第30回 伯林にて(その1)
− 「標準化人材教育とは何か」について考えさせられた旅 −



 僕は、本当にヨーロッパの長い薄暮が好きだなあ、とワイングラスに律儀に目いっぱい注がれた、さっぱりとしたモーゼルワインに少し頭をしびれさせながら、つくづくと感じています。昔は東ベルリン地区、無骨な鉄橋の架かる運河のそばにあるそのワインケラーは、寒い冬の長いベルリンらしく、春になっても半地下に窓だけ地上に出して、しかし、中ではきっと冬と同様に、ビールやワインを手にした客の話し声と笑い声で熱く賑わい、ウェイトレスが気持ちのよいほどきびきびとテーブルからテーブルを休みなく飛び回って、地上とは別世界を創り出しています。

 アイスバイン(豚の足の塩茹で)とザウワークラウトの一皿で10ユーロという黒板書きのメニューに引かれて入ったそのワインケラーで出てきたディッシュは、山のように盛られた豚の塩茹での足とザウワークラウトと茹でたジャガイモの山で、それが出された瞬間にドイツ人の食欲を呪いたくなりましたが、ナイフとフォークを動かしながら次に頭に浮かんだことは、不思議と我が娘と我が家の二匹のミニチュア・ダックフンドのことでした。娘のことが頭に浮かんだのは、娘の名誉のために申し上げておきますが、決して娘の足のことではなく、娘がこよなく愛すザウワークラウトの山を見てのことです。(娘は、小学校時代をオランダで過ごしたこともあり、味覚がどうも普通ではありません。)食べ残しが持って帰れるならば、我が家の小さな犬たちにとっては、口を大きく開けても到底口に収まるどころか、噛みつきどころのないほどの大きさの豚の足です。ともに、このディッシュを目の前にして、どんな反応をするだろうと思わず想像の世界に入りこんでしまいました。

 前回に引き続き、4月19〜26日に訪問したドイツ話から始めさせていただいていますが、ベルリンには、(前回ご紹介した)ハノーバー・メッセの帰り、メッセに招待してくれたドイツ規格協会(DIN)の本部を訪ねることが目的で、約15年ぶりに立ち寄ったものです。

【Do standards education programs have a strategic value?】
 そのベルリンのホテルで空き時間にずっと考え、文章に何回も手を入れていたのは、ドイツに出張に行く前に米国のCatholic 大学のPurcell教授から私宛に送られてきた次のような質問、"Do standards education programs have a strategic value?"に対するコメント募集に応えるべく書きかけていたペーパーでした。Purcell教授は、大学の工学部で標準化に関する講義を行い、標準化教育の普及に努めている米国では数少ない研究者の一人です。

 国際規格は、グローバリゼーションの進展と1995年のWTO/TBT協定(貿易の技術的障害に関する協定)の発効によって、圧倒的にその重要性を増しています。巨大な国内市場と技術的な潜在力をもつ中国が2001年にWTOに加盟し、TBT協定に参加したこともこうした動きに拍車をかけました。こうしたことから、国際規格づくりのための活動、国際標準化活動に携わることのできる人材を養成するための教育訓練は、最近、中国、韓国を始め、欧米の先進国を含む多くの国々の標準化政策関係者の間で重要視され始めています。日本の標準化政策当局も、standards educationと同義と考えられる「標準化人材教育」に数年前から力を入れ始めました。また、ISO(国際標準化機関)も、日本のイニシアティブにより標準化教育に功績のあった大学や教育機関に対する表彰制度を創設しています。

 現在、国際標準化活動に携わっている私としては、これまでも何回かこの連載で書かせていただいたように*、上記のように国際標準化活動の重要性が圧倒的に高まっているにもかかわらず、日本の産業界や学界におけるそうした認識と対応が不十分なものにとどまっていると感じているだけに、standards educationあるいは標準化人材教育を強化することは非常に重要な課題であると思います。しかし、私はこうした教育において何を教育することが重要かということについてのきちんとした共通理解は、後述の議論でお分かりいただけるように現段階ではおそらく存在せず、その重要性を論ずる人と立場によってまちまちなのではないかと感じています。さらに、標準化人材教育に関する議論が混乱すらしているのではないかとも懸念しています。こうしたことから、私は、Purcell教授からの問いに対する私の回答を次のように書き出しました。"My short answer to this question is YES, but with a number of reservations."

* 例えば、連載第19回の「北東アジア標準協力フォーラムで中国がさりげなく語った話」、第4回の「民間企業と国際標準化活動」など。


【Standards educationの対象は何だろう?】
 まずは、standards educationのstandardsとは何を意味するのかというのが、私のreservation(留保事項)の第一点です。"standards"は、ISO/IECのGuide 2で「与えられた状況において最適な程度の秩序を達成することを目的に、共通に、かつ、繰り返し使用するために、活動又はその結果に関する規則、指針又は特性を規定する文書であって、コンセンサスによって確立し、一般に認められている団体によって承認されたもの」と定義されています。この"standards"を対象として、代表的な国際標準化機関であるISO、IEC(国際電気標準会議)、ITU(国際電気通信連合)における国際規格づくりに携わる人材を養成したいというのが、標準化政策関係者の念頭にあることは、まず、間違いありません。

* 以下、ISO/IECのGuide 2で定義される意味でstandardsを使う際には、"standards"と書くことにします。大変にややこしいですがご辛抱ください。この理由は、2つ下のパラグラフの「任意規格」についての説明をご覧いただければ分かると思います。


 しかしながら、代表的な国際標準化機関とは国際的には認められていないものの、ASTM International, IEEE, ASME, SAEなどの機関*は、上記の"standards"を作成していることは事実であり、さらに、日本や米国の圧力容器技術分野ではASMEの規格なしでは仕事が出来ないというほど、分野によっては、これらの機関の作成する国際規格が重要な存在となっています。したがって、技術分野によっては、こうした機関における標準化作業について触れないということは、standards educationとしては不十分です。

* これらの機関は、SDO(standards development organizations):規格開発機関(SDOs)と呼ばれ、ISO/IEC/ITUなどにおける国際規格づくりと同じように、国籍を問わず民間技術者の参加を得て規格案を作成するとともに、一定の手続きによってコンセンサスを形成することによってASTM規格、IEEE規格などと呼ばれる規格を作成しています。なお、ASME: American Society for Mechanical Engineers(米国機械学会)、SAE: Society of Automotive Engineers(自動車技術者協会)。ASTM Internationalは、以前、ASTM:American Society for Testing and Materialと言う名称であったが、現在では、これが正式名称。同様に、IEEEは、以前、Institute of Electrical and Electronics Engineersという名称であったが、現在では、これが正式名称。ASTM、IEEEの名称変更は、国籍を問わない「開かれた参加」を可能としていることを表すためといわれている。
 ISO/IEC/ITU規格、そして、上記のASTM, IEEE, ASME, SAEなどが作成した規格は、基本的に「任意規格」(規格内容を遵守することが法令等で義務付けられていないもの)なのですが、実は、ISO/IECのGuide 2で上述のように定義された"standards"は、WTO/TBT協定の付属書中の注釈にも明確に記されているように、TBT協定上では先の「任意規格」(standards)(なお、ややこしいことに、TBT協定上のstandardsは任意規格のみを表す用語として定義されています。)と区別されている「強制規格」(technical regulation:規格内容を遵守することが法令等で義務付けられているもの)の双方を包含する概念なので、ISO/IECのGuide 2の"standards"を前提としてstandards educationを考えているならば、その教育カリキュラムの中にtechnical regulationについての講義を含むことが必要です。実際的にも、分野によってはISO/IECの国際規格より、こうしたtechnical regulationの方が"standards"としてはるかに重要な役割を果たしています。例えば、私が以前扱っていた有害化学物質が人の健康や環境に及ぼすリスク管理の問題を扱う分野では、WHO(世界保健機関)、OECD(経済協力開発機構)などが作成する化学物質の有害性の評価基準や有害性評価のための試験法などの標準("standards")に関する知識と理解は必須ですが、ISO/IECの規格についてのそれは、ほとんど必要ありません。同様に、自動車業界の方にとっては、輸送部門の安全基準を作成しているUNECE(国連欧州経済委員会)、食品業界の方にとっては、食品や食品添加物の安全基準を作成しているWHO, FAO(世界食糧農業機関)の基準("standards")づくりの活動の方がはるかに重要でしょう。

 したがって、standards education のstandardsや「標準人材教育」の標準とは何を指すのか、どの技術分野の標準化を対象にしたものなのか、それらのカリキュラムを検討する際には明らかにしておくことが必要です。もちろん、技術分野ごとに重要な役割を果たしている"standards"を示すことによって、そうしたさまざまな"standards"の個別技術分野における役割と技術分野全体を見渡した場合のさまざまな"standards"のマッピングを示すことも重要なことだと思います。

【Strategic value、あるいはstrategyという言葉によってもたらされる混乱】
 私が書いた第二の留保事項は、質問にあるstrategic value、あるいはstrategyという言葉によってもたらされているstandards educationの対象についての混乱についてです。

 その説明に入る前に、標準化政策担当者の悩みと嘆きについてご説明しておく必要があるでしょう。それは、国によって多少の濃淡はあるものの、こうした国際規格づくりに対する社会や産業界の関心は、残念なことにどこの国においてもそれほど高くないのが実情であることです。(但し、中国は、トップダウンでこの分野の活動を強化していますから、ちょっと状況は異なるかもしれません。)国際規格は、用語や試験法の統一、互換性や相互接続性の確保などを通じて、技術の発展基盤や円滑な国際貿易の基盤づくりに大きな貢献をしていることは間違いないのですが、一般に国際規格が日常の商売や生活に及ぼす直接的な影響が見えにくいために、こうした活動に資源投入することの必要性やニーズを企業も学会もあまり感じていないからです。(前述のとおり、WTO/TBT協定が発効して以降、こうした認識は大きな誤りなのですが・・・。)

 という事情もあって、標準化政策関係者は、standards educationの重要性を説くにあたって、標準が如何に企業の市場戦略や国の国際競争力にとって重要であるかを強調します。(このことは、EU、米国、日本、中国など、どの国の「標準化戦略」に関する政策文書を見ても、標準化政策の重要な効用として記されています。)特に、電子情報技術分野のように、技術進歩が極めて速く、また、特定の技術が、他の関連技術のプラットフォーム技術となって、次から次へとネットワーク的に発展していく技術分野では、戦略的な知的財産戦略とともに、まさに戦略的な標準化という技術戦略が重要となっています。すなわち、どの技術は知的財産によって独占し、どの技術は標準として他者に広く利用させることによって、自社の技術や製品を市場で有利に展開するかという戦略です。(最近のHD−DVDやブルーレイといった次世代DVDの方式(標準)を巡る競争は、こうした技術戦略間の戦いの典型的な例の一つでしょう。)このためにstandards educationにおいて、標準のstrategic valueを教える際には、こうした技術戦略に触れざるを得なくなるのですが、そうすると"standards"でない標準、すなわち de-facto standards(事実上の標準)*を教えない訳にはいかなくなります。電子情報技術分野では、標準(standards)というと、"standards"だけでなく、こうしたde-facto standardsや特定の企業が集まって作成したフォーラム標準(forum standards)について理解し、対応することが不可欠となっているからです。

* いろいろな言葉が出てきて恐縮ですが、de-facto standardsの最も有名なものはMicrosoftのWindowsでしょう。これは一企業の商品でありながら、その商品の基本ソフトを前提として、他のソフト開発を行わざるを得ないというように、まさに事実上の世界標準となっており、関連市場におけるMicrosoft社の市場戦略の力の源泉となっています。なお、冒頭のISO/IEC Guide 2の"standards"の定義にある「コンセンサスによって確立し、一般に認められている団体によって承認されたもの」に合致するものは、de-facto standardsと対置するものとしてde-jure standardsと呼ばれています。先のISO/IEC/ITUの任意規格及びWHO, OECD, FAOなどが作成する強制規格(そして、SDOsが作成する任意規格)は、このde-jure standardsの範疇に入ります。つまり、ここまで"standards"と記してきたものは、de-jure standardsと同義のものということになります。


 ところが、これではstandards educationといいながら、"standards"以外のこと、標準専門家にとっては、自分の専門外の技術戦略論のようなことまで教えなければならないという事態に陥ってしまうことになります。これは、standards educationが目指していたことなのでしょうか?また、standards educationに従事するような専門家や有識者が、教えるべきことなのでしょうか?何か変ですよね。

 これは、strategic valueとかstrategyという言葉を用いたことによって生まれた混乱です。もちろん、"Do standards education programs have a strategic value?"という質問自体は、全く変な質問ではないし、そうした質問は不適切と言ってみてもしようがないことですが、strategic valueという言葉を(通常そのように理解されると思いますが)特定の者が特定の利益を追求するという観点から有用な価値と理解するならば、こうした文脈の質問に対しては、私は「strategic valueとはどのような意味で聞いているのか?」と反問すべきではないかと思います。そして、それが"standards"あるいはde-jure standardsに関するstandards education のstrategic valueを聞いているのだとしたら、私は、その答えは"No."ではないかと思うのです。

 皆さんが、この答えに少しびっくりされたところで、もう長くなりましたので、この続きは、次回とさせていただきたいと思います。

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