくを出す」という使い方よりは、「ずくなし」という使い方の方が、よりなじみ深い感じがします。そこで(まあ、どうでも良いことではありますが)「ずくなし」についてなのですが、これは本当に便利な、複雑なニュアンスをいっぱい詰め込むことのできる言葉です。「ずくなし」とは、だらしない、根気がない、情けないといったような感覚がない交ぜになったような意味で、「あんたは、本当にずくなしなんだから!」とか、何やってるの!(ちゃんとやるべきことをやらないで)だらしない!というような意味で「この、ずくなし!」と相手を軽くなじるときに使います。まあ、家のことをちゃんとやらない旦那が奥さんに怒られるときにぴったりの言葉ですね。(だから、なじみ深いのでしょうか(笑)。)

 ところで話は全く変わりますが、先般、10月31日に、約4ヵ月半ぶりに総合科学技術会議が開催され、「平成21年度の概算要求における科学技術関連施策の重点化の推進の方針」が決定されたようです。

 日本の科学技術関係予算は、ここ数年、3.5兆円程の規模で推移しています。他の政府の政策予算が軒並み減少している中で、政策のメリハリ付けの中で、ささやかながらも立派なハリ(張り)が付けられている政策分野です。補正予算額まで含めると、厳しい財政事情の中で2006年度から2008年度の期間中に約11兆円の資金が投入されており、科学技術によるわが国の国際競争力の涵養と豊かな国民生活の実現に向けた、それなりの投資が行われているといえるでしょう。ただ、金額面だけみると第3期科学技術基本計画期間中(2006〜10年度)の間に25兆円を投資するという同計画の目標の達成は容易ではなさそうです。

 ところで、日本の研究開発活動の主体は民間企業が担っています。これは、以前から日本の研究開発活動の大きな特徴でもありました。日本全体の研究開発投資額は、総務省の科学技術研究調査報告によると2006年度で18兆5,000億円、そのうち、民間企業の負担分は13兆3,000億円です。このうち、政府が負担し民間企業が使用している研究開発費は、平成20年度版の「科学技術要覧」に収載された日本の研究費の流れに係る分析を見ると、2006年度で約1,400億円となっています。(ところで、科学技術関係予算といった資金の流れの上流側から見ると、この1,400億円という数字はやや小さすぎる感じがします。一方、科学技術研究調査報告の数字は、いわば資金の流れの下流、使用者側からの調査結果です。この辺は、機会を改めて分析してみたいと思います。)

 一方、7月26日付けの日本経済新聞の記事によると、トヨタ自動車1社の年間研究開発投資額、9,200億円です。これに続いて、ホンダ:6,150億円、パナソニック:5,600億円、ソニー:5,400億円、日産自動車:5,000億円と続き、10位のNECでも3,750億円との調査結果が報じられています。科学技術政策の目的の一つが、自国産業の競争力の強化にあることは、どの国においても普遍的にみられることですが、これだけ民間企業の研究開発力が大きくなると、予算という政策手段の適用にあたっては、よほど民間企業の手が及ばない分野か、競争力の下支えとなる中小企業等の研究開発の支援に政策資源の投入を集中することが必要となるでしょう。もちろん、科学技術政策の目標達成のための政策手段には、予算だけでなく、研究開発税制やその他の制度改革などがあり、むしろ科学技術政策の場合、政策手段としての予算の効果は限定的であると思いますが、予算は予算で、関係者の注目を集めるだけでなく、良くも悪くも予算配分の箇所付けなどによって、取り組みの方向性に関するメッセージを示すことが出来ますから、それなりに重要な問題です。

 先の「重点化の推進の方針」では、いろいろな施策メニューや研究開発課題は掲げられていますが、民間企業の研究開発活動を振興し、自国産業の競争力の強化につなげていくための科学技術政策のあり方については、外にどのようにプレゼンテーションするかは別として、この際、もう一回、「ずく」を出してよく考えてみる必要があるように思います。

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