第102回 「「機能性化学産業」と日本の素材産業の将来」


ここしばらく気になっていることがあります。


 経済産業省が、「機能性化学産業の競争力強化に向けた研究会報告書」という報告書(1)をまとめ、公表しました。同報告書は、機能性化学産業を次のように定義しています。それは、
『機能性化学産業とは、すり合わせにおいて、顧客ですら気づいていない潜在的な問題に対し、独自技術により材料に特殊な機能を持たせることで解決策を提案し、顧客の製品の付加価値向上を実現する化学産業』 というものです。


 「機能性化学産業」が、具体的にはどのような材料を製造する産業か、いまひとつイメージが湧きにくいと思いますが、「機能性化学品」が「汎用化学品」に対する高付加価値化学品という意味で使われることが多いことから、半導体を始めとする電子材料、高機能の自動車用部材・材料などを供給する企業群と理解すれば良いと思います。(医薬品や農薬なども高付加価値の機能性化学品の範疇に入りますが、医薬品や農薬は化学品それ自体が機能を発揮して製品となるものですから、上記の定義で想定されているものには入らないのでしょう。)


 さて、何が気になっているのかというと、この定義についてです。特に「顧客ですら気づいていない潜在的な問題に対し、独自技術により材料に特殊な機能を持たせることで解決策を提案」する、という部分。このような提案をできる、材料供給側の企業などあるのだろうかというのが、この定義を目にしたときに、まず感じたことです。材料供給産業(以下、素材産業と呼びましょう)の実態をとらえていない机上の空論ではないか。


 そういった疑問を持つ大きな理由は、素材メーカーの人から、素材をユーザー(素材を用いて製品を製造するメーカー)に売るためには、ユーザー企業からの要求が厳しく、大変な開発努力を必要とする、ということをよく聞かされているからです。


こういった機能の素材が欲しい、と言われてその要求に合うような素材を開発して持っていっても、ユーザー企業側からは素材メーカー側からは予想もしなかったような観点から、追加的なスペックの達成を次から次へと要求される−まあ、クリアしなければならないハードルを、どんどん上げられ、追加されていかれるようなものですね−。そういったプロセスを経て、ようやく性能面ではユーザー企業の要求を満たす性能の素材が開発できても、ユーザー側の製品原価で許される範囲内の費用に収まらなければ商談成立、ということにはなりません。


このようなお話を伺っていると、素材メーカーは大変だなあといささかの同情は感じるものの、まあ、製品に対する市場ニーズも、その市場ニーズを満たすために必要となる製品性能の評価基準を知悉しているのはユーザー企業の側ですから、素材メーカーとユーザー企業の間の力関係がこのようになるのは仕方がないように思います。先の定義との関連では、素材メーカーは製品メーカーの製品の評価基準、さらには製品に使用される素材について製品メーカーが設定する評価基準や許容コストを知りませんから、「顧客(の製品メーカー)ですら気づいていない潜在的な問題」への解決策の提案など出来ようがないのではないかと思ってしまうのです。


もう少し素材メーカーがユーザー企業と対等な関係に立てるのは、両者の間で共同研究を行う場合や、いわゆる「摺り合わせ」が起きる場合です。しかし、そういった場合、すなわち、素材メーカーの研究者がユーザー企業と研究段階で協働する場合、あるいは、製品メーカーの生産ラインに入り込んで製品に必要とされる素材を一緒になって開発する場合でも、素材が満たすべき性能スペックを決める主導権はユーザー企業側にあるのが一般的です。これは、生産ラインを握っているのはユーザー企業ですし、出来上がった最終製品が所期の性能を発揮するかどうかを評価する試験設備を持っているのもユーザー企業だからです。


ある大手の半導体製造企業で働く材料研究者という、面白い立場にいる人の話を、直接聞く機会がありました。その人の話を聞いても、半導体材料開発の主導権を握っているのは、半導体製造企業の側にあるようです。彼らは会社の中で、素材メーカーから提出された材料サンプルの評価を主としてやっているのですが、半導体製造企業では工場の生産ラインが力をもっているために、候補の新素材間にそれほど大きな差がなければ、生産ラインを変えないですむ方を優先的に採用するのが一般的とのことです。確かに、生産ラインの変更には多額の設備投資を要しますし、開発品を工業製品として安定的に生産できるようになるまでには、生産ラインに大変なノウハウや製造スキルの投入と蓄積を必要としますから、既に存在している生産ラインを可能な限り利用したいというバイアスが、評価の際にかかるのは自然なことでしょう。その結果、生産ラインの事情まで知ることの出来ない素材メーカーにとっては、素材性能とはやや異なる次元からの要求に振り回されるといった感じになるに違いありません。


ただ、稀に製品メーカー側で既存のアプローチの延長では製品の技術進歩が望めないと観念する場合があり、社内の材料研究者にブレークスルーのアイデアが求められることが、たまにはあるようです。素材メーカーが「顧客ですら気づいていない潜在的な問題に対し、独自技術により材料に特殊な機能を持たせることで解決策を提案」できるチャンスです。しかしそういった場合でも、製品メーカーの材料研究者が、社内にはない革新的な素材に関するアイデアを求めて、より専門的な知識と技術を有する素材メーカーに相談しても、多くの場合、大規模な商談につながるかどうか分からない相談に真剣に付き合ってくれる素材メーカーは少ないのだそうです。


そんな実態を頭において考えるならば、素材メーカーが「顧客ですら気づいていない潜在的な問題に対し、独自技術により材料に特殊な機能を持たせることで解決策を提案」できるような産業が存在するというのは、いささか絵に描いた餅のように思います。


逆に、すごく面白い性質を持った新素材を開発したのだけれど、これを何に使ったら良いのか分からないという素材メーカーの研究者の話もよく聞きます。うまく行かないものです。


まあ、うまく行く、行かないはともかくとして、素材メーカーと製品メーカーの間の関係は、そんなに簡単ではなさそうですし、機能性化学産業という産業の活動実態やその成功メカニズムがどのようなものかということについては、もう少し掘り下げて研究してみた方が良さそうです。


この問題は、必ずしも単なる興味本位の話でもありません。日本の素材産業は、合成樹脂などに代表される汎用化学品分野から、電子材料などの、より高機能の製品分野に展開することによって付加価値を高め、産業としての進化を遂げてきましたが、その主要顧客であった日本の電子産業が競争力を失いつつある中で、こうした機能性化学品の分野でも日本の素材メーカーがシェアを下げるケースが出てきています。この原因として、電子材料等の開発には、ユーザーとの緊密な「摺り合わせ」を始めとする共同作業が必要となるが、これまで国内ユーザーとの共同作業の中でこれまで国内に留まっていた材料技術が、海外ユーザーを通じて海外に拡散しているためではないかと言われています。海外の製品メーカーが、日本の素材メーカーを相手に行った材料開発を通じて、材料開発のノウハウや技術を習得し、それを社内で内製化したり、より安価に素材を供給してくれる海外のメーカーに移転したりしていくのではないかという懸念です。


日本の電子産業の競争力の低下が、これまで強かった日本の素材産業の競争力の低下につながるのか。また、日本の素材産業は機能性化学品の世界で、今後、どのような分野や活動に活路を見出していけばよいのか。そういったことを考える上でも、素材メーカーと製品メーカーの関係を掘り下げて考えてみる必要があるのではないかと考えます。


この問題は、折を見て引き続きコラムで取り上げ、考えていきたいと思います。




(1)2013年7月、経済産業省製造産業局





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