第22回 中国の標準化戦略



 この19回目の連載で「北東アジア標準協力フォーラムで中国がさりげなく語った話」を書いてから、中国の標準化戦略について、一回、ちゃんと勉強しなくてはと思っていました。そうしたところに、あるところから世界の主要国の標準化戦略についた記事を書いて欲しいと原稿の依頼を受けました。そうなるとちゃんと原資料にあたって中国の標準化戦略について調べなくてはなりません。正月休みを使って資料を集め、現在、その原稿を執筆しているところなのですが、せっかく調べたのだから、その材料は2度おいしく使おうと企図して書いているのが、今回の原稿です。

 中国は、2001年にWTOに加盟しましたが、これは当然のことながら、中国の標準化政策にも大きな影響をもたらしました。WTO加盟に当たっては、WTOの下でこれまでに合意された数多くの国際貿易に関する国際合意を遵守することを求められますが、その合意の一つ、TBT協定(貿易の技術的障害に関する協定)は、各国において独自の規格づくりが進むと国際貿易取引の障害となることから、各国内において、こうした製品やサービスについての標準性能や仕様を策定する際には、国際標準を国内標準の基礎とすることを義務づけているからです。

 こうしたことから中国の標準化政策の基本は、旧来の中国国内の標準システムを近代化し、国際化するとともに、WTOルールに整合した産業政策の手段として標準化政策を再構築することにおかれました。標準化政策が、産業政策の手段になりうるのは、「北東アジア標準協力フォーラムで中国がさりげなく語った話」でも書いたとおり、TBT協定の発効によって、国際規格となった性能や仕様、試験方法は、国境を越えた取引のみならず、各国の国内市場で用いられる技術ルールになりますから、自国の技術を国際規格にすることができれば、中国国内市場はもとより、世界中の市場で優位に立てるようになるからです。

 中国政府の科学技術部は、標準化政策の再構築を国家の重要課題の一つと位置づけ、標準化政策に係る研究の実施と国家標準化戦略案の作成を行いました。さらに、国内に秩序がとれない形で存在する様々な規格を体系化された形で管理、統制するために、科学技術部のもとにおかれている国家標準化管理委員会(SAC:Standardization Administration of China)を国家の標準行政の監督機関及び国家規格の管理機関と位置づけるとともに、中国国内に存在する規格を「国家規格」、「産業規格」、「地方規格」、「企業規格」の4層に体系化し、それぞれの層の規格についての責任機関を明らかにして、国内に存在する規格群に対する管理、統制力を強化しました。

 こうした研究と管理体制の強化の結果、2003年末の時点では、当時存在した20,906の国家規格は、平均で制定されてから10.12年が経っており、最も古い規格は制定後41年も経っていること、10年以上改訂されていないものが9,608規格(45.96%)あり、多くの規格の技術水準が国際的な水準に達していないことなどが分かりました。さらに、このほかに中国の国内には2004年末の時点で、政府の産業所管部局や国営企業等が制定した産業規格が37,850規格、地方政府が制定した地方規格が15,800規格存在することも分かりました。

 国内に存在するこうしたさまざまな規格間の重複や矛盾を排除し、各層の規格間で整合性のとれた規格体系を構築するために、「産業規格」については、情報産業部、国家発展改革和委員会などの国家機関や政府が認定した業界団体が、そして、「地方規格」については、地方政府がその管理責任を負うこととされました。規格についての上意下達の仕組みが整ったのです。この辺は、いかにも中国的ではありますが、これは中央政府がWTOのTBT協定の規定をきちんと遵守し、地方政府や非政府機関が一定の義務を果たすことを中央政府として確保するために必要な仕組みでもあります。なお、4層の規格のうち、地方規格は、整備された管理体制を通じて、いずれ国家規格または産業規格に可能な限り置き換えていく方針のようです。

 こうした準備活動を経て、SACは2007年3月に「第11次経済社会発展5カ年計画における標準発展計画」を公表しました。この計画には標準化政策を展開する際の基本的原則として、次の4つの原則が示されています:

(1)市場原則に則り、ニーズにマッチした規格を開発して、市場への参入と市場 秩序の安定に寄与すること、
(2)農業、食品、安全、衛生、環境保全、省エネルギーとエネルギーの総合利用、ハイテク産業、サービス業等の重要産業の競争力の強化などの中国経済社会の発展のための重点分野の発展に資すること、
(3)「自主的革新」の基本方針に立って、自主的革新技術に基づく規格の開発を強化し、中国製品と産業の国際競争力の向上に資すること、そして、
(4)WTOルールを遵守するという大原則のもと、積極的に国際規格を採用するだけでなく、中国の技術的優位性のある規格を国際規格とするといった、「国際標準の現地化」から「国家標準国際化」を図ること。

 これに加えて同計画は、標準化活動に係る基本的方針を示していますが、この中で大変に興味深いのは、国家規格の開発の主体を担うのは企業であり、政府の役割はそれを奨励、支援することにあるとしていることです。基本方針としては、この他に科学技術研究と規格開発活動の間の連携を緊密化すること、そして、規格の作成、改正作業の公開性、透明性を高めることがあげられています。

この計画は、極めて意欲的な数値目標も掲げています。
(a)2008年までに、見直し期間を超過している9,540(*i)の国家規格を改正するとともに、2010年までに、年間6,000の国家規格を制定、改正する。そのうち自主革新技術の発展に資する規格を2,000とする、
(b)国際規格と海外先進規格の導入率を2008年までに60%、2010年までに80%とする(注:2006年末の時点では、国家規格数21,410(*ii) 、うち9,931規格(46.38%)が、国際規格または海外の規格を採用(*iii)。)、
(c) 標準化活動を担う技術委員会、分科会、作業チームの数を2010年までに2,600に増やし、規格案の作成能力を強化する、
(d) 国際標準化活動を強化し、2010年までに中国から50の国際規格案を提案するとともに、500の中国の産業活動に関係する国際規格作成活動に参画する。また、国際標準化活動に携わる人材の育成を強化し、2010年までに1,000名の国際標準化活動に係る専門家チームを設立する。それによって、ISO、IECなどの技術委員会の議長や幹事国業務の引き受けを増大する、

 などですが、これらの目標に加えて、国際標準化活動についてはISOにおける幹事国の引き受け割合を(現在の約3倍の)6%に高めることも掲げています。なお、この目標が実現すると中国のISOにおける幹事国の引き受け割合は、現状の日本のそれと同程度になります。

 中国は、現在、この目標の実現のために、本腰を入れて標準化政策の強化を図っています。中国国内規格の制定、改廃を急ピッチで進めているだけでなく、国内規格を国際規格に整合化させるための取組みにも本腰を入れています。また、「北東アジア標準協力フォーラムで中国がさりげなく語った話」で書いた、中国がEMERSON、SIEMENS、VOLKSWAGENといった企業と国際標準化活動に関する協力協定を結んだのは、上記(b)の目標の実現のためのアクションであったことが分かります。さらに、SACは、つい最近、ISO、IECの幹部ポストを務めることのできる人材を広く国内に求めるために、大掛かりな人材公募を開始しました。

 こうした中国政府による標準化政策の抜本的な強化のねらいについては、様々な見方があります。ただ、2003年に起きた"WAPI"事件は、中国の標準化戦略が、規格を自国産業の優遇するための産業政策の手段として用いることを目指しているのではないかとの強い懸念を国際社会に抱かせることになりました。"WAPI"事件とは、当時、IEEE(*iv) の802.11i"wi-fi"と呼ばれる規格が無線LANに係る実質的な国際規格であったにもかかわらず、中国政府が2003年11月に、中国独自の暗号化無線LAN規格の"WAPI"に準拠しない製品の国内への輸入販売等の禁止措置をとったことを発端として起きた問題です。この問題は、米中間の貿易摩擦案件として発展したため、中国は、この措置を一旦撤回しましたが、その後、中国は、"WAPI"をISO/IEC JTC1(*v) へ国際規格案として提案して、"WAPI"の国際規格化を企図しました。しかし、結局、このねらいはうまくいかず、ISO/IEC JTC1は、WAPIを国際規格として採用することを否決する一方、IEEE802.11iを国際規格として採用することを決定しています。

 中国の標準化政策の全体が、この例のように産業政策を色濃く反映したものであるかどうかについては、評価は定まっていないようです。実際、第三世代携帯電話、電子タグ、ディジタル・オーティオビデオの書き込み/読み出し方式、デジタル家電の通信方式など、"WAPI"以外で中国が力を入れている技術分野の中国の国際標準化活動を調査分析した米国オレゴン大学Center for Asian and Pacific Studies の Suttermeier教授の研究(*vi)では、産業政策の手段として国際標準化活動を展開しているといった露骨な姿は見えないとしています。同教授は、この背景には、標準化活動の主体を担うことが期待されている中国企業間で標準化の方針について意見の一致が図れないこと、企業の技術戦略と政府の政策方針が必ずしも一致しないこと、政府機関の間でも標準化政策が目標とする政策目的の優先順位が一致しないことなどがあるためと考察しています。

 標準化活動は、それが始まった当時の物品やサービスの取引、産業活動の基盤づくりから、時代とともにその活動の性格は大きな変化を遂げ、一方では、産業の競争力の強化、市場戦略といったナショナリスティックな目的達成のための手段として、他方では、環境、健康、安全といったグローバルな課題に対応するための手段として用いられるようになってきています。実は、中国だけでなく、主要国の国際標準化戦略には、軽重の差やプレゼンテーションの巧拙の差こそあれ、これらの様々な目標が入り混じっています。経済社会、産業活動、研究開発活動などがグローバル化し、技術進歩が急速に進む中で、特に、TBT協定などによって大きな意味を持つことになった国際標準化活動は、こうした様々な目標の達成の手段として、様々な思惑をもった様々な主体が参加して繰り広げられているのです。国際標準化活動の成果の恩恵とともに、その悪影響を最も受ける日本の産業界は、もっと国際標準化活動に対する関心を高めることが必要です。

 最後に、話は大きく変わります。この原稿を書くにあたっては、インターネットの記事検索をかなり利用しましたが、中国の標準化戦略についての調査研究は、米国の文献にしかめぼしいものが見当たりませんでした。そして、米国のそうした調査研究では、米国に留学している中国人研究者をうまく使って、情報収集や資料分析を行っていました。このような事態が起きているのは、標準化政策に関する調査研究だけなのでしょうか。まあ、この分野は、極めて専門的で、マイナーな分野ではありますけれど・・・。


*i. 時点が異なるので、先の2003年末の規格数9,608とは数が一致しない。
*ii. 時点が異なるので、先の2003年末の規格数20,906とは数が一致しない。
*iii. 北東アジア標準協力フォーラム(2007年11月13、14日、淡路夢舞台国際会議場)におけるSACの発表資料.
*iv. 米国に本部を置く、電気、電子技術分野の国際的な学会で、同分野の技術標準を策定している。かつての名称は、Institute of Electrical and Electronics Engineers といい、同分野の米国の学会であった。
*v. 情報技術は、電気電子技術に限らず、幅広い産業技術に関係することからISOとIECが共同で設けている国際規格案を審議する場。JTCは、Joint Technical Committeeの略。
*vi."Standards of Power? " Richard P. Suttmeier, et. al., NBR Special Report, 2007, The National Bureau of Asian Research

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