第112回 「2030年のGHG排出削減目標について考えること」


 2015年も早くも三分の一が過ぎてしまい、前回の投稿からまた5か月ほど間が空くことになってしまいました。実は、ありがたいことに今年に入ってからこの数か月間、個人的には公私ともに大変に充実した時間を送ることができたのですが、それと引き換えにというか、週末を含め、毎日とても忙しい日々を送ることになり、DNDのサイトには長いご無沙汰となってしまいました。


 多忙をきわめた理由の一つは、前回もご紹介したNPO法人の国際環境経済研究所(http://ieei.or.jp/)のコラムで書いていた「エネルギーキャリア」についての解説の連載が、当初の目論見と異なって長引いてしまったことです。(なお、この連載は5月1日に掲載された第12回目で終えました)。ところでこの連載は得難いチャンスを私にくれました。ご存知の方もいらっしゃると思いますが、これをきっかけに日本経済新聞の「経済教室」に執筆する機会をいただいたのです。上記の連載を読んだ新聞社の解説委員の方が、「水素社会への展望と課題」というテーマで、上記連載の第3-5回に書いたようなことを書いてほしいと頼んでこられました。約3,000字で、基本的に水素社会のことを中心にという要請です。連載の約3回分をどのように字数制限内に収めるか、そして執筆の際の私の肩書きをどうするかなど、この件に関するエピソードはいろいろあるにはあったのですが、まあここでは、こういった作業が結構大変だったということだけ書いておきましょう。結局、私の論考は4月21日に掲載されました。ちょっと嬉しかったことは、いろいろな方々から「記事を見たよ」というご連絡をいただいたことに加えて、同新聞社の「本日の日本経済新聞から」という無料サイトで、この論考が「エネルギーを水素に頼る時代、あらゆる面で今の世の中と常識が変わる産業革命を日本から起こせるかどうか、そのための準備について明快に説いている秀逸な記事です」との短評つきで紹介されたことです。ご関心のある方はどうぞご覧ください。(1)


 さて、本題に入りましょう。


 4月30日、「産業構造審議会 産業技術環境分科会 地球環境小委員会 約束草案検討ワーキンググループ 中央環境審議会 地球環境部会2020年以降の地球温暖化対策検討小委員会 合同会合」という長ーい名前の政府の審議会の合同会合は、日本の2030年の温室効果ガス削減目標として「2030年度に2013年度比▲26.0%(2005年度比▲25.4%)」という案をまとめました。この目標案については、今後パブリック・コメントを徴するとはされているものの、6月初旬にドイツで開催されるG7サミットにおいて、安倍首相からこれを日本の目標として公表することになるものと思われます。その後、この目標は年末のCOP21に間に合うよう、国連の気候変動枠組み条約(UNFCCC)事務局に提出されることになるでしょう。


 この目標の裏付けとなる2030年度の日本のエネルギーミックスの姿は、その2日ほど前に「総合資源エネルギー調査会基本政策分科会長期エネルギー需給見通し小委員会」という、これも長い名前の審議会でとりまとめられました。このエネルギーミックスは、以下のような考え方に立って作成されています。(2)

  • 2030年のエネルギーの需給については、2030年まで年率1.7%の経済成長によりエネルギー需要が増加する一方、徹底した省エネによりエネルギー効率が35%改善することを見込む。
  • この中で再生可能エネルギーについては、FIT買取り費用の増大が不可避な中で電力コストを現状より引き下げるために、自然条件によらず安定的な運用が可能な再エネ(地熱、水力、バイオマス)を積極的に拡大することと併せて、自然条件によって出力が大きく変動する太陽光や風力についてはコスト低減を図り、最大限の導入を図る。
  • また、原子力については、安全性の確保を全てに優先し、規制基準に適合すると認められた原子力発電所の再稼働を進める。
  • これらにより2030年の電源構成については、原発依存度を低減しつつ、ベースロード電源比率は56%程度とし、これによって現状より電力コストを低減する。


 この結果2030年度の日本のエネルギー需給の姿として、最終エネルギー消費量を2013年度比▲10%の326百万KL、一次エネルギー供給量を同▲10%の489百万KLという姿を描き出しました。最終エネルギー消費のうち電力需要量は同+1.5%の9,808億kWhで、このための電源構成は、再エネ22-24%、原子力22-20%、LNG27%程度、石炭26%程度、石油3%程度としています。そして、これをもとに2030年度の日本のエネルギー起源CO2排出量として2013年度比▲25%(2005年度比▲24%)、温室効果ガスの削減目標として先の数字を算出したのです。


 私は、このエネルギーミックスは、おそらく現時点で描くことのできる最良の絵姿の一つになっているのではないかと思います。温室効果ガス排出削減量の数字が小さすぎるとか、基準年を2013年に変えて削減量を大きく見せるのはみっともないとか、いろいろな批判があるようですが、私はよくここまで立派な絵がかけたと感心しています。そもそも、経済成長はしたい(⇒エネルギー使用量は増加)、再エネは増やしたい(⇒電力コストは増加)、原子力は減らす(⇒安定電源が減少+電力コストは増加)、一方で、CO2排出量は欧米並みに減らしたい、電力コストは増やすべきでない、そして電力の安定供給は確保すべきというお互いにまったく相矛盾する要求や条件の中で、解となり得るエネルギーミックスの姿を描き出すだけでも大変です。それにもかかわらず、今後の日本のエネルギーミックスのあり方について異なる意見をもつ人々の主張をそれなりに汲んで、電源構成においては原子力の相当程度の再稼働を見込むと同時に、それをやや上回るレベルの再エネの導入を見込むという絶妙のバランスをとっただけでなく、CO2排出削減量も▲25%と、欧米諸国と比べてもそれなりに遜色のない数字を導き出したのですから、パズルのような難問に対する回答としてはきわめて美しい答を作り上げたと言えるでしょう。


 しかし、この目標の達成には、かなり大きなリスクがあるように思います。そのリスクは、今回の目標を達成するためのカギとなる3つの要素、すなわち、原発の再稼働、再エネの導入、そして省エネの推進のそれぞれに見てとれます。


 例えば、電源構成中の原発の割合(2030年の発電電力量の20-22%(2,317-2,168億kWh))を達成するためには、稼働後40年未満の原発全て(24基)に加え、2030年までに稼働後40年を超える100万kW以上の大型の原発10基を全て再稼働することが必要(3)となります。東京電力福島第一原子力発電所の事故以降の原発をめぐる昨今の世論の状況をみていると、これは容易なことではありません。


 また、再エネ全体の買取り費用を抑制しつつ、自然変動が少なく系統安定化費用の安価な再エネを増やすために、地熱、水力、バイオマス発電等の導入量を増やすとしていますが、これらの再エネはいろいろな困難があってこれまでなかなか導入が進んでこなかったものです。これを可能とするための画期的な方策が示されているようにも見えません。


 さらに、省エネについては「2030年までにエネルギー効率を35%改善する」としていますが、これは実は、1973年に起きた石油危機後の約15年間に起きたエネルギー効率の改善を再現するという極めてチャレンジングな目標です。(4)このレベルの省エネを実現するためには、1973年の石油危機後の約15年間に起きたエネルギー効率の改善を再現しなければなりません。その背景には、2度にわたる石油危機により石油価格が一挙に3-4倍、その後7倍に高騰したという経緯がありましたから、電力コストを上げず、むしろ抑制していくという条件設定の中で、このレベルのエネルギー効率の改善を目指すことは容易なことではないでしょう。もし仮に、政府が今回の目標の決定に際して、この省エネ目標を達成するために規制等の強制的な措置が必要と密かに考えているのであれば、目標の決定と併せて、現段階でそうした措置の導入の是非について国民に諮るべきです。


 このように今回の排出削減目標は、それぞれが目標を達成するのが決して容易でない取組みで組み上げて作られているにもかかわらず、これらの3つの取組みを確実に進めるための具体的な政策措置が必ずしも明らかではありません。


 ただ、今回の一連の作業が2030年の温室効果ガスの排出削減目標を作成するためのものであったことを思い起こせば、目標数値を達成することは重要ではあるものの、やや乱暴に言えば、結果を出せば良い話ではあります。「国際約束の達成」のための取組み内容にはいろいろな幅があり得るので、例えば電源構成や省エネ率が結果的に目標と異なったものとなったとしても、取組み内容が国際的に許されるものであれば、結果さえ出せば問題はないでしょう。


 一方、問題と思うのは、あまりにきれいな絵姿の目標となっているために、この目標からは、エネルギー需給において主役を務める国民や企業が、今後取り組んでいくべきことが見えてこない、いわゆるシグナル効果に乏しいものになってしまっているように感じることです。


 世界のエネルギー、環境問題に関する情勢は、現在大きく変化しつつあります。今後の20-30年間は、日本にとってこうした情勢変化の先行きを見つつ、日本の環境、エネルギー制約の克服に向けて中長期的な観点からエネルギー経済システムの大変革に取り組んでいかなければならない、きわめてクリティカルな時期です。それにもかかわらず、実現性の高い将来像とともに、将来に向けて国民、企業がとるべき投資行動に関するシグナルが、今回の目標づくりの中で明確に示されなかったことは心配なことです。


 日本は今後、先進国の一員として2050年までにGHG排出量を80%削減していかなければなりません。日本はG8諸国とともに、この排出削減目標を現在でも堅持しています。それは、この目標は世界全体にとって極めて重要な目標だからです。その背景にはIPCCが、世界の科学者の見解として2014年10月の第5次報告書で地球の気温上昇を2℃に抑える国際合意を達成するには、世界全体でGHGの排出を2050年に2010年比40-70%削減する必要があるとしていることがあります。実際、こうしたことを背景として、欧州諸国、米国ともに、2050年に温室効果ガスの排出量を80%削減することを念頭に起きながら、2030年の排出削減目標を立てています。加えて2050年あるいはその先の将来においては、化石燃料の需給が資源量の限界及び各国の需要の増大などからひっ迫する可能性がきわめて高いことを考えると、日本がこの削減量を実現できるようなエネルギーの需給構造を実現することは、日本自身の将来のためでもあります。


 私は、今回の2030年のGHG排出削減目標は、日本が国際社会に示す排出削減目標量と割り切り、目標の達成には努めることはもちろんであるものの、達成の方法についてはあまり特定の手段に拘泥することなく、状況の変化に則しつつ、2050年▲80%というさらに先の削減目標を実現する観点から見て合理性の高い対策を適宜とっていくことが必要ではないかと思います。今回の2030年のエネルギーミックス案のベースとなった「長期エネルギー需給見通し 骨子(5)」でも、その最後の方に「2030年以降を見据えた取組」として同趣旨のことが書かれている(6)ように私が受けとめたのは、あまり我田引水な見方に過ぎるでしょうか?





(1)このサイトは、次のURLからアクセスできます。
http://www.nikkeitoday.com/20150421..."
(2)総合資源エネルギー調査会基本政策分科会長期エネルギー需給見通し小委員会 第8回会合(2015年4月28日)の配布資料3と4の内容から、筆者がまとめたもの。
(3)稼働後の原発の稼働率を70%と仮定。
(4)「GHG排出削減目標に関する政府案が示される」年4月)の分析を参照。
(5)総合資源エネルギー調査会基本政策分科会長期エネルギー需給見通し小委員会 第8回会合(2015年4月28日)の配布資料3
(6) そこには、「(6)2030年以降を見据えた取組」として、「3E+Sに関する政策目標の確実な実現と多層・多様化した 柔軟なエネルギー需給構造の構築に向け、水素を始めとする新たな技術の活用を推進する。」と書かれています。



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