第12回 イエローストーン再訪



 ここ3回ばかり、紀行文のようなものにばかりお付き合いいただいて恐縮ですが、私にとって今回のイエローストーンへの旅は、まさに「原点回帰の旅」のようなものでもあるので、8月の末に夏休みを利用してイエローストーンを再訪した時のお話しをさせて下さい。

 イエローストーン国立公園を最初に訪れたのは、24年前、1983年の同じ8月のことでした。留学先のカリフォルニア州パロ・アルトから、冷房の効かない中古のアメ車を駆って3週間かけて米国西部の国立公園、国定公園を巡った約10,000kmの旅の途中のことで、3日間ほどの滞在でした。そこで見た自然の雄大さ、不思議さ、面白さが忘れられず、こんな経験を娘にもさせてやりたいと計画したのが今回の旅です。おかげさまで、今回も天気にも恵まれ、イエローストーン国立公園と隣接するグランド・ティートン国立公園の素晴らしさを満喫してくることができましたが、全般的な印象をいくつか言えば、「やはり凄い」、「ちょっと疲れた」、「そこにも時の経過を感じた」というようなところだったように思います。



 イエローストーンとグランド・ティートン国立公園は、間欠泉、熱水プール、噴気孔などの熱水現象や標高4,000mに達する峨々としたティートン山塊を造りあげた造山運動など、地球という、未だ進化の過程にある惑星の鼓動を目のあたりにすることのできる世界でも数少ない地域です。

 イエローストーン地域はハワイ諸島、アイスランドなど、世界に数カ所ある地球のホット・スポットの一つで、深さ約50kmから3,000kmに広がるマントルよりも更に下、地球の核から高熱物質がマントルを突き抜けて、地殻(プレート)の直下まで上昇してくるダクトの出口にあたるところと考えられているそうです。プレート直下まで上昇した高熱物質は、周囲の岩石を溶かしてマグマとなり、約63万年前と130万年前、そして、210万年年前の3回にわたって大爆発をおこしました。その210万年前に起きた最大規模の大爆発で生じた噴出物は、1980年に秀麗な山体の山頂部分約400mを吹き飛ばしたセントヘレンズ火山の爆発の2,400倍、63万年前の大爆発でも1,500倍の規模に上る猛烈なもので、その爆発の後に出来た直径50km以上に及ぶ大カルデラの跡がほぼイエローストーン国立公園の中心部の全域に重なります。

 こうした科学的説明を裏付けるものとして、今でもそのカルデラのあった証拠が、イエローストーン国立公園のあちこちの地形で見て取れます。それに留まらず、イエローストーンを形成したホット・スポットは、その活動の痕を北米大陸プレートが南西に移動しているのと平仄の合う形で、イエローストーンと同規模の旧いカルデラの痕を南西の方角に残しています。地球の活動の壮大な歴史が、地形に刻まれているのです。同様の地球の活動で生まれたのが、ハワイ諸島で、これは、現在、ハワイ島にあるホット・スポットの活動が、年々西に移動する地殻プレート上に、西から東に点々とカウアイ、オアフ、マウイ、ハワイ島という島々をその活動の痕として生んできたとご説明すると、この説明が、より分りやすくなるのではないかと思います。

 私は、実はこうしたイエローストーン地域の歴史を公園の中のギフトショップで思わず手にした"Recent and Ongoing Geology of Grand Teton & Yellowstone National Parks"という10ドルほどの小冊子で学びました。帰りの飛行機の中で、高度な内容ながら、写真や地図や絵をたくさん使って地球の壮大な歴史を分かりやすく語ってくれるこの本に、思わず引き込まれ、読み通してしまいました。こんな冊子を米国地質学会の一流の研究者が書き、公園のギフトショップで売っているということに、アメリカの科学技術活動の奥深さと凄さのようなものを感じます。

 すさまじい地質活動の歴史を背景に抱きつつも、イエローストーンは、美しい自然の造形美と不思議を見せてくれます。真っ青な空に、突如、真っ白な蒸気とお湯を何十メートルも吹き上げる間欠泉は、壮観であると同時にとても美しいものです。いつ噴くか分からないものも多く、噴出時刻の予想が立てられる数少ない間欠泉でも、例えば、今日の9時45分から15時15分の間には噴くといった、予想とも言えないような予想しか立たないものが多いのですが、そんな予想をもとに、間欠泉のそばにボーッと座って、のんびりと間欠泉が噴くのを待つのも一興です。

 こんな予想でも公園のレンジャーにとっては真剣な作業のようで、間欠泉を見て回っては、間欠泉が吹き上がるとトランシーバーで噴出時間を本部に報告しています。科学的観察という観点では、そうした真面目さはよく分かりますが、ちょっとからかい半分の気持ちでみると相当に間の抜けた報告活動のようにも感じてしまいます。こうした間欠泉の多くは、標高2,500m程のところにある広く開けた高原の盆地に散在しているので、太陽の光を浴びながら涼しい風に打たれて待っていると、お目当ての間欠泉ではない間欠泉から、ときおり蒸気が吹き上げるのが遠くに見え、肌で感じる心地よさと「当てが外れた」と思う気持ちがないまぜになって、ビミョーな心理状態にもなります。まあ、これも楽しめます。



 地下の熱水が、蒸気や噴気ではなく熱水の状態で地表に出てくるものは、熱水プールと呼ばれ、これも間欠泉と同様に盆地のあちこちに散在します。この熱水は、とても温度が高いためにバクテリアも藻も生息することができず、熱水プールの色は、太陽の光が水に散乱されたそのままの色、すなわち極めて透明感の高い真っ青です。熱水プールは、地表に向けて開いたラッパ状の形をしているものが多いので、プールの中心に向けて透き通るような青色が濃さを増していく、ちょっと普通ではない美しさです。中には、プールの中心から外縁に向けて下がる湯温とともに生息するバクテリアや藻の種類が変化し、透明な青から緑、明るいオレンジ色と色を変えるプールもあり、これも大変に美しい。



 野生動物を間近で見ることが出来るのもイエローストーンの魅力で、草原や道路脇の林の中で、鹿やエルクやバッファローを見ることが出来ます。アメリカ人にとっても野生動物を見るのは滅多にない経験らしく、野生動物を見つけると車を止めて双眼鏡をかざしたり、写真を撮ったりします。これが結構危なくて、公園内の制限速度は、時速45mile(72km)とかなり高めに設定されているにもかかわらず、本来、車が止まらないようなところで急に車を止めますから、公園内では追突事故なども多いようです。バッファローなどが道を横切ることも結構多く、「バッカヤロー」などと洒落を言ってみてもしようもありませんから、注意をしながら運転をするしかありません・・・(お粗末)。

 イエローストーン公園は、公園の域内だけで日本の四国の半分の面積があるそうで、園内には、あちこちで白い煙を上げる間欠泉群を抱く広大な高原盆地、バッファローやエルクがのんびりと草をはむ森の間に広がる草原(meadow)、そうした草原を伸びやかに蛇行する川、長い時間かけて温泉が斜面を流れ落ちる間に造り上げた白く輝く温泉テラス、300mを越える深さで続く峡谷とそこに懸かる滝、青く光り輝く湖などなど見どころが数多くあります。そうした見どころは広範囲に散在しており、その近くには十分な広さの駐車場と1〜2km程の長さの散策路が大変によく整備されています。

 そのために・・・というわけでもないですが、のんびりと見て回るつもりが、ついつい次から次へと移動を繰り返し、そのたび毎にその周辺を歩き回るといった行動になりがちです。私たちもその罠(?)にかかって、結果として、毎日100kmを越える距離のドライブと10kmを越える散策を3日間、繰り返すこととなりました。ふり返ってみるとこの行動は、24年前とほぼ同様の行動パターンで、その結果、私たち夫婦は、すっかり歳を思い知らされることになりました。娘のように筋肉痛のような形で疲れが出るわけでもなく、体の芯に澱んで溜まるような疲れ。歳をとるって本当にいやですね。

 しかも、今回は、ソルト・レイク・シティからレンタカーで入ったものですから、初日と最終日は、早朝から半日以上走りどおしとなる片道約600kmのドライブの重労働付きです。アメリカの雄大な景色を楽しみながらのドライブではありましたが、いささか疲れました。それでも、間欠泉の蒸気が夜明け前の冷気(1℃)によって、ピンクや紫色の朝日に染まる霧の帯となってたなびく光景や、グランド・ティートン国立公園側から見るその秀麗な山並みとは一変して、裏から見ると空に向かって何本もの角を立ち上げたようなグランド・ティートンの山々の奇観など、往復の道すがら見た景色も思い出を残してくれました。

 24年という年月の経過は、イエローストーンの自然にも、それを取り巻く人間の世界でも、時の経過を感じさせるものがありました。イエローストーンは、私たちが最初に訪れた1983年の5年後、園内の約1/3が焼失する山火事に見舞われました。そのときから約20年を経て、あちこちに焼けて立ち枯れたロッジポールという松の木々の下には、既に新入生の一団のようにその1/4程の高さの若木が生え揃っています。山火事の爪痕は、今見ても大きいものですが、その一方で、生態系の逞しさも感じます。

 イエローストーンの数ある間欠泉の中で、最も有名なのがオールド・フェイスフルという名前の間欠泉です。これは、その「忠実な老友」という名前の通り、間欠泉には極めて珍しく、ほぼ規則的に約1時間に1回、30〜50m程の高さに蒸気と湯を噴きあげます。しかし、この間欠泉もやや歳をとったのか、今では、その噴出は、1時間半前後に1回、噴出も前よりもやや元気がなかったように感じます。この周辺は、以前から公園の中心地の一つでしたが、周辺にインターチェンジのようなものが出来ていていたのにも、ちょっとびっくりしました。数も規模も増えたレストランやギフトショップには、ロシアなまりの英語を話す若者が数多く働いていたのも印象的でした。その一人、金髪で赤い頬をした可愛いウェイトレスは、チェコから来て、アメリカの大学でPolitical Scienceを勉強していると言っていました。

 24年の年月を経て、変わらぬ自然にも、少しずついろいろな変化を見た今回のイエローストーン訪問でした。イエローストーンは、ワインのように、自然の豊かな恵みがその時々の人間の感覚と様々な形で綾を織りなして、いろいろな余韻と印象を残してくれるところだと思います。今は、もう一回、訪れることがあるかどうか、あまり自信がありませんが、今回の訪問の思い出が熟成するころ、また、行きたくなるのではないかと何となく感じています。




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