第33回 星糞峠に行きました



 星糞峠(ほしくそとうげ)に行ってきました。

 そこは、私が想像していた風景とは異なり、空が明るく開け、公園のような広場のある空間で、その名前から、夜は星が降るように見える山のやせた稜線を越える峠といった景色を想像していた私にとっては、やや拍子抜けするようなところでした。しかも、峠には未舗装だが車の通れる道が別の方角から山を登ってきて、峠を横切っているではありませんか。この車道は、星糞峠で発掘作業をする研究員の方々だけが車を入れることのできる道ということがあとで分かりましたが、手入れの行き届いた散策路とはいえ、峠の頂上まで約30分も山道を登らされてきたあとで見たい風景とは言えませんよね。


 「星糞峠(ほしくそとうげ)」というインパクトの強い名前の地名について書いたのは、「言葉の力−山笑う信州の春とイノベーションと星糞峠−」と題した連載27回目のことでした。そして、国土地理院の25,000分の1の地図で「星糞峠黒曜石原産地遺跡」という地名を見つけ、そこは私たち家族が冬に何回か訪れたことのあるスキー場、「ブランシュたかやま」のメインリフトのすぐそばにあることに気がついてから、今度、機会があったら是非訪れてみたいと思っていました。そしてその機会は、意外と早く訪れました。5月の中旬のことです。

 信州の里は、新緑の眩しい風薫る季節になっていましたが、伸びやかに裾を引く蓼科山の頂上付近には雪が残り、その向こうに春霞の中、おぼろげに鋭い山容を見せている八ヶ岳連峰は、雪をまとったまだ冬の装いでした。標高約1,500mの星糞峠のあたりの山々もまだまだ枯れ枯れしていましたが、それでもこのあたりでは、山の白樺が芽吹き始め、その芽吹きの黄緑がほんのりと木々と空の境を染めていて、春の訪れを確信させます。時おり指す日差しと風は肌に優しく、星糞峠のふもとの鷹山集落では、辛夷の大木が、木全体に白い花をいっぱいにつけて風に揺れていました。 

 星糞峠は、上田方面から諏訪盆地に抜ける2つの街道、和田峠を越える旧中仙道と白樺湖畔を抜ける大門街道の中間、霧ヶ峰の北側にあたる山あいにあります。千曲川の支流、依田川の谷筋を遡って旧中山道を登り、新和田トンネルの手前を白樺湖方面に左に折れて入っていくと、道はほぼ等高線に沿って山を巻き、やがて緩く下りながら山々に囲まれた鷹山集落に入っていきます。冬には、「ブランシュたかやま」というスキー場の基点となるリフト乗り場の近くに、「星糞峠黒曜石原産地遺跡」の研究拠点の明治大学黒耀石研究センターと黒耀石体験ミュージアムのモダンで立派な建物が建っていました。これらの施設が出来たのは、2004年のことだそうです。私は、そのころ、冬にここにスキーに来ていたはずですが、そのときには、これらの建物に全く気がつきませんでしたから、自分が如何にものを見ていないかがつくづく思い知らされます。

 ここへ来てみて分かったことの一つは、星糞峠の名前を含めこの周辺は、旧石器時代、縄文時代の研究者の方々には、黒曜石の産地としてよく知られていた場所だったということです。黒曜石は、火山から噴き出した溶岩が固まってできた天然ガラスで、打ち欠くとガラスのような鋭利な剥片となります。そうした性質を利用して、旧石器時代、縄文時代には、鏃や石斧、石匙の原材料として利用されていました。和田峠周辺には、星糞峠の他にも、星ヶ塔、星ヶ台といった地名の黒曜石を産出する原産地があるそうです。ここの黒曜石は良質で、打ち欠いてもグズグズの破片になりにくく、小さく形の整った鏃など精巧な石器をつくることができます。浅間山の溶岩流から産出した黒曜石が採取できる場所も、ここからそれほど遠くない、浅間山のふもとのもっと標高の低いところにあるのですが、その黒曜石は割るとグズグズになってしまうためなのか、先人には見向きもされていません。こうしたことから、和田峠周辺で採れた黒曜石は、約3万年前の旧石器時代から関東地方を中心とした広い地域で流通し使われていたことが、あちこちの旧石器時代、縄文時代の遺跡から発掘された石器の化学成分分析から分かっています。驚くことには、海を越えた伊豆諸島の神津島でも、この付近で産出された黒曜石の石器が発見されているそうです。

 鷹山集落を挟んで反対側の山の斜面から星糞峠を臨んだのが右の写真で、星糞峠は、山並みの鞍部、稜線の最も低まったところにあります。星糞峠の右に続く山は、黒曜石を含む溶岩を噴出した火山、虫倉山です。下に見えている家並みが鷹山集落で、山のふもとに、黒耀石研究センターと黒耀石体験ミュージアムがあり、ミュージアムの裏手から星糞峠に登る、よく整備された観察路が続いています。


 観察路を30分ほど登り、星糞峠に着く少し前から、足元を注意してみると枯葉の間にキラッと光る黒曜石の破片が落ちているのに気がつきます。想像していたような黒曜石がザクザクと足元いっぱいに広がり、斜面一面が星のようにキラキラと光るといった光景にはお目にかかれませんでしたが、黒曜石の屑があちこちに落ちています。普通にはなかなか見ることのできない光景であることには違いありません。そして、冒頭の公園のような星糞峠につくあたりから、発掘作業の現場であることを示すピットや標識があちこちに見えてきます。そのいくつかのものには、丁寧な解説板がついていて、ここが旧石器時代の黒曜石の鉱山の跡だったことが説明されています。

 そうです、ここは、黒曜石の鉱山の跡なのです。ですから、星糞峠には黒曜石の原石がザクザクとあるわけではなく、約3万年から8,000年前までの長期間にわたって旧石器時代人、縄文人によって掘り続けられた採掘跡と、採掘現場で加工された際に生じた大量の黒曜石の屑が残っているのです。それにしても、黒曜石が採掘され続けた約2万年という月日は、われわれが文字によって知ることができる有史時代の10倍の長さにものぼるわけで、残された採掘跡と黒いガラス質の屑からは、この星糞峠に残された先人の生活の重い実在感のようなものが伝わってきます。

 そして、ここへ来てもう一つ分かったことは、星糞峠という名称は、黒曜石の屑が大量に捨てられている場所として、どうも昔から認識されていたことを表しているのではないかということです。「糞」という字は、何かをばら撒く様を表しているそうで、星糞というのは、縄文人たちによって石器づくりの際に打ち剥がされた黒曜石の割り屑がばら撒かれていることを意味していると考えられています。実際、静岡県の御前崎にも黒曜石の石器が出土する縄文時代の「星の糞遺跡」という名前の遺跡があるそうです。

 星糞峠からさらに虫倉山の頂上に向かう斜面には、195ヵ所の数に上る黒曜石の採掘箇所が確認されています。この虫倉山が、遠い昔、噴火活動で黒曜石を噴出したのだそうですが、その後、虫倉山火山は崩れ、今では、その火口の跡を見つけることはできません。崩れた火山は、その崩落によって、黒曜石を含む溶岩流の塊を斜面全体にばら撒いたようです。そのようにして産まれた黒曜石を採掘するために、約2万年にわたって先人が行った活動は山の地形そのものを変えてしまうほど大規模なもので、山の斜面一体は、数多くのクレーター状の採掘跡によって斜面全体が階段状に変容しています。

 斜面には、採掘跡を巡ることのできる見学者のための観察路が設けられていますが、実際に歩いて見ると結構な急斜面です。鷹山集落から星糞峠まで約30分、さらに、この虫倉山の急な斜面を登っての採掘作業は、旧石器時代の人々にとっても楽なものであるはずはなく、黒曜石の採掘の苦労が想像できます。先人にとってここの黒曜石は、そうまでして採掘するほどの魅力があったということでしょう。きつい斜面ではあるものの、顔を上げてみると虫倉山の斜面からは、目の前に周辺の穏やかな山容の山々が伸びやかに裾を引き、空も広く、さわやかな風も吹き通って、思わずほっと一息ついてしまいます。私たちの先人も、同じように一息ついたのかもしれません。

 星糞峠で見つかった旧石器時代の大規模な黒曜石の鉱山の遺跡についてのこれまでの研究の成果は、黒耀石体験ミュージアムの展示やミュージアム・ショップに売っている「黒耀石の原産地を探る−鷹山遺跡群−」(黒耀石ミュージアム編:新泉社)という解説書で知ることができます。特に、黒耀石体験ミュージアムの施設は、なかなかに整っていて、黒曜石の採掘跡の実物大の再現模型、世界中のさまざまな黒曜石の標本、黒曜石を掘っていた旧石器時代の生活の様子を再現したジオラマと映画などが展示されています。写真は黒耀石体験ミュージアムに展示されている黒曜石の採掘跡の断面の実物大の再現模型で、黒曜石を採掘したピットに雨によって土砂が流れ込んだ跡や、採掘し残された黒曜石の屑が、土の壁の中に夜空に光る星のようにキラキラと光ってちらばっているのが分かります。(画素数を落としてしまっているので、どの程度、DNDのコラムで見えるか心配ですが・・・。)



 黒曜石を採掘したピットの再現模型(上が地表。地中に見える白い線は、黒曜石の採掘活動が、何期かに分けて行われていたことを示すもの。また、茶色の部分は、昔、黒曜石の採掘中に大雨などで土砂が採掘ピットに流れ込んだ跡。)


 ところで、黒耀石体験ミュージアムの「耀」の字が「曜」ではないことにお気づきになったでしょうか。国語的には、どうも「曜」の字が正しいというのが、「黒曜石3万年の旅」(堤 隆著:NHKブックスNo.1015)の見解ですが、長野県の考古学者はキラキラと輝く黒曜石のイメージを映す「耀」の字を好むようで、この施設のある長和町(旧長門町と和田村が合併して出来た地名)も意識してこの字を使っています。こういった「黒耀石」の用字には、星糞峠の歴史とロマンを新たな地域おこしにつなげたいとの地域の考古学研究者、行政関係者の熱い思いがこめられているようです。

 実際、このミュージアムでは、星糞峠の遺跡と考古学研究の体験を通じて、この地域の歴史に広く関心を持ってもらい、それを地域おこしと地域の環境保全につなげるための取り組みが行われています。その一つが、古代の生活を体験できる体験学習で、ミュージアムには、黒曜石を使った何種類かの石器づくりを体験学習できる施設が用意され、この体験学習は、30代から70代の地域住民の方々によって支えられています。また、20年間にわたって星糞峠を中心として広がる黒耀石原産地遺跡群での研究活動を行ってきた明治大学は、研究の継続と発展を図るために「明治大学黒耀石研究センター」を同じ敷地内に建設し、研究成果の普及に協力しています。ミュージアムの展示物やミュージアム・ショップに置かれている素人にも分かりやすく書かれた本の質の高さは、研究と普及活動の連携協力関係の成果の表れでしょう。私の耳には、ミュージアム・ショップで働く女性の「星糞峠という名前は変な名前だけど、私はこの名前が好きです」と話していた声が残っています。

 私は、ここで行われているこうした取り組みは、考古学研究と博物館を軸とする産学官連携と地域おこしに向けた取り組みの見事な例ではないかと思います。この取り組みは、まだまだ、始まって3年程が経ったばかりですが、こうしたユニークな活動が、是非、成功してほしいと思います。

 ところで、黒耀石体験ミュージアムからの帰り道、国道に出たところに「黒耀そば」と看板を掲げたお蕎麦屋さんを見つけました。黒曜石を蕎麦に練りこむのも危険なように思いますし、また、真っ黒な色のお蕎麦もぞっとしないので、どんな蕎麦なのかと興味が湧く一方で、いくらなんでも黒曜石にあやかりすぎではないかと思いましたが、後日、友人からたまたま聞いたところによると、黒曜石の砂で水を濾過すると、水がとてもまろやかになっておいしくなるそうです。そんな話を聞くと、次に星糞峠に行ったときには「黒耀そば」も試してみたくなりました。

 それにしてもどんな蕎麦なのかなあ。

 (ちなみに、この蕎麦屋は、国道152号線(大門街道)の大門峠から10分ほど上田方面に下ったところにあります。行きたい方のご参考まで。)

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