第3回 普通に見えて普通でないこと
−オランダから見えたこと (2)―



−黒川先生から、先の「オランダから見えたこと(1)」に関連して、「個人主義」、「個人の責任」をめぐる話題を含むコメントをいただいたことから、実は、あまり思い出したくないことですし、人様にご紹介するような話でもないのですが、ある事件をきっかけに、個々人の人生についての考え方といった、かなり基本的な部分でのオランダと日本の差について考えさせられたことを書いてみたいと思います。−

 黒川先生が指摘されているとおり、オランダでは安楽死も、マリファナも、売春も合法です。残念ながら、私は真面目すぎて、(幸いにして)安楽死はもちろんのこと、日本では犯罪とされ、なかなか経験できないこれらのことを自分自身で試してみることはしませんでしたが、不幸な事件に巻き込まれた結果、人間の生き死にといった本源的な部分においても、国によってこれほど大きく価値観や考え方が違うものかということを思い知ることになりました。

 私が、1993年に日本政府から新たな国際機関−化学兵器禁止条約に基づく国際査察などを執行するための機関−づくりに参加するためにオランダに赴任したとき、その5年前に最愛の妻を亡くし、当時73歳になっていた私の父親も私の家族と一緒にオランダ、デン・ハーグに住むことになりました。父親は、海外旅行にも数回しか行ったことのない人でしたが、この際、気分転換も兼ねてオランダで暮らしてみようと思ったに違いありません。

 1993年の夏にオランダに一緒に行ってから半年ほど経ったころ、父は、英語を習い始めました。それまでは、国際都市デン・ハーグに駐在している外交官の家族などを対象に開かれているサークルに参加しては、デルフト焼きなどのオランダの伝統工芸などを習っていましたが、そこで一緒になる人たちとのコミュニケーションをもちたいと思ったようです。そんな70歳を過ぎての努力が実を結び始めたのか、まだ言葉はほとんど通じないものの、同じ教室で知り合ったオランダ人の家に夕食に呼ばれるなど、父の活動範囲も徐々に広がっていきました。

 ところが、1994年の3月30日、ようやく日が長くなったことを感じさせるようになった夕暮れに、父親は散歩に出かけたまま、夜になっても帰ってきませんでした。そして、その夜9時ごろ警察から電話があり、交通事故にあったとの知らせを受けて、私と妻が10時ごろ病院に駆けつけたときは、父は既に亡くなっていました。

 警察によると、まだ、日の明るい夕方5時ごろ、散歩から帰る途中、近くの大通りの横断歩道を青信号で渡っていたときに、わき見運転の車にはねられ、その際、腹部を強く打ったのが致命傷になったようです。皮肉なことに、その横断歩道を直前に赤信号で渡ったオランダ人のおばあさんは何事もなく、青信号で横断しようとしていた父親とそのおばあさんの連れ合いがはねられたそうです。その大通りは、まっすぐで見通しもよく、天気も良かったのですから、何でこんなことが起きたのかと不運を恨むしかありません。車を運転していたのは、40歳ぐらいのオランダ人の女性で、助手席にいた知恵遅れの妹さんに気をとられて事故を起こしたと説明されています。なお、はねられたもう一人のおじいさんは、軽傷ですみました。

 これはこれで、大変に残念で悔しいことだったのですが、その後処理で、人の命に関する考え方の彼我の違いを思い知ることになりました。一言で言えば、オランダは、こうした問題に対する考え方が日本人の「常識」や感情に照らすと度を越しているのではないかと思うほど現実的なのです。

 まず、加害者の刑事責任についていえば、過失による事故とはいえ、1年間の免許停止、懲役刑だが執行猶予3ヶ月という極めて軽いものです。私は刑事裁判の法廷を傍聴しましたが、オランダ語のやりとりが分かるはずもなく、一緒に傍聴してくれたオランダ人の同僚が、判決の内容をメモにとって英語に翻訳して、被害者の家族にとっては納得のいかない、そうした結果を教えてくれました。また、民事も大変でした。加害者側の保険会社からの賠償の提示額は、何と父親の病院での治療費、救急車の代金(オランダは救急車は有料です)、事故当時、父が着ていた衣服類の損傷の補償、オランダでの荼毘と簡単なお別れ会に要した費用だけというのです。

 いくらなんでも、それでは父が報われないと思い、弁護士を雇って半年以上も先方の保険会社の弁護士と争ったのですが、結局、それに若干の毛の生えた程度の賠償額で折り合わざるを得ませんでした。裁判を起こすことも考えましたが、オランダの「常識」だとこれ以上争っても無駄だと私の側の弁護士からも説得されました。損害賠償の額の多寡はともかくとしても、なんら過失のない父の死に対する賠償額が、金額の数字だけで見ると車のちょっとした修理代程度というのは、何とも情けない、口惜しい思いでした。

 こうしたトラブルに巻き込まれてつくづく分かったことは、オランダ人は、例え間違いを犯した人でも、生きている人の人生を大事にするということです。上記の話からお分かりのとおり、人を誤って死なせてしまったとき、オランダでは遺失利益は合理的な説明が出来る範囲で要求できますが、小さな子供や老人のように、遺失利益を計算できないケースでは、遺失利益はゼロであり、その要求は出来ません。さらに、慰謝料という考え方もないので、それも請求できません。

 すなわち、オランダでは老人が事故にあって死んだら、物損の補償は要求できるものの、命の価値については金銭的価値でみる限り、まさに「死に損」なのです。そのとき国際機関の同僚の南アフリカ人の弁護士に聞いた話によると慰謝料という考え方があるのは、日本、米国、英国ぐらいだということでした。−これは、読者の方々へのアドバイスですが、外国に行くとき、特に、老人の方が行くときは、外国での死亡傷害事故に備えて、旅行保険をかけることを強くお勧めします。−この背景には、生きている人間に対して、死んでしまった人間のために、過重な負担を課すことはしないという強い考え方があるようです。

 被害者の方々の気持ちは痛いほど分かるものの、昨今の刑事罰の強化の動きなど、日本では被害者側の感情を忖度する方向に流れていくのとは対照的に、人の生き死にに対する行き過ぎと思えるまでのオランダ人の現実的な考え方の中に、良くも悪くも、個々人の人生というものについての考え方の芯が通っているように感じるのは私だけでしょうか。

 若干の余談になりますが、この不幸な事件を発端として起きた一連の出来事の中で、心の温まることもありました。それは、父親を荼毘に付したあとのお別れ会のときのことです。父親のお骨を日本に持ち帰ってから、父親の人生を締めくくるに相応しい葬儀をもちたいと考えていましたから、オランダではお世話になったごく少数の方による簡素な会とのつもりでした。ところが、お別れ会には、国際機関の同僚や娘が通っていたブリティッシュ・スクールの同級生の親御さんなど様々な国籍の大勢の方々が参加され、そして、式の最後に長い列を作って、そのお一人お一人が、私たち遺族に対して、涙を流しながら、心のこもった言葉と熱い抱擁で慰めの気持ちを表してくれるのです。こうした心のこもった式のあり方に、長年、護国神社の宮司として日本で多くの葬儀の祭主をつとめた経験がある、日本から高齢をおして駆けつけてきてくれた伯父も大きな感銘を受けていました。

 ここでも、実際問題として何を大事にするのか、ということに対する考え方と習慣の違いを見た思いがします。


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