第26回 安全・安心な社会づくりのためのアプローチ(その2)



 前回は、安全・安心な社会の創り方として、もっと政府に依存しない、そしてうまく機能すれば、もっと有効なリスク管理が可能となる社会の仕組みがありうること、その仕組みを機能させる力として、(1) 危害の原因となりうるものの管理を委任するという「社会の要請」と、(2) 委任を受けて、自主管理を実施する者の果たすべき「説明責任」に起因するドライビング・フォースが存在することをご説明しました。このドライビング・フォースは、私たちの社会のいろいろなところで働いていて、既に、その作用を利用したさまざまな取り組みが行われています。以下にそのいくつかの例を見てみましょう。

 環境の質の低下によって生じる可能性のある様々な危害を管理することが必要といった、リスク管理問題としてはやや漠然とした「社会の要請」に応える手段の一つは「環境報告書」の発行でしょう。「環境報告書」にはいろいろな内容のものがありますが、「環境報告書」という手段自体には、報告の対象にとりあげる環境問題(危害)の種類も、報告内容にも制約やルールはありませんから、報告書の作成主体が、「社会の要請」と「説明責任」への応え方を選ぶことが出来ます。

 しかし、それでは「環境報告書」が玉石混淆になるということでしょうか、環境省は「環境報告ガイドライン(2007年版)」というものを出して、「環境報告書」たるものは、「社会の要請」と「説明責任」により良く応えるために、@目的適合性、A信頼性、B理解容易性、C比較容易性といった4つの原則を満たすようにすべきとしています。こうした原則を示す形で、「環境報告書」の一定の質を確保するということは大事ですが、どこまで政府が「ガイドライン」を詳細化すべきなのかという点については、自主管理の長所と、市場に備わっている「他者との差別化」をインセンティブとする自主管理のドライビング・フォースとを損なわないように十分に考慮して判断されるべきと思います。ところで「環境報告ガイドライン」を読んでいて知ったのですが、独立行政法人や国立大学法人の一部は、「環境配慮促進法」という法律で「環境報告書」の作成や公表を義務づけられているようです。これらの法人は"環境報告書の普及を図る観点から、いわば「モデル」として率先して環境報告書を作成・普及する"ということだそうですが、ちょっと政府のお節介が過ぎるように感じるのは私だけでしょうか?

 ISO14000(環境マネジメント・システム)の認証制度が普及しているのも、このドライビング・フォースの作用でしょう。この認証を受ける企業や組織は、よりよい環境行動を求める「社会の要請」に応えて、環境管理活動をきちんと行うための組織体制を国際的な基準にしたがって整備、運営していることを、第三者の審査を受けることによって、客観性と透明性を高めた形で対外的に示し(よりよく説明し)、市場での差別化を図っているといえます。(ちなみに2006年の時点で、日本のISO14000の認証取得件数は、22,593件で、二位の中国(18,842件)、三位のスペイン(11,125件)を引き離して、世界でも圧倒的にトップです。これは、日本で働いているドライビング・フォースの強さを表しているのでしょうか。)

 また、世界の主要国で行われている自発的なリスク管理活動として、「レスポンシブル・ケア活動」という活動があります。これは、化学企業が中心となって「化学物質を扱うそれぞれの企業が、化学物質の開発から最終消費を経て廃棄に至る全ての過程において、自主的に『環境・安全・健康』を確保し、活動の成果を公表し社会との対話・コミュニケーションを行う活動」です。世界の53カ国で実施されています。具体的には、環境保全、保安防災、労働安全衛生、化学品・製品安全、物流安全、社会とのコミュニケーションといったレスポンシブル・ケア活動の活動項目毎に、この活動の参加者が企画立案して策定した実施方法のガイドラインにしたがって、自発的にリスク管理活動に取り組んでいます。こうした活動が世界の各国で広く行われているのは、「化学物質」という、私たちの生活にとって不可欠なものである一方、不適切な取り扱いを行った場合には人や環境に悪影響を及ぼす可能性を有するものを日々取り扱って事業を行っている者は、化学物質をきちんと管理して事業を営んで欲しいという国境を越えた「社会の要請」があるからでしょう。レスポンシブル・ケア活動では、各企業による活動の実施状況や成果については、内部監査による自己評価を行って、その結果を対外的に報告するという形で「説明責任」に応えています。

 「自主管理」の対象とすべき具体的活動内容を政府が特定するとともに、「自主管理」に関する説明責任の果たし方をも政府が特定するといった、「自主管理」に対する政府の関与の度合いが強い仕組みも存在します。筆者がその制定に携わったPRTR法(特定化学物質の環境への排出量の把握等及び管理の改善の促進に関する法律)が設けた仕組みがこうした手法を採用しています。PRTR法は、科学的に発ガン性等の有害性が報告されているが、用量反応関係が明確でなく、規制対象とするかどうかの判断に必要な情報が不足している物質を対象とし、そうした化学物質を業として取り扱う者に対して、工場等からの排出量(の推定量)を義務的に報告させ、情報開示の対象とするという手法で、化学物質の取り扱いに係る自主管理を促進し、排出量の削減につなげることをねらったものです。類似の仕組みは、欧米諸国にも存在しています。PRTR法の米国版とも言えるToxic Release Inventory(TRI: 有害化学物質排出目録)制度は、実は、これまでの米国におけるさまざまな排出量削減の取り組みの中で、最も排出削減効果をあげた仕組みと評価されていますし、日本においてもPRTR法の施行後、報告対象とされた有害化学物質の環境への排出量は確実に減っています。

 この米国のTRI制度では、こうした枠組みの効果をより引き出すための追加的工夫が、制度の開始段階で行われました。法律の規定に基づくTRIの実施(有害化学物質の各事業場からの環境中への排出量(の推計値)を政府に報告することを義務付け、報告された情報を分かりやすい形で公表すること)に加えて、環境保護庁(EPA)は、有害化学物質の排出量の多い企業に対して、環境中への排出量を3年間で33%、5年間で50%自主的に削減することを公約し、対外的に宣言する"33/50(サーティ・スリー/フィフティ)"と名づけた自主管理プログラム(1991〜95)を作成し、同プログラムへの参加を募集しました。EPAは、参加企業には、参加企業であることのお墨付きを与え、毎年、同プログラムの達成成果を報告公表しました。その結果、この自主管理プログラムは、1,300企業が参加し、削減目標を目標年次の一年前の1994年に達成するという効果をあげることができたのです。

 このように、「自主管理」に関わる「社会の要請」と「説明責任」を利用して、「社会の要請」への応え方、「説明責任」の果たし方に関係する社会的な枠組みをさまざまに工夫、調節することによって、「自主管理」の長所を生かしつつ、リスク管理問題の性質に応じて、関係者の自発的リスク管理活動に対するドライビング・フォースを調整することが出来ます。もっとも、こうしたドライビング・フォースが機能する前提条件の一つとして忘れてはならないのは、私たち自身が、リスク管理問題に関心を持ち、リスク管理対策の実施状況を監視することです。私たちのリスク管理問題に対する関心が低ければ、「自主管理」を行う立場にある関係者の自発的な管理活動を進めようというインセンティブも低下してしまいます。

 ただ、こうしたアプローチの便利なところは、私たちの監視の力を市場メカニズムの力に代えることが可能なことです。例えば、金融面でのインセンティブ/ディス・インセンティブを活用するという方法も可能です。

 例えば、米国では、化学物質を日常取り扱っているにもかかわらず、レスポンシブル・ケア活動に参加していない企業には、損害保険会社は保険を付保しません。また、ちょっと旧聞に属する話題になってしまいましたが、かつてわが国でも(株)グッド・バンカー代表取締役の筑紫みずえさんによって、環境パフォーマンスの良い企業の社債にだけ投資をするといったエコ・ファンドが創設され、予想以上の金額のファンドが短期間にできたということもありました。

 私も10年ほど前に、ある日本の損害保険会社に、自主的なリスク管理活動を行っている企業と行っていない企業の間で、損害保険料率に差を設けたらどうかと提案したことがありますが、このような工夫をすることによって、「社会の要請」により良く応えている度合いによって金融面のインセンティブとディス・インセンティブの両方が働くような仕組みができたら、日本におけるリスク管理問題に対するアプローチもかなり大きく変わるのではないかと考えています。なお、この提案については、10年前という時期の問題もあったのかもしれませんが、結局、実現には至りませんでした。その当時、損害保険会社の人と議論して分かったことは、交通事故や疾病毎の死亡率など豊富な統計値が存在していることによって保険会社が絶対に損をしないような分野を除いて、保険会社が敢えてリスクをとって新しい保険商品を開発することに積極的でないということと、当時の日本の損害保険会社が工場などに対して設定していた損害保険料率は、必ずしも科学的リスク分析に基づいて算出されたものではなく、取引先との貸し借りや過去からの経緯といった非科学的な理由によって決まっているということでした。その後、保険業界も大きく変わり、さまざまな商品開発が進んでいますから、こうしたアイデアの実現に向けた再チャレンジの可能性は大いにあるのではないでしょうか。

 ところで、関係者に自発的努力を促すようなアプローチでは政府は、リスク管理対策について何もやらなくて良いのでしょうか。いえいえ、前にも「重心をシフト」と書いている意味を書きましたが、政府は「規制」によってリスク管理を確実に行うべきものについては、それをしっかりとやってもらう必要があります。また、政府には、前回にも書いたとおり、関係者に自発的努力を促すとともに、自発的努力によって講じた対策の効果の評価が出来るようなデータの収集や手法の開発に係る科学技術活動の振興を図ってもらう必要があるでしょう。それらは、リスク管理に係る「社会の要請」の大きさを把握し、「説明責任」を果たすための手法として重要です。

 「イノベーションと安全と安心」で既に書いたことなので、今回は、内容には立ち入りませんが、学界にも科学技術活動の重点を見直していただく必要があると思います。米国のNational Research Councilが、民主主義社会において不確実性を伴うリスク管理問題を解決するための鍵は、リスク・コミュニケーションであるという強い認識に立って、20年近くにわたって社会におけるリスク・コミュニケーションのあり方について学界をあげて研究を続けているという事実を、日本の学界でももっと重く受け止めていただいても良いのではないかと考えます。

 最後に、リスク管理対策に係る「政策の姿勢」は、規制的なアプローチと関係者に自発的努力を促すようなアプローチだけに限られることはないと考えていると先に書いた理由をご説明します。リスク管理問題の多くは、産業活動との関連の深い問題です。そして多くの場合、産業活動の大半を占めるのは中小零細企業の活動です。したがって、中小零細企業においても、リスク管理対策が十分にとられることが重要です。例えば、溶剤として用いられる有害化学物質の排出源の多くは、「裾切り」以下の中小零細企業です。しかし、一般的には、中小零細企業は、資金力、技術力などが不足しているなどとの理由で、規制措置はもちろん、自発的な努力を促す対象者の「裾切り」以下とされるケースが少なくありません。もちろんこうした事情は、有害化学物質の種類、リスクの種類によって異なりますが、こうした「裾切り」以下の排出源に適用可能なリスク管理のアプローチが必要です。それは、技術指導です。こうした役割を果たす専門家グループも安全・安心な社会づくりには必要です。大企業の環境管理部門で活躍されてこられたシニア人材の活躍の場になるのではないでしょうか。

 ここまでリスク管理問題を例に取り上げて、リスク管理のアプローチを規制的なアプローチから、関係者に自発的努力を促すようなアプローチに対策の重心をシフトすることの意義を述べてきましたが、実はよくよく考えると、この考え方は、「事前規制から事後チェックへ」との掛け声の下、取り組んできた規制改革の考え方に包含されるものだとも言えるでしょう。ただ、リスク管理という、とかく「規制」という手段が当たり前と考えられがちな問題でも、こうしたアプローチの転換とイノベーティブな取組みが可能ですし、また、「規制」の方が優れた効果が上がるという訳では必ずしもないということはご理解いただけるのではないかと思います。

 リスク管理問題へのアプローチを少し変えることによって、世の中が大きく変わっていく気がしませんか? そして、こうした取組みが、日本の国内の変革(イノベーション)の原動力の一つになっていくように思います。

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