第20回 日本の歴史は地震の歴史



 1611年会津; 1611年三陸沖; 1646年仙台; 1659年会津田島; 1662年近江・若狭;1662年日向; 1666年新潟高田; 1683年日光; 1703年関東南部; 1707年東南海; 1718年伊那; 1731年福島; 1766年弘前; 1771年石垣島; 1792年島原、肥後; 1799年金沢; 1804年秋田象潟; 1819年近江; 1828年新潟三条; 1830年京都; 1834年石狩; 1843年北海道南東海岸; 1847年長野; 1854年伊賀上野; 1854年東海; 1854年南海; 1855年江戸; 1858年飛越(飛騨、越中); 1872年浜田; 1891年濃尾; 1894年庄内; 1896年三陸; 1896年陸羽; 1923年関東; 1925年北但馬; 1927年北丹後; 1930年北伊豆; 1931年西埼玉; 1933年三陸; 1936年河内大和; 1943年鳥取; 1944年東南海; 1945年三河; 1946年南海; 1948年福井; 1949年今市; 1951年十勝沖; 1951年吉野; 1959年弟子屈; 1961年北美濃; 1964年新潟; 1965〜1970 長野松代; 1974年伊豆近海沖; 1978年伊豆大島近海; 1978年宮城県沖; 1983年男鹿半島沖; 1984年長野県西部; 1993年釧路沖; 1993年北海道南西沖; 1995年阪神、淡路; 2000年鳥取西部; 2001年芸予; 2003年宮城県沖; 2004年新潟県中越; 2005年福岡県西方沖; 2007年能登半島; 2007年新潟県中越沖。

 長々と羅列しましたが、これは何を記したものかお分かりになりますか? 最後のいくつかを見ればお分かりのように、江戸時代以降に日本で大きな犠牲者や被害を出した地震の一覧です。このように振り返ってみると1603年に江戸幕府が開かれてから、その後約400年の間に、記録に残されるほどの大きな被害をもたらした地震が約70件もあるというのは、私にとってやや驚きの事実でした。そして、これらの地震による犠牲者の数は、記録に残されたものだけでも優に100万人を超えるのではないでしょうか。どの時代でも地震災害は、幸せな家族を引き裂き、平和な地域社会全体を崩壊させ、時には集落ごと抹殺すらする悲惨なものです。ただ、最近は、土木、建築技術の進歩によって、同程度の規模の地震であっても過去と比べて建物の倒壊による死亡者の数が明らかに減少していることや、地震によってせき止められた川などの決壊による二次災害も重機械などの発達によって減少していることを見ると、やや救われる思いがします。

 実は、上記の地震の一覧は、「地震の日本史−大地は何を語るのか−」(寒川 旭著、中公新書No.1922)に記載されたもののうち、江戸時代以降のものを書き出してみたものです。この本の著者の寒川さんという方は、「地震考古学」を確立された方で、遺跡に刻まれた過去の地震による断層、地割れ、地滑り、液状化現象などから、文字記録の空白を埋めるとともに、古文書に残る地震の記録の事実確認や実際の影響の大きさ、地震の発生メカニズムなど、地震災害の歴史を科学的事実によって確認していくといった研究をされてこられた方です。ですからこの本は、抜書きした江戸時代以降のことだけでなく、日本列島で人類が活動の足跡を残し始めた縄文時代からの地震の歴史を追っています。

 西暦720年に編纂されたといわれる「日本書紀」で、日本の文書に初めて記録に残された地震は、大和と筑紫で起きたものでした。飛鳥時代以降も、様々な古文書に地震の記録が残されますが、科学的に地震の痕跡を追っていくと、ほぼ確実に日本全国の地震被害が文書の記録に残されるようになるのは、江戸時代以降となるようです。縄文時代から現代までの時間、地質学的にはきわめて短時間の間に日本列島の地質活動の性格が大きく変わるとは思えませんから、冒頭に記した江戸時代から現在までに起きた地震災害の頻度は、日本列島における有史以来の人間と地震の付き合いのほぼ日常的な姿を映し出していると考えられます。そうだとすると日本人は、平均して6年から7年に一回は大規模な地震災害に見舞われていることになる。日本人の生活が、如何に地震と無縁でいられないかということが思い知らされます。こうして考えるとやや恐ろしくなるとともに、全く論理的な感想ではないのですが、そんな環境の中で暮らしてきた日本人の凄さ、たくましさ、悲哀、そして悟りといったようなものを感じます。さらに、こんな環境の下で培われてきた日本の文化や日本人の人生観には、きっと世界の他の国には見られないような地震の影が投影されているに違いないなどと、変に納得してしまいます。

 一方で同時に、はたして、現代の日本人はこの事実が示すほどの日常感というか切迫感を地震に対して持っているだろうかということも考えさせられてしまいました。最近起きた阪神淡路大震災、中越地震、中越沖地震などは私の記憶にも鮮明に残っていますが、阪神淡路大震災が起きた1995年以降に限っても、このほかに、鳥取西部地震、福岡県西方地震や能登半島地震などの大地震が起きていたことを、私自身はこうやって書き出してみて改めて思い出したというのが正直なところです。(もちろん被害を受けられた各地地域の方々は、明瞭に記憶されているでしょうが。)

 この本は、日本の歴史を地震の連鎖として描く読み物とすることを狙いとして書かれたようですが、ほぼ全編、古文書に書きとめられた地震の記録を追いながら、遺跡調査や地層の科学的調査によって検証される地震の発生とその発生メカニズムについて、年代を追って記すという書きぶりで終始しているために、著者には申し訳ないのですが、決して読んで面白い本になっているとは思えません。しかし、そうした書きぶりの集積の結果として生まれた圧倒的な量の事実の提示によって、読み物としての面白さはさておいて、歴史的に日本人の生活と地震がどれほど切り離せないものであったのかということを説得力ある形で示すことになったと思います。そして、結果的には日本の歴史に絶え間なく顔を出す、地震という自然現象の日本における存在感の大きさを描き出したものになっています。このことは、冒頭に記した、この本から抜き出して並べてみた江戸時代以降の地震のリストを見ただけでも感じることができるでしょう。巧まざる内容構成が、結果として、この本から発信されるメッセージを強めています。

 こうした圧倒的な量の科学的事実が集積された背景には、都道府県の埋蔵文化財センターなどの研究員の方々の地道な努力があることも忘れてはなりません。開発プロジェクトに先立つ調査などで遺跡が見つかると、開発の遅延要因として開発者からはやや疎まれながら、そして、時として遺跡の調査研究というよりは、端からは不本意にもあたかも開発の一プロセスであるかのように扱われたりしながらも、こうした研究員の方々による、出土した遺跡や遺構の情報を記録に残すための地道な調査活動が行われることになります。しかしこうした活動のうち、考古学の学会でも脚光を浴びるような調査研究報告となるものは、ごく稀なことでしょう。まして、社会からの注目や称賛を浴びるという機会もほとんどないと思います。(実は、私の従兄弟がこうした仕事をやっていました。)しかし、こうした地道な調査研究の積み重ねがあってこそ初めて、古い書簡、記録や物語などに顔を出す過去の地震をめぐる物語が、地震を引き起こした地殻変動に関する科学的事実に裏付けられた重みのある記録として甦り、次世代の日本人にとって活用できるものになるのです。

 また、この本で言及された過去の記録にも表れていますが、当たり前のこととはいえ、やはり過去の地震災害の教訓を身に付け、地震災害に対する対策を講じていた人々は、過去においても被害を小さく抑えることができています。地震防災の備えが重要です。月並みですが、地震防災への取り組みをしっかりとやる必要があります。特に、日本全体でこれだけ日常的に地震災害が起きているという事実を顧みるならば、政府として、より一層力を入れてしかるべき政策分野なのではないでしょうか。そうは言っても、自分を含めて地震防災活動は、あまり魅力を感じない、ややひとごとのような活動と感じる人が多いのではないかと思いますが、この本に記された圧倒的な事実を改めて突きつけられてみると心構えが変わるような気がするのは私だけでしょうか。

 見かけのよさ、便利さだけでない、社会や生活基盤の強靭さ、厚さ、そして真の豊かさというようなものは、こうした地道な活動を私たちがどれだけ大切にするか、大事にできるかというところから生まれてくるように思います。

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