第24回 日本の漢字をめぐるいろいろな話
今回は、漢字にまつわるいろいろな話。
漢字というと当用漢字とか常用漢字というような名称が頭に浮かび、政府が漢字の使用法について関与するイメージが強かったものですから、漢字は日本文化を形成する要素の一つとして、固定的で絶対的なものであるかのような理解をもっていました。しかし、「日本の漢字」(笹原 宏之著、岩波新書No.991)を読んだことをきっかけとして、漢字は、豊かで懐の深い文字であると同時に、時代とともに揺れ動く、繊細で相対的なものであるという事実に気づかされました。と同時に、そうした漢字を見守る日本国内の体制の弱さについて考えさせられたところです。(ところで、当用漢字というものは既に存在していないそうです。)
漢字について、政府がその維持・継承について、大きな努力を払っているのは、常用漢字です。常用漢字とは、「法令・公用文書・新聞・雑誌・放送等、一般の社会生活で用いる場合の、効率的で共通性の高い漢字を収め、分かりやすく通じやすい文章を書き表すための漢字使用の目安」として、文部省国語審議会(現在の文部科学省文化審議会国語分科会)が1981年に告示した常用漢字表に含まれる1,945種類の漢字を指しています。常用漢字は、その使用について強制力を有するものではないのですが、この常用漢字表をめぐっては、様々な問題も指摘されてきました。例えば、常用漢字には、「朕」や「御名御璽」の「璽」という漢字が含まれる一方で、日常、よく使われる「誰」、「頃」や「宛」、体の一部を表す「眉」、「瞳」、「爪」、「尻」、身近な動植物「栗」、「蜂」、「蝶」、「蛙」、「鳩」、「鷹」、「鯉」、「鯛」などの漢字が含まれていないこと、「経つ」、「他(ほか)」、「等(など)」、「旨い」、「描く」などの漢字の用法が含まれていないことなどの問題が指摘されています。また、最近では、府県名に使われている漢字、「阪」「鹿」「奈」「岡」「熊」「梨」「阜」「埼」「茨」「栃」「媛」の11字が常用漢字に含まれていないことも話題になりました。
常用漢字の1,945字は、現代の日本語を書き表す漢字という位置づけにあるとともに、学習指導要領によって義務教育の国語で習う漢字とされているためか、常用漢字表に掲載されるべき漢字の範囲については、慎重な検討が必要とされるようです。常用漢字表は、1981年の告示以降、変更が加えられていません。国語分科会は、「情報化時代に対応するために常用漢字のあり方を検討すべき」であると2005年2月に報告書をまとめ、それを受けて同年9月から同分科会の漢字小委員会で常用漢字見直しの審議が始まっていますが、その検討は今も続いています。
このほかに、政府が国民の使用する漢字に制限を設けているものとして、「人名用漢字」があります。これは日本の戸籍に子供の名前として記載できる漢字のうち、常用漢字に含まれないものを法務省が省令で規定しているものです。この人名用漢字を巡っては、漢字の使用を政府が制限しているのはけしからんとして、これまで多くの訴訟が起き、「曽」を含まないような人名用漢字は違法で無効といった最高裁の判例(2003年)まで出たそうです。こんなこともあって、現在、人名用漢字には字種で2,700字種、字体で2,928字体が認められ、常用漢字に含まれない漢字として、983字体が人名用漢字として認められています。ここで字種、字体という概念がでてきましたが、ご承知のとおり、同じ字種であっても、「竜」に「龍」、「蛍」に「螢」、「桜」に「櫻」、「峰」に「峯」に「嶺」などの旧字体を始めとする異体字(字義・字音が同じで、同じ文脈で交換して使用可能なものと定義される)があるからです。(なお、常用漢字は、すべてが異なる字種です。)こんな経緯で生まれた人名用漢字ですが、実際には、500字種くらいしか用いられていないそうです。
そんな政府の努力にお構いなく、漢字というものが絶対的、固定的なものでなく、漢字には、漢字を変形させる圧力が常に働き、時代や流行とともに柔軟性や伸びやかさをもって変化しているものなのだということを「日本の漢字」(笹原 宏之著、岩波新書No.991)は、豊富な例とともに教えてくれます。以下に、その例をいくつか引用しましょう。
字体の絵画的印象やイメージで漢字の使用する場面や頻度が変わるのは、私たちの日常生活でもよく見る現象です。著者の笹原先生は、漢字の本に似合わず福山雅治のヒット曲を例として持ち出してくるのですが、その福山雅治の「櫻坂」をきっかけとして、「櫻」という旧字体が急に使われだしたそうです。「横浜」を「横濱」と書くことが多くなったりしたのもそうした現象の現れでしょう。結婚して新たな戸籍となったとき、私は、全く問題意識なく「塩澤」を「塩沢」に変えて登録したら、後で、親戚に「塩澤」と「塩沢」では格が異なるのだと指摘されたことがありましたが、最近、「沢」ではなく「澤」の字を使う人が多くなったような気もします。「沢」と「澤」についてあまりこだわりのなかった私も、「竜」よりも「龍」、「子供」より「子ども」と書くほうが好きです。
こうしたトレンディな漢字の使用法が定着し始めている例として、豆腐が「豆富」とか「豆冨」として売られているような例が紹介されています。かつて「大坂」と書かれていた地名表記が「大阪」となったのも、「大坂」の「坂」は土に返るとなるので、これを嫌ったからという説があるそうですが、この説の真偽は別として、大阪の表記はいつの間にか変わっています。
もう少し長期的な変化をもたらす圧力としては、「筆記の経済」と呼ばれる漢字を書きやすく書くという省力化の圧力、「涙」を「泪」とするなど漢字を表意文字としてより理解しやすいものにしようという圧力、かつては「おう」も「ぎょく」も表した「王」の字に「、」を付け加え「玉」とするなどの異議同字を区別しようとする圧力、「鉄」を「?」とするなどの装飾や縁起かつぎの圧力、「麻呂」から「麿」が生まれるなどの合字化の圧力、「圓」から「円」を生んだ略字化などの圧力があります。漢字には、こうした圧力が常に働き、時代とともに変化してきたそうです。
漢字は、中国で生まれたものばかりではありません。「働」「畑」などの文字は、日本語を表記するための文字として日本で生まれた漢字です。中には、日本で発明され、今では、中国、韓国でも日本で生まれた漢字とは認識されずに使われているものもあるそうです。「腺」、「丼」などがそうした漢字の例で、「腺」という文字が生まれる背景には、人体で様々な分泌物を出すところを意味する"klier(キリール)"というオランダ語をどのように訳すかといったことについての江戸時代の蘭学者たちの大変な努力と、ある蘭学者の一派が幕府の重役に登用されたという、やや生臭い人事の影響が絡んでいるようです。一方、「丼」のほうは、近年の日本のファーストフードの海外進出の影響とのことです。面白いですね。
しかし、こんなおおらかさと伸びやかさをもった漢字にも、デジタル化の波が押し寄せ、漢字の字種、字体の特定とリスト化が進められています。情報化社会の進展にともなって、記録や文書の電子化が進められていますが、電子化は、必ず数値表現を通じて行われますから、漢字をコンピュータやワードプロセッサなどで用いることができるようにするために、漢字の字種、字体と、それらをデータとして処理する際の数値表現(文字コード)の対応関係を一つ一つ決めなければなりません。決定された対応関係は、日本工業規格(JIS)として定められ、JISの対応関係を利用することによって、どのコンピュータでも、同じ入力をすれば同じ漢字を生成することができるようになるわけです。逆に、対応関係のつけられなかった漢字の字種、字体は、電子化された記録からは消えていくことになります。先に述べたように、2005年2月に国語分科会が、「情報化時代に対応するために常用漢字のあり方を検討すべき」であると報告書をまとめた背景にも、こうした認識があったのでしょう。
電子化のためには、漢字の字種の特定、保存すべき字体の特定と、特定された字種、字体ごとに電子化を通じて画面や印刷物に現れる文字フォントのデザインを決定するといった作業が必要になりますが、これらの作業は、実は、大変な労力と、いくつかの難しい問題を解決していくことを必要とするものです。
まず、電子化する文書の範囲を決める必要があります。古文書や文学作品まで電子化しようとしたら、それこそ際限のない数の漢字の字種、字体をコード化する必要がでてきます。何故なら、古文書や文学作品には、著者によって意図的または非意図的に記された数多くの作字があるからです。結局、今のところ、電子化の範囲は、戸籍に使われている文字と登記に用いられている文字とされています。これまでの調査で、前者の戸籍統一文字には、56,040文字、後者において固有に用いられている登記固有文字には、12,031文字程度がありそうだということが分かっています。
簡単に戸籍に使われている文字と登記に用いられている文字を電子化するといっても、実はそれに要する作業は膨大です。連載の第15回目の「記録の危機」に書いたように、この作業は、戸籍や登記簿から使用されている漢字を拾い、様々な辞典や文献、古文書、古地図、場合によっては実地調査を行って、実際に存在している漢字なのかどうかを特定するという作業です。字も細かく見ていくと払う/払わない/撥ねる/止めるとか、上に突き出る/出ないなどと差異があり、時には、それらが異なった字種・字体であるという場合があります。
次に、そうやって特定された文字について新たなフォントのデザインが必要かどうか判断し、必要な字種、字体について新たなフォントを作成する作業が必要となります。例えば、匕首(あいくち)の「匕」と数の「七」を含む漢字は、一見似た漢字ではありますが、「匕」と「七」の運筆が異なることから、異なったデザインのフォントが必要と判断されるといったように。
これは、実際に読者の皆さんも試すことが出来るので、ご興味のある方はやってみられてはどうかと思いますが、例えば、「龍」という字。このDNDのコラムではMSPゴシックの10ポイントのフォントを使っているようですが、10ポイントでは「龍」の旁の横線は一本になってしまいます。ポイントを変えて試してみると、11ポイントでは二本、12ポイント以上から正字の三本となります。また、「峯」という字では、11ポイント以下では「山冠」の下の横棒が省略され、下の横棒も二本に簡略化されてしまいます。(但し、こうした問題は画面上だけで起きている問題で、印刷では小さいフォントでも正しい字体が印刷されます。)これは、限られたドット数の範囲内で字体をデザインせざるを得ないことから起きていることですが、どのように字体を簡略化しデザインするかといったことも、実は、大切にされるべき大きな問題です。実際、こうしたことが影響してか、「龍」の横棒を簡略化してしまうような筆記例も生まれているようです。これらとは逆のような例として、古地図に記された地名の印刷文字のかすれが、文字の一部と認識されて、実際には存在しない漢字が作り出され、JIS規格に採用されてしまったというようなことが「日本の漢字」に紹介されています。(話は、全く横道に逸れますが、この「日本の漢字」の印刷に当たった精興社という印刷会社には本当に頭が下がります。何故なら、この本には数えきれないほどのJIS規格外の漢字が使われているのですから。)
さらに、漢字文化は日本だけのものではないので、電子化の国際間調和を図っていくための努力も必要となります。上述の作業によって特定された文字は、国際規格ISO/IEC 10646 (UCS; Universal Multiple-Octet Coded Character Set:国際符号化文字集合)に順次登録して、世界中で電子処理できるようにすることが必要になるのですが、中国、韓国、台湾等が使用している漢字と異同の突合や、使用頻度が異なることに起因する登録の優先順序などについての調整が大変なようです。さらに、規格とするためには、文字コードに対応させるフォントを作る必要があります。しかし、中国や韓国から送られてきた日本語のメールのフォントに違和感を持った方は多いと思いますが、中国や韓国のフォントのデザインは、日本のそれと異なるものが多いため、こうしたフォントのデザインの差と、先に述べた、払う/払わない/撥ねる/止めるなどの字体の相違の可能性が絡まると、これらの問題を解きほぐして、どのような漢字の字体をどんなデザインで国際規格とするかといったことを国際間で合意するためには大変な時間と労力を要することがご想像いただけると思います。
ところが、こうした地道だが重要な作業のかなりの部分を担当している独立行政法人国立国語研究所が、平成19年12月24日に行われた閣議決定で、十分な検討が行われた形跡のないまま、行政改革の一環として大学共同利用機関法人へ移管することが決定され、これまで続けてきた作業が継続できるかどうかが懸念されています。漢字という豊かで懐の深い文字文化を持つ国であるにもかかわらず、この決定が、深い思慮を感じさせないものであるように感じるのは私だけでしょうか。
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