第37回 技術のロードマップ



 科学技術政策の最前線から離れて、かなりの時間が経ったせいなのかもしれませんが、主な研究開発分野毎に、研究開発目標とその達成目標年次を示す技術マップ、あるいは、技術ロードマップと呼ばれる研究開発戦略づくりに関する世の中の熱が、最近、やや冷めて来てしまっているのではないかと感じています。

 「政策目標達成のために必要な研究開発については、主要国の特許取得状況など国際的な技術動向を踏まえつつ、産学官の英知を結集して重要技術を抽出し、体系化した『技術マップ』を作成するとともに、実用化時期や要求される技術水準を想定し、途中段階での到達水準をマイルストーン(里程標)として示した『技術ロードマップ』を作成することが必要である。」と科学技術政策に関する文書で初めて指摘したのは、経済産業省の産業構造審議会産業技術分科会基本問題小委員会が2004年6月にとりまとめた「今後の科学技術政策 ―技術革新と需要創出の好循環の実現に向けて−」と題する報告書だと思いますが、こうした考え方は、その後、2006-2010年を計画年次とする第3期科学技術基本計画に反映され、そのエッセンスが「分野別推進戦略」という形でとりまとめられて、政府研究開発投資の戦略及び研究開発の推進方策となっています。

 「分野別推進戦略」は、「重点推進4分野」(ライフサイエンス、情報通信、環境、ナノテクノロジー・材料)と「推進4分野」(エネルギー、ものづくり技術、社会基盤、フロンティア)の計8分野で策定され、その後の周辺の科学技術の進歩や研究開発の進展を反映させるために、「分野別推進戦略」の進捗状況のフォローアップが、現在でも総合科学技術会議において熱心に行われています。

 しかし、かつて「分野別推進戦略」を策定する際に、産学官の研究者を結集して、その基礎資料となる「技術ロードマップ」づくりに熱心に取り組んでいた民間研究機関の関係者の方々から最近の様子を伺うと、どうもかつての熱気は冷め、また、作業の成果物としての「技術ロードマップ」の有用性も低下しているのではないかという意見が聞こえてきました。

 その大きな原因と考えられる理由をその民間研究機関の方にお聞きすると、その答えは、「『技術ロードマップ』に自分の関心のある研究開発課題が載らないと研究開発資金がもらえなくなるということで、さまざまな研究者が自分の関心のあるテーマを懸命に提案し、『技術ロードマップ』にあまりに広範な研究開発課題が含まれるようになってしまった結果、『技術ロードマップ』に基づいて、さまざまな研究開発課題間の優先順位を明らかにすることが難しくなったからではないか」ということでした。

 これは、「技術ロードマップ」という方法論自体に問題があるために起きた問題なのでしょうか。いや、そうではないと私は思います。「技術ロードマップ」は、研究開発政策の企画立案において、引き続き重要で、有効な政策ツールだと考えています。そもそも「技術ロードマップ」が注目されたのは、ともすれば研究開発のための研究開発となりがちであった状況から脱却し、研究開発成果の実用化の目標―別の言葉で言えば研究開発の出口−を明確に意識しつつ、限られた研究開発資源の投入の選択と集中を図ることや、研究開発活動の行程管理を行うことに「技術ロードマップ」という政策ツールが極めて有効と考えられたからでした。

 また、政府の研究開発政策においては、これまで、何故、この分野の研究開発課題に対して、政府がこれだけの研究開発資金投入を行うのかということについて、明確に説明されていたとは必ずしも言い難い状況にありましたが、「技術ロードマップ」を明らかにすることによって、政府の研究開発投資についての説明責任が、より良く果たせるようになるということも、「技術ロードマップ」という政策ツールを活用することによって得られる重要な効果でした。

 特に政府の研究開発政策において、恣意性の入りうる余地を可能な限り避けるとともに、政策の説明責任を果たすために、この政策ツールはきわめて有効であるということには、今も何ら変わりはありません。

 さらに「技術ロードマップ」づくりには、もう一つの大きな効果があります。それは、作成過程において産学官さまざまな研究機関の研究者による組織の垣根を越えた議論を通じて、当該分野の研究開発における共通の克服課題(共通研究テーマ)とその課題の克服に向けての連携や役割分担が形成されることや、異なる専門分野間の知識の融合が図れるようになることです。実は、「技術ロードマップ」の本当の有用性は、出来上がったマップそのものよりは、むしろこの点にあるとさえ言えるでしょう。実際、出来上がった「技術ロードマップ」をどのような形で、どの程度詳しく公表すべきか、ということについては、先の説明責任の問題と「技術ロードマップ」に含まれる技術的秘密とのバランスを踏まえて十分に検討される必要があり、成果物として世の中に公表できる「技術ロードマップ」の内容の程度には一定の限界があるからです。

 それでは、「技術ロードマップ」のつくられ方に問題があるのでしょうか。確かに「技術ロードマップ」の作成責任者に十分な見識と調整能力があれば、広範な研究開発課題がロードマップに雪崩込むように掲げられるというようなことは起きないように考えられます。しかし、最近のように科学技術研究の専門化が進むと、相当に限られた研究分野の範囲内であればともかく、専門分野を超えて研究開発課題の優先順位を判断することは困難ですし、まして、他の分野の専門家の意見を抑えることまでして調整することは一層困難でしょう。

 専門家の専門家としての良識や社会的責任の問題のあり方や、専門家間のピアレビューが如何にしたらもっと機能するようになるかという問題は、時として専門家と称する人のやや無責任な発言や研究成果の発表が、大きな社会的問題を引き起こすことの多い環境、安全問題の分野を筆頭に、わが国においては反省し改善すべき点が数多くあるとは思いますが、「技術ロードマップ」づくりについては、専門家の良識や調整能力だけに期待するのも酷なように思います。ですから、「技術ロードマップ」づくりにおいては、本来的にこうした難しさがあるといった認識に立って、その作成の目標や条件に工夫を加えていくべきでしょう。

 私は、今、「技術ロードマップ」をめぐって起きている問題は、まさに、社会に作用を及ぼす政策というものが必ずといってよいほど直面する典型的なものではないかと考えています。どんな政策にも、政策には必ず客体があり、政策に対する客体の反応によって、政策の効果や有効性が変化します。その意味で、政策は生き物です。ですから、「技術ロードマップ」という政策ツールにも、上記のような研究者側の反応が出てきたのであれば、その反応に応じて、政策手段の持っている優れた点を生かしつつ、変化させていく必要があります。

 それでは、どうすればよいか。以下は、全くの私見ですが、私は、「技術ロードマップ」を短期的な研究開発目標とは切り離して、10年以上先に期待される特定の重要な科学技術ブレーク・スルーの達成を目標にするものに進化させたらよいのではないかと思います。また、「技術ロードマップ」を策定する分野は、あまり分野を小分けにしない。そして、その達成目標は、複数分野の科学技術研究が直面している根源的で、かつ、具体的な研究開発目標にする。

 ところで、「重要な科学技術ブレーク・スルーの達成目標」とすると言うのは簡単ですが、それでは抽象的に過ぎて問題の解決にはなりません。そこで、どのようなことを「重要な科学技術ブレーク・スルーの達成目標」とするかについて、生煮えであることを承知の上で敢えて私の具体案を述べると、達成目標は研究開発の効果によって表すのではなく、研究開発によって制御したいある原子や分子の状態や構造や、ある光や熱や電磁波の輸送効率の達成というような物理的、化学的状況や状態で記述した目標とすることが適切ではないかと考えています。

 要は、「技術ロードマップ」に載っている研究開発目標と短期的な研究開発資金の確保の可能性との関係を切るようにすることが重要です。 それでは、「技術ロードマップ」の作成に参加する研究者のインセンティブが殺がれると言われるかもしれませんが、科学技術研究の重要ブレーク・スルーの実現に向けた研究の道行きのあり方の検討、しかも異分野融合研究の進展も期待できる「技術ロードマップ」作成活動に、研究者として関心を示さないということはないと思います。また、乱暴な物言いになるかもしれませんが、そんな短期的な研究資金目当てで集まってくるような志の低い研究者に、国の研究開発政策の企画立案の拠りどころとなる「技術ロードマップ」づくりに参加していただかなくてよろしい。

 また、振り返って考えてみれば、民間企業の研究者から、日々の競争相手のいる場に、本当に画期的な研究開発目標が出されるわけもないので、産学官の総力を挙げた国家的な研究開発に取り組むのであれば、「技術ロードマップ」のような政策ツールの使い方は、本来、長期的な観点に立った研究開発目標に関わるものにすべきでもあります。

 「技術ロードマップ」づくりに疲れ、せっかくこのために結集した研究者が、もう「技術ロードマップ」づくりには二度と参画したくないなどとの思いを胸に離散してしまう前に、「技術ロードマップ」づくりの活動に、今ひとたび手を入れる必要があるのではないかと思います。

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