第13回 記録に残しておきたい話



 世の中には人の記憶や思い出にだけ残っている話が、それこそ山のようにあるはずです。その多くは時とともに忘れられ、残された数少ない記録をもとに、その記録をつなぎあわせることによって、創られるともなく創られた時代の記録が次世代に伝えられていきます。中には、意図的に創られた時代の記録もあるかもしれません。そうした危うさをもつ人間の営みの記録には、しかし、良い話や立派な功績は出来るだけ記録に残しておきたいものです。とくに表彰や顕彰といった公式の記録として残らないものは・・・。

 今日は、そうした話の一つをご紹介したいと思います。

 このコラムで書かせていただいているシリーズの一つ、「普通に見えて普通でないこと−オランダから見えたことー」で前にも書いたとおり、私は、1993年から3年間、オランダのハーグに設置されることが決まった化学兵器禁止条約の執行機関となる新たな国際機関、OPCW(Organisation for the Prohibition of Chemical Weapons)を立ち上げる仕事に携わりました。その活動の場は、OPCW準備委員会暫定技術事務局。同じハーグに置かれ、条約が発効するまでの最短で2年程度の間にOPCWを作りあげるために、新機関の運営に必要となる必要なルール、組織、予算の策定や、セキュリティ対策の整った情報システムの構築、スタッフのリクルートと訓練、本部となる新ビルディングの建設などの仕事を条約署名国の代表からなる準備委員会の了解を得ながら行うことがその任務でした。私が日本政府から派遣され、暫定技術事務局に着任したときは、まだスタッフの数は世界約20カ国から来た35人程度。実際に条約が発効し、OPCWが正式発足したのは国際政治情勢の影響などにより1997年となりましたが、現在では、OPCWは後ほどご紹介する国際査察官200人を含め、総勢500人を超えるスタッフと年間100億円を超える事業規模の機関となっていますから、その作業に要した仕事の量とスケールの大きさはご想像いただけると思います(i)。

 化学兵器禁止条約は、化学兵器という残酷な大量破壊兵器を禁止するための軍縮条約ですが、この条約は、国際間の合意が成立するまでに、1980年に国連の軍縮委員会で交渉が開始されてから13年という長い年月がかかりました。条約の交渉中はこの条約についての関心は、もっぱら軍縮外交の面にありましたが、条約が合意されそうな状況になると、各国、とくに自国内に化学産業をもつ国から新たな懸念の声があがってきました。それは、この条約に規定される国際査察の実施の化学産業に与える影響に関する懸念です。

 皆さんはIAEA(International Atomic Energy Agency:国際原子力機関)が、核不拡散防止条約の加盟国の原子力発電所などに国際チームからなる査察団を定期的に送り、原子力発電所で利用される核燃料が核兵器に転用されていないことを確認するための査察活動を行っているのをご存知と思います。化学兵器禁止条約も、核不拡散防止条約と同様に、化学兵器の原料として用いることのできる化学品が、化学兵器原料として転用されていないことを確認するために、その化学品の製造、加工施設への国際査察の実施を規定しています。ただ、やっかいなことには、化学兵器の原料として用いることのできる化学品の中には、一般の工業用化学品の数物質が含まれています。その物質自体は化学兵器のような毒性は全く持たなくても、他の物質と化学反応を起こさせることによって、化学兵器として利用できる物質を生成することができます。日本の化学工場で、化学兵器原料の製造を意図して化学品の製造をしているところがあるとは全く考えられませんが、他国では、農薬工場などに偽装して化学兵器原料を製造していた国があったこともあり、こうした化学品を製造していれば、化学兵器原料として転用していないかどうかについて、製造、加工の現場において国際的なチェックを受ける義務が、日本を含む条約加盟国の全てに課せられたのです。

 査察では、複数人から成る国際査察チームが製造施設に立ち入り、不必要な配管やバルブがないか、不必要に耐腐食性の材料でタンクや配管が作られていないか、製造設備の配置に不自然な点はないか、原材料の購入量と生産量の数字は辻褄が合うか、製造記録、運転記録に不審な点はないかなどが調べられます。また、現場でサンプルを抜き取って化学分析することで、より確度の高いチェックを行うこともあります。

 こうしたことから、化学産業の懸念は2つありました。一つは、化学兵器禁止条約に基づく国際査察は、IAEAによる国際査察が原子力発電所で行われるのと異なり、街中や近郊にあるごく普通の化学工場に対しても国際査察が行われることから、風評被害が起きるのではないかという懸念です。もう一つは、悪意を持った国際査察官が製造、加工施設内に立ち入ることによる事故の発生や営業機密、ノウハウの漏洩に対する懸念です。

 いろいろと難しい問題を含む国際査察の仕組みを作っていく中で、暫定技術事務局の重要な課題の一つは、上述のような被査察国の民間企業が国際査察に抱く懸念に十分に配慮しつつも、条約違反を見逃すことない査察を確実に実施できるようにするための査察官候補者のリクルートと訓練を条約の発効までに行うことでした。一方で、被査察国にとっても、国際査察を受ける企業の負担や懸念を軽減し、査察による風評被害を防止することは大きな課題でした。街中や街の近郊の民間化学企業の工場に目の色も肌の色も異なる国際査察チームが来て、工場を見て回るわけですから、特に、地方にある化学工場などでは、それだけでも大騒ぎになってしまうかもしれません。こうしたことから、条約の発効前に国際査察を円滑に実施できるように十分な訓練をすることは、暫定技術事務局にとっても被査察国によっても、とても大きな課題でした。

 こうした課題を解決するための一石二鳥の手段は、日本の化学工場のサイトを査察官候補の実地トレーニングのサイトとして提供することです。そうすることで、日本の化学工場の特徴や周辺環境について、国際機関側の理解を深めてもらうことや、日本のマスコミにこうした査察についての相場観を持ってもらうことも期待できます。そんな訳で、ハーグで開かれる条約発効の準備のための国際会議に出席される日本の化学産業の代表者に私からお願いしたり、国内では、通商産業省の担当室から化学業界に働きかけていただいたりして、日本の化学企業で、自社工場を実地トレーニングのサイトとして提供してくれるところを懸命に探しました。しかし、そもそも化学兵器との関わりがあるなどとの自覚がなく、何でそんな国際査察を受けなければいけないのかと思ってもおかしくない日本企業が、様々な国籍の外国人によって構成される多数の査察官候補者を、喜んで自社の製造施設に受け入れるなどということは期待できるわけもありません。製造施設を開放することによって、最悪の場合には、訓練に伴って事故が発生することも想定しなければなりませんし、場合によっては製造ノウハウが流出する可能性もあります。また、工場内で活動するトレーニング・チームの世話もある程度はせざるを得ないでしょうし、細かい相談事やトラブルに目をつむって放置するわけにもいきません。しかも、それらに必要な対応は、英語で行う必要があります。

 化学兵器禁止条約の意義を高く評価して、様々な国の化学業界がそうしたトレーニングのサイトの提供のオファーの声をあげ始めた中で、世界の主要化学産業国である日本から実地トレーニングのサイト提供が出来ないことは、残念なことであり、暫定技術事務局の中でも日本からのオファーに期待が高まっていました。

 そうしたとき、D化学工業という会社が実地トレーニングのサイトを提供することを決断してくれたのです。この会社は、創業100年になんなんとする歴史を有する老舗の大手化学企業で、査察対象になりうる化学品は製造していましたが、それは化学兵器原料として転用する可能性は低いとみなされるカテゴリーに属する化学品だったので、条約が発効した後も、その工場が査察対象として選定される可能性は決して高くありませんでした。それにもかかわらず、オファーに踏み切っていただいたことによって、暫定技術事務局は、世界の主要化学工業国の一つ、しかもアジアというなじみの少ない地域で訓練ができることになった訳で、その歓迎ぶりは大変なものでした。

 何故、D化学工業は、実地トレーニングのサイトを提供するという決断をされたのか。これは、経営トップのK社長とI常務(当時)の判断があったからで、後に、この判断にいたったお二人のお考えを聞いて本当に感心してしまいました。それは、「化学企業という私企業を経営していても、いつかどこかで日本の国益と化学産業全体の役に立てる機会があったら、役にたちたいと考えていた」とおっしゃるのです。「国のために役にたちたい」という考えがあったとしても、それは企業経営を通じてとか、良い製品の提供を通じてなどと言われる民間の企業経営者が多い中で、これほど企業経営にとって負担が大きいばかりで、マスコミや社会にも注目されることもないような(場合によっては、風評被害を受けかねないような)ことを「国のために役にたちたい」との熱い思いで引き受けていただいた。そうした経営者が民間企業にいたことに深い感銘を覚えました。しかも、大手の企業ですからその決断の重みは大きく、主力工場の一つへのトレーニングの受け入れには、会社全体の理解を得ることも容易なことではなかったでしょう。経営者としてのリーダーシップの大きさも感じます。

 こうした歴史を背景に、化学兵器禁止条約が1997年に発効して以降、既に日本でも民間の化学工場に対する国際査察が何回も実施されています。化学兵器への転用の懸念が皆無であることが確認されていることは当然のこととして、これまで、日本国内で行われた査察で大きな問題や風評被害が起きたということは聞いたことがなく、今では、ほぼ当たり前のように国際査察が実施されています。しかし、こうした当たり前のような活動が現在行われている背景には、K社長、I常務の国益を思う決断があったことを忘れてはならないと思います。

余談になりますが、D化学工業が提供したトレーニングサイトの日本海に近い工場の周辺には、美しい山々と鄙びた温泉があります。こうしたことから、国際査察チームの派遣に関連するOPCWの部局では、一時期、日本の田舎の美しさ、温泉のすばらしさなどについて思い出話の花が、よく咲いていたそうです。

 化学兵器禁止条約に関連して、記憶に残しておきたい良い話だと思います。


*i この暫定技術事務局によって行われた「まったく新しい国際機関をゼロから作った」活動の記録は、つい先ごろ、暫定技術事務局の事務局長を務めた英国人のIan R. Kenyonによって"The Creation of the Organisation for the Prohibition of Chemical Weapons" (2007, T.M.C. Asser Press) という書物にまとめられ刊行されています。こうした一つの仕事をやり遂げた後、その仕事の活動の記録をきちんとした形で残すというのは、極めて英国人らしいと思いますが、日本においてもこうした活動を強化すべきと思います。

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