第31回 伯林にて(その2)
− 「標準化人材教育とは何か」について考えさせられた旅 −



 前回では、"Do standards education programs have a strategic value?"という米国のPurcell教授から求められた質問に対するコメントについて、ベルリン滞在中にいろいろと考えさせられたことを書きました。そして、このstandards educationで教えるstandards の対象を明確にすることが必要であること、さらに最後に、その質問がISO/IEC Guide 2で定義される"standards"あるいはde-jure standardsに関するstrategic valueを聞いているのだとしたら、私は、その答えは"No."ではないかと思うと(やや意外な?)ことを書きました。今回は、そんないちゃもんをつけるだけでなく、standards educationとして何を対象とすべきなのか、そして、そのstrategic valueについてどのように考えるのか私なりの案を書いてみたいと思います。

【Standards educationで何を目指していたのか?】
 私は、"Do standards education programs have a strategic value?"という問いを発しつつ、いったい我々は(あるいは、標準化関係者は、と言い直すべきかもしれませんが)standards educationについて何をしたかったのか、ということを原点に帰って自ら問い直す必要があると思います。標準化関係者が望んでいることは、世界の技術者がその出身を問わず、自らコストを負担して結集し、開かれた場において、ボトム・アップで技術的な議論を積み重ね、公正な手続きを経て"standards"という技術の発展基盤や円滑な国際貿易の基盤となる世界の公共財づくりを行う国際標準化活動について、社会から正当な評価を得、そして、そうした活動に参加する人材の育成を図るためだったはずです。

 こう考えてくるとstandards educationにおいて教えるべきstandardsの対象は、冒頭のISO/IECのGuide 2の定義にある"standards"あるいはde-jure standardsのうち、上述のような技術者の自発的な活動によって支えられている、いわゆる任意規格としての国際規格づくりに関することとすべきであろうということになると思います。ここで"standards"あるいはde-jure standardsのうち強制規格(technical regulation)を対象外としたのは、強制規格は、政府関係者が中心となって国家間の合意形成によって作成されるものだからです。その場合でも、standards educationにおいては、規格開発機関(SDOs)による任意規格を作成する活動に触れることなく、代表的な国際標準化機関、ISO/IEC/ITUにおける国際標準化活動に係ることだけ教えていれば良いということにはならないことには留意すべきです。さらに、前回指摘したとおり、"standards"あるいはde-jure standardsが、果たしている役割の重要性が技術分野によって異なることも、きちんと教える必要があるでしょう。

 以上のように、教えるべきことが、技術者の自発的な活動によって支えられている技術の発展基盤や円滑な国際貿易の基盤となる世界の公共財としての任意の国際規格づくりに関することであるとするならば、こうした世界の公共財づくりをより良く進めるためのstandards educationにstrategic valueがあるかないかということを議論することは、全く不適当なことではないでしょうか。Strategic valueという言葉は、一般に、特定の者が特定の利益を追求する観点から有用な価値と理解されるからです。仮に、こうした"standards"づくりのための"strategy"があるとしたら、その最良のものは、国際標準化活動において、技術的に公正中立で、地道かつ建設的な貢献をコンスタントに行っていくことでしょう。国際規格づくりは、国籍の異なる技術者の間の協力による技術的合意形成活動ですから、そうした日頃の地道な貢献の実績もない人間が、急に国際規格づくりの場に出て行って、自分を利するために自説を国際規格案に反映しようとしても、他の参加者からの賛同が得られるはずもありません。こういった理由で前回の最後のところで、Purcell教授の質問が「"standards"あるいはde-jure standardsに関するstandards education のstrategic valueを聞いているのだとしたら、私は、その答えは"No."ではないかと思うのです」と書いたのです。自己の利益追求を奨励するためにstandards educationを行うのではないからです。

【それではstandards educationでは何を教えるべきか?】
 さて、standards educationは"standards" あるいはde-jure standardsのうち、強制規格の作成に係ること以外のことを対象とすべきだとしたとして、それではstandards educationではその"standards"の何を教えるべきなのでしょうか? ISO/IEC/ITUなどにおける国際規格づくりに係る手順、合意形成ルールや手続きを教えればよいのでしょうか?確かにそうしたhow to教育も必要ですが、それは人材を育てる大学等で行うことが適当なことでしょうか?こういったことは、実務的な知識や経験を教える実践教育、場合によってはOJTによって行われることがより適切ではないでしょうか?

 Standards educationを標準「人材教育」ととらえるならば、そうした教育においては、むしろ、(a) 社会の標準化に関するニーズを見極めて具体的に何を標準化することが適切かを判断できる力、(b) 技術の進歩を阻害しないように標準化を図るタイミングと標準化の対象技術を見極める力、(c) 標準化を進める際に標準化の順序(例えば、用語や性能評価試験方法の標準化から進める等)で、どのような体系の標準を標準化対象となる技術や財やサービスに対して整備するかということを構想できる力、(d) 標準化と知的財産権等の技術管理手段を使い分ける力、そして、(e) 標準化と安全等に関する規制、製造物責任等の関連の法規制との関係についての折り合いを付けられる力などの能力を涵養するような教育を提供することがより重要だと私は思います。そして、それらに加えて、国際標準化活動に主体的に参加できる英語力の涵養も忘れてはならないでしょう。

 いずれにせよ、standards educationの対象者と目的によってもその内容は異なるべきものとなるはずです。なお、後者の「人材教育」においても、先のISO/IEC/ITU等における国際規格づくりに係る手順、合意形成ルールや手続き国際規格づくりに係る実務的な知識や経験に関するhow to的な教育を併せて行うことを否定するものではありません。

 結局、Purcell教授の問いに答えるため作成したペーパーは、こうした内容のA4で3枚ほどのコメントとなりました。そして、このために、私は、今回のベルリン滞在期間中の空き時間をほとんど使うことになりました。

 伯林は(私は、どういうわけかベルリンのこの日本語表記が好きです)、約15年ぶりの訪問になりますが、第二次世界大戦の戦禍で激しく損傷した姿をそのまま残すカイザー・ウィルヘルム記念教会は、今でもベルリンという都市の悲劇の歴史を今に伝えています。そういえば、ベルリンの壁が取り除かれて東西ドイツの統一が成ってから約20年が経とうとしていますが、20年という年月は、一つの都市が変容を遂げるには、まだまだ、中途半端な長さのようです。

 今ではポツダム広場には、ベルリンの壁が数枚残るだけになりました。冷戦中、西側の物質的発展を誇示するショーウィンドウであったクーダム(Kurfurstendamm通り)は、パリのシャンゼリゼが昔の輝きを失ったのと同様に、高級店の数が減りややそのにぎにぎしさを失いました。昔はクーダムを始めとする西ベルリンにしかなかったベルリンの高級商店街や新しい流行の発信地は、今では再開発の進む東のほうに中心を移しつつあるといいます。それでもベルリンでは、旧東ベルリン地区を中心に、まだまだ再開発があちこちで行われています。



 過去の姿が変わりゆく一方で、ベルリンは、ドイツの暗い記憶を街に刻みつける努力も続けています。先のポツダム広場に残された数枚のベルリンの壁もそうですが、ブランデンブルグ門からポツダム広場に向かう道の左側には、写真のような「ホロコースト記念碑」が造られていました。記念碑とはいっても、それはちょっとした公園ほどの広さの敷地いっぱいに、無数の墓標のような四角い柱が立てられたものです。その間を直交する肩幅ほどの暗い通路が、上下にうねりながら記念碑の中心部の窪地へと訪問者を導きます。そして、柱の間の辻を曲がって、一歩新たな通路に入ると、視界が一変し、大勢の人が入り込んでいるはずの記念碑には、全く人影が見えなくなって、自分の居る通路だけが上下にうねりながら、柱の間から差し込む光の陰影とともに、まっすぐに中心のくぼ地へと続きます。それは、暗闇に吸い込まれて行くような憂鬱な気分、暗澹たる気分を象徴しているようです。今回は、道を歩く途中、やや偶然に初めて訪れることになったのですが、視覚を通じてホロコーストの暗く重い記憶を訪問者に呼び起こさせるこの記念碑は、訪れた者の感性に直接に訴える力がありました。ベルリンにお出かけになる機会があったら、ベルリンの美術館、博物館とともに、この記念碑は是非訪れ、「体験」される価値のあるところと思います。

 今回のベルリン訪問では、もう一つ、思いがけなくきっと将来にわたって記憶に残りそうな絵に出会いました。それは、ベルリンの旧ナショナル・ギャラリーの出口に近い部屋の一角にありました。写真の絵がそれですが、なんとも妖しく不思議な雰囲気をもった絵と思われませんか?そして、描かれている女性が、不気味さとともに何となくお茶目で可愛い、不思議というか不条理な表情をしているように見えたのは私だけでしょうか?



 実は、私は不覚にもその作者と題名をメモするのを忘れてしまいました。Museum shopに、この絵の絵はがきがあるだろうと高をくくったのが失敗でした。この絵の題名と作者をどなたかご存知ではありませんか?そうでないとこの絵の題名と作者を確かめるために、また、ベルリンのこの女性のところに吸い寄せられていきそうです(笑)。

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